昨晩からフィレンツェに滞在している。2013年にフィレンツェで公演をしたときに訪れたレストランで昼食を取って、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局でお土産を買い、皆が衣装を買っていた店でシャツを買い求める。いろんな街を旅しているけれど、僕は観光が下手なのかもしれないと思う。せっかくフィレンツェにいるのに、皆と出かけた場所を再訪してばかりいる。

 待ち合わせの場所はサント・スピリト聖堂の前にある広場だった。約束の時間に5分遅れて到着してみると、そこにはまだ太郎さんしかいなかった。ほどなくしてサラ、ルイーサ、由紀さん、アンドレア、ジャコモがやってきて、広場の近くにあるバールに入る。

 皆はイタリア語で会話をしている。ときどき由紀さんや太郎さんが日本語で、あるいはアンドレアが英語で、何を話しているのかを説明してくれる。でも、何を話しているのかわからなくても、皆が楽しそうに会話している姿を眺めているだけで、酒が進む。笑い合って話をする皆の姿を見ながら、僕は2日前のことを思い出していた。『IL MIO TEMPO』の公演最終日、僕はイタリア人の出演者の皆に、ひとりずつ話を聞かせてもらっていた。

 最初に話を聞かせてもらったのはジャコモだ。







――よろしくお願いします。

ジャコモ スィー。

――まずは今回のオファーを受けたとき、どんな感想だったかってことから聞かせてもらえますか?

ジャコモ (ガッツポーズをしながら)『ウェーイ! イエース!!』

――それは何が嬉しかった?

ジャコモ 前から日本に行ってみたいと思ってたんだけど、日本人とコラボレーションすれば、もしかしたら行くことができるんじゃないかと思ったからだね。

――ジャコモは去年、ここポンテデーラで上演された『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。 』という作品を観てもいますよね。あの作品について、どんな印象を持っていましたか?

ジャコモ あの作品のことは2回観てる。1回目は2013年にファブリカ・ヨーロッパで観て、2回目は2014年にポンテデーラで観た。最初に観たときは、ペースの速い作品だったから全部は理解できなかったんだけど、2回目に観たときにはいろんなことがわかるようになって、本当にいい作品だと思ったよ。

――今回の共同制作に向けては、どんな心づもりでいた?

ジャコモ 皆の作品を観たこともあるし、あとメイナでのワークショップの経験もあるから、何となくどんな作業になるのかはわかってたから、筋トレをしたり、色々準備してたね。

――藤田さんの演出は、「この場所に立ってほしい」とか、「このルートを通って椅子に座ってほしい」とか、「この順番に並んでほしい」とか、ものすごく細かく指示をしますよね。しかも、それを何回も何回も細かく変更しながら作っていく。そのことにストレスを感じることはありませんでしたか?

ジャコモ ノー、ノー。ストレスが溜まるってことはなかったね。僕も細かい性格だからね。今回は時間が短かったけど、もっと時間があれば、彼がどう演出しようとしているのか、今よりもっと受け取ることができたと思う。とにかく、ストレスを感じるってことは全然なかったよ。

――今回の稽古を観ていて驚いたのは、藤田さんの演出に対する飲み込みがすごく早かったことなんです。日本の役者と作業をしたとしても、藤田さんの意図がここまでスムーズに伝わることは珍しいんじゃないかとさえ思ったんですよね。

ジャコモ 僕たちの世代の人間は、ある意味では似たものを作ることが多いからね。というのは、僕たちより前の世代はもっと“演劇”を中心とする――細かい動きには注意を払わない――作品を作ることが多いけど、30歳前後の若い世代は、もっと細かい動きにまで注目する作品を作ってるから。

――なるほど。それでいうと、今回はまずインタビューをして、それをもとにして作品を立ち上げたわけですけど、そうやって演劇作品を作るってことはイタリアでは一般的ですか?

ジャコモ 僕が経験した範囲だと、見たことはないね。ダンスの作品とかだったら、自分の経験したことをもとにして動きを作るってこともあるんだけど、演劇の場合だと見たことなかったよ。

――たとえば「何かから逃げた記憶はありますか」って質問があって、それに対する答えをもとに藤田さんがシーンを作る。あるいは、即興芝居をもとにシーンを作りましたよね。ただ、皆の実体験や即興芝居をそのままシーンにするわけじゃなくて、藤田さんが編集を加えることでシーンを作り上げていきました。自分の実体験や自分の振る舞いというものが、演出家によって編集されて作品になる。そこで興味深いのが、作品の中に登場するキャラクターの名前もジャコモだということです。作品の中には、実在するジャコモをもとにして作り出された“ジャコモ”ってキャラクターがいて、その“ジャコモ”のことを実在するジャコモが演じるわけですよね。ジャコモ自身は、藤田さんによって創造された“ジャコモ”ってキャラクターのことをどんなふうに見てましたか?

ジャコモ それは――キャラクターと僕とのあいだに繋がりがあるかって質問?

――台本を読むと、そこには“ジャコモ”ってキャラクターがいるわけですよね。自分と同じ名前で、ある場面では自分の経験が反映されてもいる。そうすると、自分を観ているようでもあるけれど、でもそれは実際のジャコモとは違うキャラクターなわけですよね。その距離を、ジャコモはどう感じていたのかな、と。

ジャコモ まずは台本を読んで、どういうキャラクターなのかってことをできるだけ理解して、自分をなるべくキャラクターに合わせてみてたんだよね。実際のジャコモって人はそんなことないと思うけど、キャラクターの“ジャコモ”はかなり図々しいヤツだから、そういう要素をできるだけ自分の中からピックアップして見せようとしてたかな。

――マームとジプシーの作品は、最近はほとんどすべての作品において、役者の名前がそのままキャラクターの名前になってるんです。それってちょっと不思議な感覚がするんじゃないかと思うんですよね。自分の中にある要素を、演出家がピックアップしてキャラクターを作る。僕は役者じゃないからどうしてもわからないんですけど、それってどういう感触があることなんでしょう?

ジャコモ まあでも、役者っていうのは自分の内側にあるものからキャラクターを作るプロセスには慣れてるともいえるんじゃないかな。違う作品でも――名前が「ジャコモ」じゃなかったとしても――自分が演じるキャラクターは自分から生まれてるとも言えるよね。それは自分と繋がってもいるけど、お客さんにわかりやすくするためにはキャラクターの独特な部分を見せないといけない。そういう作業は、ずっとやってきてるかな。

――次は、今回の作品のタイトル『IL MIO TEMPO』の「TEMPO」――「時間」ってことについて聞きたいと思います。稽古中、藤田さんは何度か「時間は無限じゃない」「時間は限られてるって意識をもって演じてほしい」ってことを強調しましたよね。彼の演出する「時間」っていうものの感覚を、イタリアの皆はどう受け取るんだろうなってことを、その現場を見ながら思ってたんです。

ジャコモ うーん……難しい質問だね(笑)。それはイタリアの演劇においてっていうこと?

――いや、ジャコモがかかわってきた演劇と比べてどうだったのかとか、ジャコモ自身はどう感じたのかってことを聞きたいです。

ジャコモ 時間ってことについては、いつも興味深く考えてる。僕とアンドレア、それにほかの役者と一緒にグループを作っていて、そこで作品を作ったりもしてるんだけど、ある作品ではまさに時間ってことをテーマにして作品を作ったんだよね。時間はどういうふうに使えるのか――。その「時間」っていうのは、ある特定の時間のことを言ってるわけじゃなくて、一瞬の「時間」ってこともあれば、「一生」って規模での「時間」ってことも扱っていて。そういうテーマについては、ずっと考えてる。

――『IL MIO TEMPO』では、とにかく間(ま)をカットしてカットして、何かに急き立てられてるぐらいのスピードでシーンが進んでいきますよね。

ジャコモ そうだね。役者としては問題なく楽しんでやれたからよかったけど、客席に座ってそれを観てみたいって気持ちはある。「このリズムでもちゃんと話を理解してもらえるんだろうか」って疑問は自分の中にあって、観にきてくれた人にも聞いてみたんだけど、「すごいリズムが良くて楽しかった」と言う人もいれば、「テンポが速くて、考える時間がなくて疲れた」って人もいたね。

――じゃあ、『IL MIO TEMPO』みたいなテンポで進んでいく演劇っていうのは、イタリアではそんなに一般的ではない?

ジャコモ 僕自身は観たことがないかな。テンポを中心に作品を作るグループもあるにはあるけど、それはキャラクターの深さとかじゃなくて、本当にテンポってことを中心にしてやってるグループだからね。キャラクターのことも描きながらここまでのテンポでやってる作品は観たことがないから、どちらかというと映画に近い印象を受けるんじゃないかな。

――なるほど。じゃあ、次が最後の質問です。この作品のタイトルは「私の時間」ですけど、この2週間を振り返ったとき、最初に思い浮かぶ「私の時間」というのはどんな時間ですか?

ジャコモ 「私の時間」だと思った時間は二つ。一つは、稽古が終わって稽古に移動するときのこと。もう一つは、朝、フィレンツェからポンテデーラまで車で来るときに、アンドレアやサラと一緒に歌をうたってる時間。その二つは、「私の時間」だと感じたかな。







次に話を聞いたのはサラだ。







――今回の作品は、日本語とイタリア語、それぞれ違う言語を母国語とする俳優が一緒に舞台に立っている作品で、舞台上でも日本語とイタリア語が並存しています。サラは、つい最近、違う言語を母国語とする人たちと一緒に作品をつくったんですよね?

サラ 今聞かれるまで考えたことがなかったけど、たしかに違う言語を使った演劇でした。コミュニケーションをとるためには基本的に英語を使ってたけど、作品の中では英語、フランス語、イタリア語、アラビア語の4つの言語が入り混じっていて。そのときは、役者同士のコミュニケーションは英語かフランス語で取れたから、普段の会話は問題なかったけど、作品の中だとひとりはイタリア語、もうひとりはアラビア語でしゃべってたこともある。今回の作品の中でもイタリア語と日本語で話していて、お互いにまったくわからない言語だけど、2週間経ったらある程度コミュニケーションできるようになる。イタリア語でもなく、日本語でもない、まったく新しい言語が生まれるかもしれないという感覚もありました。とにかくお互いに理解できるから、言語の問題というのは超えられない問題ではないと思いました。

――それは、これまでにも感じていたことですか? それとも今回初めて感じたこと?

サラ 前のときにも感じていたことです。あのときはチュニジアの人がいて、その人たちは基本的にフランス語がしゃべれるんだけど、その中の一人の男性はフランス語が全然しゃべれなくて、アラビア語だけだったんです。でも、そのときも何となく友達になれて、今でも連絡を取っている。グーグル翻訳で翻訳したりして――内容はぐしゃぐしゃかもしれないけれど、そうやって繋がりができて、友達になれたんです。

――これは藤田さんからのインタビューでも聞かれたことかもしれないですけど、サラは自分の国のことを、イタリアって国のことをどう感じてますか?

サラ イタリアは自分の国だから、その関係は複雑です。私と同世代の人だと、「イタリアは駄目な国だから外に出たい」という人も結構いるんです。イタリアはもう滅茶苦茶だから、どうにもならないっていう気持ちが一般的にはあると思います。ただ、私は一回イタリアを出てみたことがあるから、「イタリアのためにもっと頑張りたい」って気持ちがあるんです。どうすればいいのかわからないけれど、何とかしたいって気持ちがある。

 これは公演を観にきてくれた友達が言ってたことなんですけど、「(劇の中に登場する)サラってキャラクターが、本物のサラに近い」って言うんです。それはなぜかというと、作品の中に登場するサラも、人生に何の目的があるのかわからずにいるけれど、それでも頑張りたい気持ちがあるから。いろんなことを考えて、いろんなことを感じて――ただ、パワーはあるはずなんだけど、うまく行かない状態になっている。それも私たちの世代に似てるんじゃないか、と。

――これはウィキペディアで調べたような浅い知識でしかないんですけど、リソルジメント(イタリア統一運動)が起きて1861年イタリア王国が建国されるまで、トスカーナならトスカーナサルデーニャならサルデーニャパルマならパルマというふうに、小さな国ごとに分かれてたわけですよね。日本でも――まあずっと日本っていう枠組はあるんですけど――1868年に明治維新というのがあって、近代化された国家として生まれ変わるんです。それまでは日本も「藩」っていう小さな国に分かれてたんですよね。それで、何が聞きたいかというと、サラの中では、フィレンツェって街と、トスカーナっていう地域と、イタリアっていう国に対して、それぞれどんな意識がありますか? どこに対する意識が一番強くありますか?

サラ 若い頃は「自分はヨーロッパ人だ」っていう意識が強くて、もっと広いものを求めてたんですけど、最近になってフィレンツェ人っていう意識を持ち始めました。フィレンツェは小さな街だけど、小さなところでも特徴はあるから、それを活かさないといけないと思うようになりました。

――あちこち旅をしているうちに、そういう意識が生まれてきた?

サラ そうかもしれないです。具体的に言うと、オーストラリアに行ってからだと思います。

――この2週間の作業を見ていて僕が感じたのは、イタリア人ってだけでもなく、かといって日本人のように振る舞うわけでもなく、サラはその二つの中間に立ってくれているように感じたんです。

サラ そうかもしれないですね。この2週間で一番仲良くなったのは、言語が通じないアヤとアユミだったんです。その二人とは言語でコミュニケーションが取れないのに、でもある程度コミュニケーションを取ることができて、距離も近づいている。そのことは作品にも影響を与えるんじゃないかと思ってました。それはでも、藤田さんの作品づくりの良いところでもあるんだと思います。最初は(役者のあいだに)自然と繋がりが生まれるのを待って、そこから作品を作る――その繋がりというのは、作品にもあらわれるものだと思います。

――マームとジプシーがイタリアで作業をするのは今年で3年目でした。その3年間のうちに、彼らの中で旅をすることの意味が変わってきてる気がするんです。それは、たとえば冒頭に登場する、「わたしは、、、、、、現在(いま)、、、、、、旅を、、、している、、、、、、でも、、、、、、なぜ、、、、、、わたしは、、、、、、旅をしているのだろう、、、、、、」「ここがどこなのか、、、、、、いまはいつなのか、、、、、、そういうのがわからなくなってしまうような、、、、、、場所を訪れていた、、、、、、」っていうアユミのモノローグは、そうした変化がダイレクトに反映されてるんだと思うんですね。ここまで旅をしてきたなかで、変わってきた感触がある――そういう意味では、サラはフィレンツェを離れてローマに住んだことがあったり、オーストラリアに3年間暮らしたことがあったり――そうして旅をしてきたことで、サラの中でも変わってきたものがあるんじゃないかと思うんです。サラは今、旅をすること、移動することにどんなことを思っていますか?

サラ さっきの話とも繋がるんですけど、イタリアを離れるとき、昔は「イタリアから逃げて、新しい自分を探すために違う場所に行く」って気持ちだったんです。違う国に行って、いろんなことを取り入れて、その国を自分の家にするような気持だった。でも今は、旅をすることはもちろん好きだし、ある意味ではいつも旅をしてるとも思うんだけど、「自分の家はイタリアにある」っていうことがわかってきたんです。旅をして、いろんな国のことがわかってきたときに、「それを家に持って帰る」っていう気持ちが強くなったんだと思う。もちろん、今のこの考えのままで生きていくってことはないだろうし、またほかの国に出会って新しい要素が自分の中に入ってきちゃうかもしれないけど、今は“自分”ってものがあるから、「どこか別の場所に行って新しい自分を作る」とかってことじゃなくて、「新しい場所でいろんなことを経験して、自分の家に持って帰る」という意識が強くなってきたかもしれません。

――アーティストトークや公開リハーサルのとき、藤田さんは「同世代の皆と作ってる」ってことを強調してましたよね。ポンテデーラでの滞在制作を通じて藤田さんが考えたかったことの一つは、「生まれた国も違うし、言葉も違うし、見てきたものも口にしてきたものも違う人同士が、どうすれば繋がることができるのか」ってことだと思うんです。その「何もかもが違っているはずなのに、どこか共通するもの」について、サラはどんなことを考えますか?

サラ これもまた作品を観に来てくれた友達が言っていたことなんですけど、「私たちの世代は、永遠の子どものようなイメージもあるけれど、自分の中に力を溜めて自分の道を探ってる人間だ」と。イタリアの人間は、外から見ると「何も考えずに楽に自分の生活を送っている」というふうに見えるかもしれないけど、皆の中には葛藤があって、自分のことを深く考えて、自分の道を探している。そういう意味では、日本とイタリアは歴史的にも似てるところがあるんだと思います。

――ありがとうございます。じゃあ、足後の質問です。この2週間を振り返ったときに、「私の時間」として最初に浮かんでくるのはどんな時間のことですか?

サラ 「私の時間」と言われて思い出すのは――他の人との時間です。たとえば、車の中でジャコモが歌ってるとき。あるいは、アヤと目が合う瞬間。

――会話してるときじゃなくて、目が合った瞬間?

サラ はい。たとえばジツコやユリコだと――ジツコは本当に可愛くて、持って帰れるのなら持って帰りたい!――英語でコミュニケーションが取れるけど、アヤとアユミとは、さっきも言ったように言葉でコミュニケーションが取れなくて。そうすると、目で会話をすることになる。そこで何かを感じている時間のことが、「私の時間」だと感じました。







 3人目に話を聞いたのはカミッラだ。それは最終日の公演が始まる少し前の時間だったのだけれども、カミッラはしっかり話をしてくれた。







――まずはこの2週間の印象から聞かせてください。

カミッラ 本当に、ポジティヴな印象です。ポンテデーラに着いたときは、何をやるのかわからなくて不安な気持ちもあったんです。仕事の量としてつらい作業になるんじゃないかと思ってたけど、始まってみたら遊びながら作っていくような感覚で、「こういうやり方もあるんだ」って気づかされました。もちろん、そんなふうに作れたのは、「こうやって遊んでいることにはどういう目的があるのか」を知っている人が――演出家がいたからで。この2週間で、藤田さんのやりかたを少しずつわかってきて、皆ともうまくやれるようになってきたから、今は「これから本当に始めたい」っていう気持ちです。

――今回の作品は、キッチンのシーンが大きな割合を占めてますね。カミッラはホテルのドルチェ係の役で、神聖なキッチンにずかずか入ってきて口出ししてくるジャコモに対して怒っている役でした。この2週間、イタリアの皆が料理をしてくれるときも、料理に何を入れるかでよく議論になってましたけど、そういうことはイタリアではよくあることですか?

カミッラ そうですね。イタリア人は基本的に、料理を作るのが好きなんです。私の場合、おじいちゃんはシェフだっし、お父さんも料理を作るのが好きだし、おじさんもレストランのオーナーだったから、皆で料理を作るときにはよく「え、それを入れるの?」って話になってます。ただ、それは遊びでやってる感じですけどね。最近、イタリアでは料理が人気で、テレビでも料理番組が増えてるから、よく料理の話題にはなってます。

――キッチンのことを取り上げようってことは、イタリアに来る前からある程度考えられてたんじゃないかと思うんです。というのも、去年のワークショップが終わった頃から、藤田さんはときどき「カミッラはグルテン(小麦)アレルギーだって言ってたけど、イタリアで小麦を食べられなかったら何を食べて過ごしてるんだろう?」ってことを言ってたんですよね。

カミッラ このアレルギーがあるとわかったのは、7年前のことです。当時はまだ、グルテン・アレルギーのことは世間的に知られていませんでした。時間の流れとともに認識されるようになって、今ではピストイアやフィレンツェであればグルテン・フリーの食べ物はかなり増えてきています。たとえばバールに行っても、グルテン・フリーのビールや食べ物を置いてる店は結構多いから問題ないけど、でも、皆とちょっと違うって気持ちはやっぱり残ってる。あと、どこか違う土地に行こうと思ったら、ただ単に出かけていくのではなくて、その街にはグルテンの入ってない食べ物が手に入るかを調べてから行くんです。だから、普通の人より私のほうが食べ物のことをよく考えてるんじゃないかと思う。

――カミッラは今、自分が生まれ育ったピストイアっていう町に住んでるんですよね?

カミッラ そうですね。

――最初に藤田さんがインタビューをしたときに、カミッラが「ピストイアのことはあんまり好きじゃない」と言っていたと聞きました。それはなぜですか?

私は19歳のときにピストイアを出て、ボローニャで6年間演劇の勉強をしたんです。19歳というのは、子どもから大人になる時期で、その時期になると友達と飲みに行ったり、いろんなことを経験しますよね。その時期にもピストイアに住んでたらピストイアのことがもっと好きだったかもしれないし、ピストイアとの繋がりも今より深かったかもしれないです。でも、私はずっとボローニャに行っていて――ボローニャはピストイアに比べると大きな街だし、いろんなことがある。それで、6年間の勉強を終えてピストイアに戻ってみると、そんなに友達もいないし、深い愛情は持てなかった。ピストイアはフィレンツェにほど近い町だから、美しい町だと思うし、家族と一緒に住むには悪くない町だと思うけど……。私は人間的な繋がりが強いほうじゃないし、旅をすることも好きだから。旅に出て世界を見て回ったあと、後ろを振り返ってピストイアを見ると、ちょっとケージみたいな感じがする。

――少し話が変わりますけど、イタリアはカトリックの人が多い国ですよね。こういうことって、聞いていいことなのかどうかわからないですけど、カミッラもカトリックですか?

カミッラ 私の両親はカトリックです。イタリアでは、何を信じるかということとともに、洗礼を受けるとか、復活祭やクリスマスといった行事だとか、カトリック式の生活があります。今、私の両親はそんなにカトリックを信じてないかもしれないし、教会にもそんなに行ってないかもしれないけど、私が子どもの時にはカトリック式の生活をさせていました。ただ、大人になってからはそんなに教会に行ってないし、カトリックではないとも言える状態になってます。ただ、カトリックのことをもっと知りたいし、もっと勉強しないとってことは感じていて、二回ほど聖書を読み始めてみたことがあるんです。それは結局途中で挫折しちゃったけど、また読む機会があるんじゃないかと思ってます。それに、“私の人生の上には何かがある”と信じてるので、もっと宗教のことを知りたくて知りたくて、いろんなことを試してみてもいます。一度仏教にも近づいたんです。仏教も良かったんだけど、最後までは進めなくて、今はちょっと離れてる。ただ、絶対に“誰か”が、“何か”がいると信じてる。

――どの宗教かってことはともかく、超越的なものは存在している、と。

カミッラ はい。私の家族の中にもそういう考え方があって、お母さんは「“別の存在”がいる」ってことを信じてるから、私もその影響を受けてます。ちょっと話はずれるかもしれないですけど――私は“別の存在”がいるってことを本当に信じてるんです。たとえば、悪魔っていうキャラクターがいますよね。それはキリスト教の中に出てくるキャラクターだけど、私がキリスト教だから悪魔の存在を信じてるとかってことじゃなくて、本当に気を付けなければならない存在がいるっていうことを信じてるんです。あと、演出家の人が「宇宙人と話したことがある」っていう人の話を聞いて、その人の話をもとにした舞台に出たことがあるんですけど、その人の話が本当かどうかはともかく、そういう存在が宇宙のどこかにいるってことは信じてます。

――そういえば、教会でミサがあるとき、ホスチアを授けられますよね。ホスチアって、グルテンが入ってるんじゃないですか?

カミッラ 今はグルテン・フリーのホスチアもあるけど、教会によって置いてあるところと置いてないところがあるんです。スペインに巡礼に出かけたとき、グルテン・フリーのホスチアがあるかどうか神父に尋ねたら、「ちょっと調べてみます」と言われて。それで、ミサが始まったあとで、「グルテンが食べられない彼女、ちょっと聞いて!」って呼びかけられて、「今日はグルテン・フリーのホスチアがないから、ワインだけで」と言われたこともあります。まあでも、いつも同じ教会に行くんだったら、グルテン・フリーの店でホスチアを買って、それを持っていくこともできると思う。

――じゃあ、グルテン・フリーのホスチアが出てきたのも最近のことですか?

カミッラ はい。

――ホスチアの場合、信仰にかかわるものを自分は口にすることができなかったわけですよね。そうじゃなくても、パスタにしてもピザにしても、イタリアは小麦を使った料理が多い国だと思うんですけど、それを口にすることができなかったときに、それがどういう影響を与えるんだろうってことを考えるんです。これは藤田さんが前に話してたことなんですけど、彼は「自分はこの場所にふさわしくないんじゃないか」とか「ここにいるってことに適してないんじゃないか」ってことを考えるって言ってたことがあるんです。カミッラも、そういう気持ちになることはありますか?

カミッラ 「この場所は自分の場所ではない」、「私には合わない場所だ」――そういうことはよく考えました。彼氏とバカンスに出かけたり、友達と飲みに出かけたりしたとき、私が飲めるものが何一つないことがあって、そういうときは怒りがこみ上げてくる。そういうときにはトイレに入って、その怒りが消えるまでひとりでいて、それでまた席に戻る。それは自分の責任じゃないし、他人の責任でもないことだから、どうしようもないことだとわかってるんだけど、自分の気持ちをゼロにすることはできないから、そうやって過ごすことはよくありました。

 食っていうのは、人間と人間の関係にかかわるものですよね。そうすると当然、人間関係も複雑になるんです。この話をすると、「もし自分にそのアレルギーがあったら自殺するんじゃないか」ってコメントをする人が多いんですよね。その人はきっと食べることが好きで、深い考えもなく「それだったら死んだほうがいい」と軽いコメントをするんだと思いますけど、そう言われるたびに「自分は違うんだ」ってことを感じます。私はこの国に生まれたけど、この国にはふさわしくないんじゃないかってことは私も考える。国によって食事に含まれるグルテンの量も違っていて、ある国ではほとんどグルテンを使わない料理だったりもするから、もしかしたらふさわしくない国に生まれたんじゃないかってことはよく考えます。

――藤田さんは、街を出るってこと、ある場所を離れるってことを一つのテーマと作品をつくってきた作家なんです。去年のワークショップのときには、皆に「街を出た日の記憶」をテーマに話をしてもらって、それをもとに発表会をしましたよね。あのときに、「日本とイタリアで、同じ感覚があるんじゃないか」って手ごたえがあったことが、今回の滞在制作にも繋がってると思うんですね。この『IL MIO TEMPO』という作品でも、滞在していた客がホテルを出ていくところで終幕を迎えます。カミッラは今、街を出ること、何かと別れることについて、どんなことを感じていますか。

カミッラ 別れというテーマは、自分の人生の中でも大きな比重を占めてるテーマだと思います。なぜかと言うと、役者としてあちこちに出かけていくし、一つの仕事をずっとやっているのではなくて、いろんなプロジェクトに参加して、誰かと出会って、一か月なら一か月過ごして別れることになる。次の仕事ではまた別の誰かと仲良くなって、また別れることになる。それは、たとえば大学生のときだって、ボローニャでできた友達とは別れることになったんですよね。だから、別れっていうテーマは私の人生にも大きなテーマとしてあります。誰かと別れるとき、ある意味では自分と別れてるんじゃないかってことも考えます。

―――自分と別れる?

カミッラ 知り合った人と仲良くなると、その人は自分の中の“一つの部分”になるでしょう? 別れの時には、その“一つの部分”が自分から持っていかれることになる。そういう意味では、自分と別れることになるとも言えるんじゃないかと思います。

――ありがとうございます。最後の質問です。この2週間の中で、カミッラが「私の時間」だと感じたのはどの時間ですか?

カミッラ この2週間、すべての時間が「私の時間」だと言えます。女優の仕事は、私の人生の目的ではあるんだけど、いつでもできる仕事ではないんです。だからよく違う仕事もするし、あんまり興味のないこともして過ごしてるんです。だから、この2週間はすべてが「私の時間」だと思えました。







 最後に話を聞いたのはアンドレアだ。最終日の公演が終わったあと、ひと息ついたところでインタビューを始める。







――たった今公演が終わったばかりですけど、この2週間を振り返ってみてどんな印象がありますか。

アンドレア とにかく……すごい作業だなと思いました。僕たちイタリア人も一生懸命やってたけど、日本の皆の作業を見ていると、僕たちが帰ってからも寝ずに頑張ってたのが本当にすごくて、ただただびっくりしました。イタリアではそんなことをする人はいないから。

――ちなみに、アンドレアは劇評も書いたりするんですよね?

アンドレア ダンスのレビューを書くことは時々あって、たまに演劇作品について書いたこともあるけど――去年は『てんとてん』の紹介文を書く機会もあったけど――それは偶然と言えるくらいのことで。

――何でそんなことを聞いたかというと、アンドレアは今回の出演者でもあるけれど、それと同時に批評的な関心も持って過ごしていたんじゃないかなと思ったんです。

いや、そんなことはないんです。普段僕は、あんまり舞台に立たないんです。舞台に立つときは、集団制作みたいにして皆で決めながら作るときで、演出家がいる場合には舞台には立たないんです。だから、藤田さんという演出家がいて舞台に立つというのは、特別な経験でした。そのことについて、楽しみであると同時に、ちょっと緊張してたんです。だから――これは信用にかかわる問題で、演出家のことも信頼してるし、(演出家に演出をつけられる)自分のこともちょっと信用してたから、批評の視点を捨てて、役者の役割として舞台に立っていました。

――今回出演しているイタリアの皆は、去年ワークショップを受けてくれてますよね。だから、藤田さんの演出で何かを作って発表するのは2回目ですけど、今回新たに発見したことはありますか?

アンドレア 前回は今回よりも時間が短かったから、集めた材料をそのままに出してたと思うんですけど、今回はもうちょっと時間がありましたよね。そのぶん、今回は「もともとの材料をどういうふうに編集するのか」っていうやりかたを見ることができました。それは、今回一番発見したことです。素材を活かしながらも、どんなふうに新しいものを生み出すのか――そのプロセスが少しわかってきました。もう一つは、時間の使い方について気づかされました。毎日同じことをやるんじゃなくて、ある日はゲームを取り入れたり、ある日は一緒に買い物に出かけたり……。そうやって時間を使うことで、皆、知らず知らずのうちに新しいものを引き出されている。その時間の使い方はとても素晴らしいと思いました。

――僕がこの2週間で印象的だったことの一つは、まさに「時間」のことなんです。藤田さんが演出するとき、「時間は無限にあるわけじゃない」と何度か言ってましたよね。その考え方っていうのは、彼の根っこにあるものだと思うんです。私たちの人生っていうのも限られたものだし、私たちの生活も、たとえばキッチンで過ごしているときなんかでも無限に話していられるわけじゃなくて、限られた時間の中で断片的に言葉を交わして、次の時間に移動するわけですよね。そういう考え方は、この『IL MIO TEMPO』という作品にも反映されていたように思います。時間ということについて、アンドレアはどんなことを考えていますか?

アンドレア ……そうですね。時間というのは、テーマというより、カテゴリーのようなものだと思います。そこには具体的な面もあれば、具体的でない面もあって、意味深いものですね。私は、主間に、できるだけいろんなことをやってみるタイプなんです。それは「時間は無限じゃない」と思っているからというよりも、「可能性は無限だ」と思っているからで。たとえば空港で3時間過ごさなければならなくなったとき、あるいは医者に行って2時間待たされるとき、怒ることはせず、ちゃんとリラックスできるタイプです。

――じゃあ、「時間が無限である」ってことより、「可能性は無限だ」ってことを考えて過ごしている。

アンドレア そうですね。僕はまだ30歳になってないけど、30歳になったらその考えも変わるかもしれません。

――アンドレアの中では30歳って年齢が一つの節目としてあるんですね?

アンドレア 30歳というのは、自分の人生を俯瞰して、ちょっと計算をしてみる時間になるんだと思います。仕事の面でも、家族という面でも。でも、僕の場合、30歳までの時間というのは自分のやりたいことを達成するには十分な時間ではなかった可能性もあります。
ただ、前を見ると時間が広がっていて、これからもいろんな可能性はあるから、やろうと思えばいろんなことができるんじゃないかと思っています。

――今回の作品でもう一つ印象的だったのは、ずっと影を感じることなんです。作品の中には「中絶」や「離婚」という言葉も断片的に出てきますけど、そういう言葉があるせいで影を感じるわけではなくて、ある意味では楽しいシーンの連続であるはずなのに、どこか影を感じるんです。アンドレはそうした影を感じましたか? 感じたとすれば、どこにそれを感じましたか?

アンドレア なぜ影を感じるのか――それはきっと、キャラクターとキャラクターのあいだには壁があって、その距離が無限に近いからではないかと思います。キャラクターたちは皆別れを知ることになるし、誰かに完璧に近づくことはできなくて、人と人とのあいだには距離があるから、悲しさを感じるのではないかと思います。作品の中でキャラクターたちは別れていくけれど、ハグが一つ出てくるだけでしょう。しかも、そのハグも一瞬のハグです。それがあるから悲しいんじゃないかと思います。

――アンドレアは日本人の妹がいるという役でしたよね。妹であるアヤは別れ際、「お兄ちゃんとは、、、血もつながっていない、、、、、、言葉だってあんまりつうじない、、、、、、それでもなぜだか、、、、、、会いたくなったり、、、、、、別れがこんなに悲しかったり、、、それってなんなんだろう、、、、、、わからないなあ、、、、、、」というモノローグを語ります。あのモノローグは、この2週間の作業を象徴するものでもありますよね。ドライに言ってしまえば、言葉も通じない、全然違う国に生まれて全然違う環境に育った人たちが、たった2週間一緒に過ごしただけだとも言えるわけです。そして、私たちも作品のキャラクターと同様に、今日で別れを迎えるわけですけど、なぜかそこに寂しさを感じている。アンドレアは、別れや、それに伴う寂しさについて、アンドレアは何を思いますか?

アンドレア 作品の中にあるアヤとの別れのシーンでは、微笑みながらアヤを追いかけてるんですよね。それはなぜかと言うと、別れというのは悲しい瞬間でもあるけれど、悲しいということは繋がりができているということでもあります。それを喜ばないといけないって気持ちがあるから、微笑みで追いかけているんです。

――今話してくれた考え方っていうのは、イタリアで一般的な考え方ですか? それともアンドレアがそういう考え方をしている?

アンドレア イタリア人は……そういう考え方ではないですね。イタリア人というのはドラマチックな民族だから、別れのときには涙を流します。たとえば遠い親戚と別れるとき、皆が涙を流していて、犬まで泣いてくれた思い出があります。私の思い出を振り返ってみると、別れというのはそれぐらいドラマチックになることが多かったです。

――今回の作業は今日で終わりを迎えて、日本の皆は明日の朝にこの土地を去るわけです。ただ、終演後のスクリーンに「SEE YOU NEXT YEAR」と表示されていたように、この終わりというのは来年に向けた出発点でもあります。

アンドレア そうですね。どこかに出かけたり、何かを観たりしたときに、『IL MIO TEMPO』のことを思い出すこともあると思います。それに、作品の中での繫がりも続いていくと思います。それに、今では連絡を取り合うことは難しくないから、本当の別れというより一時的な別れだと思っています。

――今回の作品のタイトルは『IL MIO TEMPO』――『私の時間』です。この2週間を振り返ったとき、アンドレアが「私の時間」として思い浮かぶのはどんな時間ですか?

アンドレア 夜にフィレンツェまで帰るとき、皆で車に乗っていて、僕が選んだ曲を流していて、皆で歌ってたりしていて――疲れてるときにはあんまり声も出なかったりするんだけど、疲れていれば疲れているほど声を出して歌うんです。それは疲れを取るための時間でもありました。歌っていないときはその日のことを話したり、これからのことを話したりしていたので、車の中の時間というのは本当に私の時間だと感じました。




 23時過ぎまでお酒を飲んで、リストランテを出る。アルノ川沿いを歩き、サンタ・トリニタ橋を渡ると、ドゥオーモが見えてくる。皆とはドゥオーモの前で別れることになった。別れ際に、太郎さんにお願いして、最後にもう一度通訳してもらう。

 僕はただ見ることしかできないけれど、皆の2週間を見ることができてよかったと思っています。何より、今年は由紀さんと太郎さんがいてくれたおかげで、皆が何を考えて過ごしているのか、どんなふうに思っているのか、知ることができて本当に良かったです。また来年会いましょう。

 太郎さんが僕の言葉を翻訳し終えてくれると、イタリアの皆とハグをして別れた。皆、振り返ることなく、自分の道を歩いていく。僕はその姿が見えなくなるまで見届けて、自分の宿へと続く道を歩く。