昨日の遅い時間に日本に帰国した。10時半に起きて、ポンテデーラ滞在記を最後まで書き終える。これで終わった。昼過ぎ、新宿。天気が良いので、空を見ながらビールが飲みたくなる。知人がサザンテラスにあるベルギービールの店を調べてくれる。サザンテラスにいると、田舎にいた頃や上京したばかりの頃を思い出す。修道院ビールはどれも度数が高くて不思議な味だ。3杯ほど飲んで、新宿高島屋ユニクロへ。何だかと言うデザイナーとコラボした商品が販売中だという。去年もどこだかのデザイナーとユニクロがコラボしていて、気に入ったコートを見つけたのを思い出す。だが、今年は特に気に入るものが見つからない。スウェットみたいなズボン――これもコラボ商品――だけ購入する。

 続いてビックロへ。ユニクロからユニクロにハシゴしているが目当てはパソコン売り場だ。イタリア滞在も終盤に差し掛かり、マームの皆とは別れてフィレンツェに延泊しているとき、カフェでビールを飲んでいたのだが、そのビールをMacBook Airにぶちまけてしまい、ふっと明かりが消えたのを最後にウンともスンとも言わなくなってしまった。パソコンがなければ仕事にならないので、同じMacBook Airを12回払いで購入する。購入後、「らんぶる」に入って早速起動させてみる。「新しいねえ」と嬉しそうな顔で言ってみると、知人はただただ呆れ顔だ。

 紀伊國屋書店(新宿本店)で雑誌数冊、英語の教材、それに『ゼロから話せるイタリア語』を購入し、新宿で飲み会のある知人と別れて六本木へ。スーパーデラックスにて「空間現代collaborations DAY 2」観る。この日は空間現代と地点によるコラボレーションだ。空間現代の演奏でパフォーマンスが始まり、地点の役者たちも声を発し出す。役者たちが声を出した途端に、グルーヴが下がるように感じてしまう。空間現代の音が好きな僕の耳が偏っているのは認める。ただ、ライブハウスという環境で、バンドのアンサンブルと役者の身体が並置されると、生身――マイクも使っていたが――の身体は負けてしまう。途中からは、その「負けてしまう」というのは一体何のことなのだろう(何が負けだというのだ)と考えながら観ていた。約1ヶ月後には地点×空間現代『ミステリヤ・ブッフ』(原作:マヤコフスキー)が上演される、その『ミステリヤ・ブッフ』から引用された言葉も今日は随所に配置されていた。今の空間現代の音楽にはほぼ歌詞が存在しないが、その演奏に対してマヤコフスキーの言葉が当てられた瞬間に、何か重力を感じる。その重力のことも考えながら観ていた。

 アフタートークも含めて、21時過ぎには終演となった。どこかに飲みに行こうかとも思ったけれど、荷物が多いのでまっすぐ家に帰り、部屋で日本酒を飲んだ。ひとりで飲んでいると、めずらしく暗い気持ちになってくる。今日書き終えたポンテデーラ滞在記のこともある。彼らの旅に、僕はずっと同行している。「ずっと同行する」ということが目的にならないように、必然性を感じた時だけ行くようにしているのだが、結果的にはすべての海外公演に同行していることになる。正直に言えば、一番反響があったのは2013年、最初の海外公演に同行したときだ。あのとき、ここではその日撮った写真とそのキャプションだけを掲載していた(滞在中のことは『Firenze,2013』として一冊にまとめた)。

 最初の海外公演に同行したとき、僕は役者の皆とはほとんど話したこともなかった。だから「皆」というひとくくりでしか見ることができなかった。その後悔もあって、2014年にボスニア・イタリアツアーに同行したときには、ひとりひとりのことに目を光らせて、すべてを見てやろうという気持ちで1ヶ月を過ごしていた。その旅に同行して思ったことは、(当たり前だけど)すべてを見ることはできないということだ。どこまで目を凝らしても、その人を完全に見るということはできなかった。その上で――今年の夏にはケルン、北京、ポンテデーラと、3つの旅に同行した。それぞれ作品も違えばメンバーも違う旅に、それぞれ別の企みを持って同行していたし、皆との距離感もそれぞれ違う中で過ごしていた。

 ただ、それは書いている僕の都合でしかなくて、読んでいる人からすれば「ああ、橋本君はまたマームを追いかけてるのね」ということにしかならないだろう。それは、僕の伝える技量や発信する力がないせいではあるのだけれども、このまま同行していても、少なくとも彼らのためにはならないのではないかという気持ちになる。もちろん、もはや「彼らの活動を日本に伝える」ということだけを目的に同行しているわけではないのだが、常に距離感を持って接していて、(これはライターであれば当たり前のことでもあるけれど)基本的には航空券代も宿泊費も自分で捻出して、特にギャラが出るわけでもない中で同行していても、「あ、マームの人だ」と言われると、心が暗くなるときがある。今日、誰かにそういうことを言われたわけではないけれど、そんなことを考えてしまう。これは、これを読んだ誰かに何か思って欲しくて書いているわけではなく、ただの日記として、この日思ったことを書いているだけだ。ただ、そんなことを考えていても、久しぶりに飲む日本酒は実にうまかった。