昨晩――というよりも今朝――『ヘヴン』を読み終えたところで眠れなくなって、ふとHuluで『ウォーキングデッド』を観初めてしまった。明け方まで観ていたせいで、起きたのは昼過ぎだ。今日のうちに済ませておきたい用事が4つあったのに、2つしか済ませることができなかった。20時、巣鴨駅で知人と待ち合わせて、モンゴル料理を食べに行く。知人が「行きたい」と言っていた店。知人の誕生日の夜には収録が2本あって飲みに行けなかったので、週末の今日を選んだ。

 お店についてみるとほぼ満席だ。予約しておいてよかった。バンシ(羊肉の水餃子)やキクラゲ、チャンサンマハ(骨付き羊肉のモンゴル岩塩ゆで)を食べつつ、ヨーグルト酒をいただく。知人は骨付き肉にかぶりついている。僕は途中でウォッカに切り替えた。名前は忘れてしまったが、モンゴルで一番ポピュラーなウォッカだと説明書きがあった。一口飲むと、胃袋が少し熱くなる。本当はグイッと飲むのだろうが、危険なのでチビチビ飲んだ。酒の種類も、風土と結びついているように感じる。

 さて、そろそろハロトンガ(羊肉のしゃぶしゃぶ)を注文しようかというところで、店内が少し暗くなる。演奏会が始まるようだ。「馬頭琴だ」と知人が言う。「馬頭琴って?」「『スーホーの白い馬』に出てきたじゃん。小学校の国語の教科書に載ってたやつ」。小学校で習ったことはほとんど記憶から消えてしまっている。初めて聴く馬頭琴は不思議な音色だった。モンゴルと中国は別だとわかっているけれど、やはり同じ文化圏だと感じる。音階が急に変わるのを聴いていると、こないだ北京で耳にした中国語の発音を思い出す。それと、音から連想される風景が広大だ(広大なモンゴルの草原、そこを馬で駆ける疾走感、そのリズムを表現しようとして作曲されたのだろうから、これは話が逆かもしれないが)。

 それから、もう一つ。馬頭琴の音はバグパイプの音に近かった。スコットランドの楽器とモンゴルの楽器に、何かつながりがあるのだろうか。あるとしたら何だろう。2杯目のウォッカを飲みながら、そんなことを考えていた。しかし、それにしても、最近つくづく考えるのは、どうして人間は音楽を演奏したり聴いたりするのだろうという、ごく素朴なことだ。