朝、餅を一つ食す。本棚に並んでいる判型の大きい時期の『en-taxi』を手に取り読み始めると、目の覚める思いがする。たとえば、『文学の器』の最終回にあるこんな言葉たちに。

坂本 (…)小林秀雄が原稿を書くときにしても、ゲラの直し方にしても、あの迫力は恐ろしかった。
福田 昔、坂本さんに苛められましたよ。小林秀雄はこうは直さなかった、それ違うよ、と。こちらは、当たり前でしょうってね。
坂本 福田さんに申し上げたと思うけど、小林秀雄で私が感心したのは、ゲラで直すのが語尾だけなのです。そのとき、批評というものは内容がしっかりしていれば、後は語尾だと私は気づきました。
坪内 日本語は単調になりがちですからね。体言止めとか単調になりがちなところに、リズムをつくっていかなければなりませんね。
坂本 私は小林さんが読まれる魅力というものは、そういうところに潜在している感じがするのだけど。
坪内 だけど福田さん、磨きをかけちゃいけないと思うときってありませんか。
福田 なかなかそれはタフな質問ですね。
坪内 何か書いていて、あ、ちょっと今文章磨いてんじゃないか、駄目、磨いちゃ駄目だというさ。

 あるいは、坪内さんの「歌舞伎座と新宿コマでやる芝居は変えなくちゃいけないわけですよ。そのことを、今の批評家は分かってないね」という言葉に、背筋の伸びる思いがする。僕は批評家でもなければ、そこで語られている次元には遠く及ばないこともわかっているけれど、そわそわした気持ちになって大晦日に書き終えた原稿を取り出し、推敲する。自分の日本語の不自由さ。別に美しい文章や良い文章が書きたいとは思わないが、これだ、という文章を書けるようになりたい。そのためには圧倒的に勉強が足りないのだ。

 昼は“お好み焼き”を食べた。我が家で作られる“お好み焼き”というのは焼きそばのことだ。僕はさほど父と仲良くなかったが、父の作る“お好み焼き”は好きで、弁当箱につめて学校に持って行ったこともある。太らないように少なめに食べるつもりだったのに、勧められるまま3玉も食べてしまった。17時、「皆で回転寿司を食べに行こう」と誘われ言葉をなくす。まだひとかけらもお腹は減っていなかった。両親と兄、それに兄の嫁と一緒に、隣町にある回転寿司屋へ。受付は人で溢れかえっている。正月に外食できる店はそう多くないのだろう。いや、そもそも市が大きな道路をいくつか作り、人の動線が変わった今では、外食する店は回転寿司やファミレスやショッピングモールの中しかないのだ。この町に住んでいるわけでもない僕は、そのことについて特に何も思うことはないのだが。

 1時間ほ入り口で待った。広いスペースがあり、待っている数十組の家族が座れるくらいの数のソファが置かれている。固まって座っている家族もいれば、空席が見つからずはなればなれに座る家族もいる。僕はぼんやりと眺めながら、ひとりで神経衰弱をする。顔立ちを眺めながら、あの人とあの人は家族なんじゃないかなんて考える。あっという間に1時間が経ち、席に案内された。

 兄の嫁と最初に会ったのは1年前で、そのときもこの回転寿司屋を家族揃って訪れた。僕はまだ、相手がどういう人なのかはかりかねていたのだが、ずっと遠慮がちに何の皿も取らずにいた兄嫁が、母に「気にせず、好きなものを」と促されて手にしたのがささみチーズ巻きだったのだ。その瞬間、この人は良い人に違いないと僕は思った。僕はどうしても、「最初は何を取るべきだろうか」と、余計なことばかり考えてしまう。でも、そんなふうに場の空気を読むのではなく、またやけに高いネタを取るのでもなく、ささみチーズ巻きというところが素晴らしいと思った。それは、ほんとうにそれが食べたいということが伝わってくる一皿だった。兄の嫁が最初に選んだのは、今年もささみチーズ巻きだった。