朝5時に目をさますと、雪が降り始めている。テレビの画面の中でもずっと雪の話だ。嬉しくなって、写真に撮ろうとカメラを探す。カメラを探す。カメラを――見当たらない。昨晩酔っ払ってどこかに置いてきてしまったのか。Aさん宅を出るときに持っていた(というよりも写真を撮った)のは覚えているから、その後に出かけた場所だ。せめて電車以外の場所でありますようにと祈る。

 今日は知人も早起きだ。というのは、別に雪が降っているからではなく、冷蔵庫にいちごが入っているからである。いちごを買ってくるだけでこんなに早起きするなら、毎日買ってこようか。そう漏らすと、毎日だとありがたみがないのだという。「歯ごたえがすき。ぱりぱりしてるから」と言いながら、知人はいちごを食べる。僕も3粒だけ食べて、昨晩買ってきていた――酔っ払って知人に「買ってきて」とお願いしていた――とんがりコーンを食す。

 昼、ソースカツ丼を買ってきて、ボンカレーをかけて食す。食欲の蓋が開きっぱなしだ。午後、『国文学 解釈と教材の研究』(特集:川端康成、その孤影の文学)をぱらぱら読んだ。夕方、「バー長谷川」に電話をかけると、無事カメラが見つかる。ということで、17時過ぎに「バー長谷川」を訪ね、カメラを受け取ってハイボールを1杯いただく。しかし、今日はクルマの台数が少ないのか街が静かだ。

 18時半、池袋まで引き返して三省堂書店池袋本店へ。今日はトークイベントを聴きにきたのだ。しかし、開場時間が近づいても会場は暗いままだ。おや、と思って調べてみると、トークイベントが開催されるのは明日だ。こんな寒い日なのだから、アパートに引きこもっていればよかった。トボトボと明治通りを南下していると、ちびっこが母親らしき女性と歩いてくるのとすれ違った。「でも、北海道のはおいしかったよ」とちびっこが言うと、「それはおいしいだろうねえ」と母親らしき女性が言う。何の話をしているのだろうとしばらく考えて、ああ、雪の味かと気づく。

 夜、キムチ鍋をつつきながら録画したドラマ『わたしを離さないで』観る。ううむ。22時を目指して帰ってきた知人と『SMAP×SMAP』観る。冒頭から、“視聴者”からの異様な「感謝」の列挙で始まり、ただ事ではないという空気が伝わってくる。画面がスタジオに切り替わり、メンバーがコメントを語りだす。草なぎ君以外は何一つ具体的なことを語らない様子に――何より憔悴というほかない表情――観ていてグッタリする。何より驚いたのは、最後にキクちゃんが“視聴者”の声を読み上げたのだが、紙を持つ手が震えていたこと。あれほどのベテランでもそれほど緊張を強いられるとは、現場の空気は一体どんなことになっていたのだろう。

 しかし、不思議な時代だと思う。誰もが事情を察しつつチャンネルを合わせ、テレビ画面の中には「察してください」という心の声が聴こえてきそうなメンバーの姿があり、それを目にした私たちは「ああ……」とあらためて何かを察するのだ。それにしても、この1週間で驚いたのは、スポーツ新聞はこんなに酷いメディアだったのかということだ。

 何を今更と言われるかもしれないが、週刊誌のスクープを自分の手柄であるように報じ、それ以降はただ芸能事務所の意向を垂れ流すだけの記事を報じ続ける。週刊誌では名前を出して報じても、スポーツ新聞は(まるで名前を出すほどの格の人間ではないと言わんばかりに)「女性マネージャー」としか報じないのも、その意向によるものだろう。別にメディアとして云々と言うつもりはない。ただ、記者はそんな仕事をしていて虚しくならないのだろうか。ジャーナリズムを志して記者になった人が、この状況に対して暗澹たる気持ちにならないのだろうか。