朝7時に起きて、トーストを食す。午前中は昨日に引き続いて過去の仕事をまとめる。『マンスリーよしもとPLUS』を手伝っていた頃の仕事は、タイトルがわからなくなってしまったので遡るのをやめにした。昼はワイズマートのシャケ弁を食べた。それがひと段落すると、ここ数年のメールをフォルダ分けして整理する。

 あっという間に夜だ。神保町に出て、スタジオ「SOBO」へ。今日は20時から東葛スポーツ『食道楽』が上演されるのだ。開場時間にスタジオに到着し、席を確保するとまずアサヒスーパードライを購入する。東葛スポーツの公演が好きなのは、一つには酒を売っているところだ。僕が観た公演では毎回販売している。しかもビールの値段は300円と良心的だ。開場中に1本飲んで、開演前に2、3本買っておく――いつもそんなふうに過ごしている。

 最初に東葛スポーツを観たのはいつだったか。東葛スポーツの作品の手法はヒップホップ的で、役者たちによるラップで作品は展開する。最初に印象的だったのは「ディスる」ことと「コスる」ことだ。東葛スポーツには小劇場の世界では名の知れた役者が登場しているが、彼(女)らが出演する作品や、注目を集めている他の劇団のことを作中でイジり倒していた。

 もう一つ印象的な――ヒップホップ的だと言える――手法は「サンプリング」である。別の劇団をコスりつつも、作品の構造は映画やアルバムや出来事などになぞらえる形で構成されている。2013年に上演された『ドッグヴィル』や『おとなのけんか』では、それぞれの映画のシーンが随所にサンプリングされているし、他にも様々な作品がコラージュされている。

 ただ、僕が最初に気になったのは手法ではなく、ラップに出てきた一つのフレーズだ。外神田にある「アーツ千代田3331」という会場で公演が行われたとき、「上野で飲むなら大統領 でも個人的にはカドクラ」」というフレーズが登場したのである。その言葉に促されるようにして、観劇後は「カドクラ」で酒を飲んだ。そこが素晴らしい立ち飲み屋だったので、「あの劇団は信頼できる」と確信し、その後も観に行けるときはなるべく足を運んできた。

 何度か観ているうちに、気になることが出てきた。たとえば、ある作品では「立川談志が照れながら『子別れ』をやる」ということの良さを引用していた。その素晴らしさや、東京っ子としての感受性ということはわかる。わかるのだけれども、もう少し作・演出を務める金山さん自身の声が聴きたいと感じていた。サンプリングという手法が東葛スポーツにとって重要な手法であることはわかるのだが、もう少しだけ作者自身の声が聴きたいと感じていたのだ。

 前作の『ウラGBB』や今作では、その「声」が聴こえてくる。言葉が聴こえてくる。というかもう、役者だけではなく、金山さん自身がラップしてもいる。観劇中、ビールを呷りながら「散文精神」という言葉を思い出す。それは、作品の中で昨年夏の国会前の風景を批評的にサンプリングしていたということもある。

 「詩的精神の伝統は秩序ある均衡、統一、調和だと云ふことはすでに言った。さうしてそれに対抗するところの散文的精神は、詩的精神とは全く反対なものである。無秩序、無統一、無調和、即ち混沌そのものである(略)その混沌のなかに我々は美そのものを発見するのである」(佐藤春夫「散文精神の発生」)

「それはどんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、行き通して行く精神――それが散文精神だと思います。それはすぐ得意になったりするような、そんなものであってはならない。」(広津和郎「散文精神について」)

 終演後は知人と「SANKOUEN」に入り、ビールと紹興酒で乾杯する(知人も一緒に観劇した)。3ヶ月前に同じ会場で東葛スポーツを観たときもここで食事をした。いかに今日の公演が面白かったかを語りながら飲んでいるうちに何杯もお代わりしてしまって、会計を確認して慌てることになる。