10時に起きて、フィルムを現像に出す。急激に冬が戻ってきた。昼、そばを2束茹でる。半分はもりそばで、半分は納豆オクラ豆腐そばにして食す。午後、この1週間ずっと構想を練っていた原稿を書き始めて、3時間かけてようやく書き終える。原稿用紙でたった3枚の原稿にどれだけ時間を注いでいるのだろう。しかし、こういうふうにしか書くことができないでいる。

 夜、六本木へ。今日は新世界で「ラジオ危口」というイベントがあるのだ。公式サイトでは、この企画についてこう説明がなされている。

 コンセプトは「観客がいるオールナイトニッポン」。『ラジオ◯◯』シリーズは、ひとりのクリエイターが、今の自分に大きな影響を与えた、あるいは愛して止まない、もしくはどうしても受け入れられないモノ、人、出来事について3時間たっぷり語るトークイベントです。

 3時間にも及ぶトークイベントだが、ゲストの登場は許されず、悪魔のしるし主宰の危口さんが一人でずっと語らなければならず、危口さんはとても居心地が悪そうに見える。ステージの上手にはラジオブースに見立てたテーブルがあり、その下手側にはずらりとノートやスケッチブックが並んでいる。その“資料”をもとに、まずは危口さんが自分の少年時代から語り始める。印象的だったことの一つは小学校時代の文集だ。そこに書かれた将来の夢がゲームデザイナーだったことと、それに関連して語られた「四国志」のエピソードは、危口統之という人を考える上で結構重要なことではないかと思う。

 印象的だったことはもう二つある。一つは、藤枝静男「悲しいだけ」の話だ。後半は危口さんが影響を受けた――と言っていいのかわからないが、大学以降に傾倒したモノについて語られたのだが、その一つに藤枝静男だった。そこで語られた話も示唆的だが、ここに書くことでもないので、とりあえずは自分の手元にだけメモを残してある。

 もう一つ印象的だったエピソードというのは、昭和天皇崩御したときのことだ。当時まだ保育園に通っていた僕は「新しい年号の響きが面白かった」という記憶しかないのだが、当時中学生だった危口さんには(当然ながら)まったく違った感慨をもたらしたということが印象的だった。地下鉄サリン事件阪神大震災昭和天皇崩御……。どれも記憶には残っているが、自分の暮らしている狭い世界のシステムがシャットダウンしたわけではなかった。でも、年齢が違えば、住んでいる場所が違えば、印象はまったく違ってくる。僕がそれを克明に感じたのは、やはり3月11日が最初だと思う。

 しかし、危口さんの話を聞けば聞くほど「同じ土地の人間だ」と感じてしまうのはなぜだろう。これは知人も同じことを言っていた。知人が山口、僕が広島、危口さんが岡山の出身である。といって、僕は別に中国地方出身であることに愛着や誇りがあるわけでもなく、山口と広島と岡山は別個の藩であるはずだ。通ってきた文化だって違うはずなのに、どこか「似たような風景を見て育ったのではないか」と思ってしまう瞬間がある。どこにそれを感じるのかはいまだにわからないのだが、どこかにそれを感じるのだ。それは一体何だろうと思っているうちに、赤ワインのボトルは空になっていた。