朝7時に起きる。知人が買ってきていた卵の賞味期限が迫っているので、1つだけ残してあとはゆで卵にする。僕のは8分茹でて、知人のは13分茹でて朝ごはんに。塩が好きな知人は、皿に残った塩を指ですくって舐めていた。間違えないように、残った卵に生、半、完とマジックで書き記す。「完ってどういうこと?」と知人が言う。「半熟と完熟とを間違えないように」と僕。「完熟って、果物じゃないんだから。そこは固ゆでの『固』でしょ」と知人。
朝食を食べ終えたところで、知人はツタヤに漫画を返しに行く。その帰り、スタバでドリップコーヒーをテイクアウトしてきてくれた。紙袋もカップも、桜があしらわれている。感心して写真に撮る。「毎回季節感出してきてえらいよね」と知人も言っている。珍しく昼ごはんの記憶がないけれど、今日の夜に何を話したものか、ずっと考えていたはずだ。
17時半、与野本町へ。18時、マームの夜三作を観る。今日が2回目。観劇しながら考えていたことは、一つには劇場という場所の特殊さだ。これは創作現場に同行させてもらうたびに感じていることだが、多くの劇場には窓がなく、外の世界とは断絶されている。照明を灯さなければ真っ暗になる世界だ。観劇くらいの長さならともかく、朝からずっとその空間で過ごしているとどうしても息が詰まって、休憩時間になるたびに外に出たくなってしまうのだが、皆は平気そうだ。そのことがいつも不思議になる。演劇に携わる人はちょっと特殊な種族に思える。
終演後はアフタートークがあった。僕が聞き手を務めることになっていたので、そのことについても訊ねてみた。藤田さんは「たしかに変な職業だなと思う」と言った上で、「劇場って空間はやけに光を閉ざしていくけど、暗闇にしかあかりを作れないってことで、そこに何かを灯していくっていう作業している」のだと話してくれた。
あるいは、夜という時間に関連して、こんな話もしてくれた。本来、この劇場では今、『蜷の綿』という作品を上演しているはずだった。『蜷の綿』は蜷川幸雄の半生を藤田貴大が描いた作品で、蜷川演出版と藤田演出版が同時上演される予定だったのだが、蜷川さんが入院したことを受け、上演が延期されることになった。つまり、彼らはこの劇場で蜷川幸雄の帰りを待っているわけだ。
公演の延期が決まったあと、藤田さんは役者の皆とポツポツ話していたのだという。そこで出てきたのは、マームとジプシーはこれまでも「誰かが不在であること」や「誰かを待つ」というモチーフを描いてきたよね、という話だった。ただ、その「蜷川さんを待っている時間」がいつかと言えば真昼間ではなく、どちらかと言えば夜のトーンだよねという話に至り、夜がタイトルに含まれる三作を代わりに上演することに決めたのだ、と。
再構成して上演された夜の三作では、何度も繰り返して夜が、闇が描かれる。だが、夜が、闇が深く描かれれば描かれるほど、そこに射し込む光が目立つ。僕が印象的だったのは、尾野島慎太朗や成田亜佑美が灯りを手に歩くシーンだ。彼らが手にするのは懐中電灯であり、弱々しいヒカリに過ぎないが、その弱々しいヒカリを手に歩くシーンがとても響いてきた。それは、彼らが立ち止まっているのではなく、歩いているから余計に響いてくる。
「今っていう時間を歩いていくっていうシチュエーションを、役者さんは歩いていく」と藤田さんは言う。人間の持ちうるリズムの中で、心臓の音と歩行することには絶対的なリズムがある。変拍子で歩くということは難しく、ほとんどの人が一定のリズムで歩いていく。そのリズム、あるいは歩行ということが「今」、「今」、「今」、「今」と繋がっていく――そういうことを考えているのかもしれないと藤田さんは話してくれた。
アフタートークが終わると、どっと疲れてしまった。普通のトークイベントならまだしも、アフタートークに残っているお客さんがどんな話を聞きたいのか、いまだにわからない。雨が降りしきる道を歩いて、何人かで居酒屋へ。歩いている途中で、記憶をめぐる話になった。この作品から好きになってくれた人が多くて、記憶の中では「この作品は好評だった」ということになっていたけれど、よくよく思い返してみると賛否両論あったはずで、記憶というのは都合よく編集されてしまうものだ――と。
まずはビールで乾杯する。僕の目の前に座っている人はとても痩せていて、それを心配した人が「ちゃんと食べなきゃ駄目だよ」と言って、食べるのも仕事だと思って何か注文しなよと伝えている。そう言われた当人は、食べるのって体力が要るから、と言いつつも、好物である生牡蠣を注文した。ほどなくして生牡蠣が運ばれてくる。
「橋本さんもよかったら」と目の前に座る人が勧めてくれる。
「いや大丈夫です」と僕は断る。
「え、それ、広島の人間からすると、東京の牡蠣は食えないっていう感じですか」と別の人が言う。僕は決して「広島の生牡蠣が格別で、ヨソのはとても食えたもんじゃない」なんて思っているわけではない(そもそも山間部に育った僕は、新鮮な生牡蠣を食べる機会は少なかった)。ただ単に、僕にとって牡蠣といえば焼き牡蠣だというだけのことだ。実家にいた頃は家族揃って宮島まで初詣に出かけていた。正月の宮島にはいくつも屋台が並んでいて、その中には焼き牡蠣を売る店もあった。僕はよくそこで牡蠣を買ってもらっていたので、牡蠣を食べるなら焼いて食べたいという気持ちが強いのだ。
ところで、生牡蠣が好物であるはずの人は、一つ食べたきり牡蠣を食べなかった。僕にはよく違いがわからないのだけれども、ここの牡蠣はいまいちなのだという(店のために言っておくと、他のメニューはどれもうまかった)。しばらく経っても牡蠣は残ったままだ。店員さんが「牡蠣だけは早めにお召し上がりください」と言っていた言葉が思い出されて、僕は3つくらい生牡蠣を食べた。僕が食べ切るまで、牡蠣を食べる人はいなかった、小食の人の方が食べず、食べるのが好きな僕の方が結果的に食べる――というのは、結果的には不可思議な出来事だ。