10時過ぎに起きる。午後、インターネットをぽちぽちやっていると、芳林堂書店が破産という知らせが飛び込んでくる。昨日話していたばかりなので、驚く。もう閉まってしまったのだろうかと出かけてみると、高田馬場のお店はまだ営業している。僕と同じように報道に触れてやってきた人が多いのか、結構賑わっている。店員さんは何度も「このお店はどうなるのか」と質問されているが、「私たちもまだ詳しい事はわかってないんですけど、お店がなくなることはないと思います」と応対している。岩波文庫を3冊ほど買って、カバーをかけてもらう。

 夕方、新宿「ビックロ」に出かけ、新しいアイフォーンを購入する。本体の割賦契約を既に二重で申し込んでいるせいで、追加で割賦を申し込むのは難しいと言われたので、一括で購入することになる。もちろん9万円払えるほどの余裕はなく、クレジットでの分割払いにする。はあ。もう絶対に壊さないぞと決意して、一番頑丈そうなケースを探す。売り場を眺めていると、米軍基準のテストに合格したというケースが鍵付きのショーウィンドウに並んでいる。落下はもちろん、水中でも使用できると書かれていて、「これだ」と購入を決める。

 しかし、鍵付きのショーウィンドウに入っているので、自分で取ってレジに持っていくことはできない。それに、どんなケースなのか手にとって確認したいところだが、店員さんは皆忙しそうに動き回っている。5分ほど待ってようやく店員さんをつかまえて、鍵を開けてもらう。じっくり検討したいけれど、店員さんは鍵を持ったまま僕の横で待機している。忙しい店員さんを待たせるのも申し訳ない気がして、20秒ほど眺めて「じゃあ、これにします」と購入した。

 「ビックロ」の中にあるカフェに入り、さっそくケースをつけてみる。思っていた以上にゴツいケースだ。純正の充電ケーブルを取り出し、とりあえずアイフォーンの充電を――おや、ケーブルが挿さらないぞ。僕が買ったケースはバッテリーもついているため、アップルの純正ケーブルでは充電ができず、専用のケーブルでしか充電ができないらしかった。一体どうしてこのケースを買ってしまったのだろうかと途方に暮れる。結局、別のケースを買い求めて、「らんぶる」でブレンドを飲みつつ気持ちを落ち着かせる。

 夜、知人の帰りを待って映画『王様とボク』を観る。最近は「若手俳優の仕事をちゃんと追ってみよう」という気持ちになっているので、菅田将暉松坂桃李二階堂ふみの出演するこの映画を借りてきたのだ。4年前の映画で、3人とも今とは顔つきが違っている。ドラマや映画でカメラを向けられているうちに、顔――というよりも肌の質感からして――変わってくるのだろうか。

 菅田将暉松坂桃李は幼馴染の役だ。菅田将暉が演じるモリオは、小さい頃に事故で昏睡状態に陥ってしまう。それから12年の時が経ち、モリオは意識を取り戻す。身体は大人になっているが、心は6歳児のままだ。少しトリッキーな演技が要求される役どころだ。一見すると難しい役だが、実際に難しいのはその幼馴染で、意識を取り戻したモリオと再会し揺れ動くミキヒコ(松坂桃李)の役だろう。モリオの役はオーバーに表現することができるけど、ミキヒコのほうは微細な部分でそれを表現しなければならない(これは、菅田将暉より松坂桃李の演技が光っていたとか、そういうことではなく)。

 知人はずっと「何でこの映画を観なきゃいけないのか」と言っていたが、何度も「何でこれを観ているんだっけか」と心が挫けそうになる。何の効果を目指したのかわからない長回しや、やけに行き交うエキストラなど、「何だろうこれは」と思うシーンがいくつもあった。一番酷かったのは反原発デモのシーンだ。プラカードを掲げて歩いていたミキヒコとキエ(二階堂ふみ)は、途中でデモの列を抜けて笑いあう。この映画が震災間もない2012年に公開されたことを考えても、首を傾げざるをえないシーンだ。

 僕は別に、「日本人全員が反原発で一致しなければならない」なんてことは思っていない。震災以降、そうした意味での息苦しさは僕も感じていた。ただ、そのことを表現したかったとしても、「デモの列を途中で抜ける」なんて描き方をする必要があっただろうか。デモに対する距離感を描きたかったにしても、それはせいぜい、対岸で眺める程度でよかったはずで、わざわざ途中で抜けさせる必要なんてなかったはずだ。若手俳優の過去作をできるかぎり観ていこうと思っていたが、1本目から気が重くなってしまった。