10時過ぎに起きる。昼、豚肉の小間切れと野菜の炒め物を食す。午後はずっと週刊誌を読んでいた。今週出た週刊誌には、震災から5年目にあわせた記事が掲載されている。最初は「ああ、そういう記事が出る時期か」と眺めていたのだが、微妙にアプローチが違っていることに気づき、なるべく全部読んでみようと思って読み始める。読んでいるうちに日が暮れた。

 18時、コンビニでプロセスチーズを買って吉祥寺に出る。プロセスチーズを齧りながら列に並び、開場時刻を待つ。今日は前野健太ソロライブを観るべく、吉祥寺「MANDA-LA2」にやってきたのだ。店頭発売分のチケットを購入したこともあって、早めに入場して観やすい席を確保することができた。この会場は椅子とテーブルがある。トイレに行きやすく、テーブルにドリンクを置いておける席が確保できて満足だ。

 19時40分、ライブが始まる。前野健太はエレクトリックギターを携えている。チューニングを合わせながらボディを叩き、うねりのような音を響かせ、そのまま演奏が始まる。まったく新しい歌を聴いたような心地になる。普通のライブは、始まりがあって盛り上がって行き、クライマックスを迎える。でも今日のライブは、始まりもなければ終わりもなく、 “風が東に 吹くように”、あるいは“川が流れて 行くように”響いてくる歌だ。つまり、2時間なら2時間という公演の時間を超えた広がり――広がりというのは正確ではない、もっと巨大な時間の流れを感じさせる。

 一体この体験は何だろう。ハイボールを何杯かお代わりしつつ、ずっと興奮しながら歌を聴いていた。山や川や鍾乳洞といった自然を眺めているような感覚にもなった。それは、普通に眺めていれば穏やかな景色だが、そこに山が隆起してあること、水が集まって川になり海に注いでいること、何万年という途方もない時間が積み重なって鍾乳洞ができることを考えると、とてつもないダイナミズムを感じさせる。後半になるにつれ、前野健太の歌には熱がこもっていった。

 それはいつものことと言えばいつものことだ。おや、と思ったのは「興味があるの」を歌い始めたときのことだった。この曲を歌うとき、いつも前野健太はひときわ神経を研ぎ澄ませる。「君」への――その「歌」への気持ちを純粋な一粒に凝縮して、全身全霊で歌い上げる。


 愛をぐしゃぐしゃにまるめて
 口の中に出してもいいかな
 君の髪をなでていると
 僕は君のお父さんか君の子供にでもなったみたい

 君のふるさとの春を教えて
 君のふるさとの冬を歌って
 僕は君に興味があるの
 君の生きていることに興味があるの

 今日の前野健太も、全身全霊で歌ってはいた。ただ、その姿は、その歌は、一個の「私」を超えたものであるように感じられた。宇宙であるとか、大地であるとか、そういった大きな何かが前野健太という出口を通じて噴き出しているように感じられた。聴いていて少しゾッとするほどだった。ところで、今日のライブは急遽決まったものだという。これまでにも時々そうしてライブが行われてきたが、急遽決まったライブはいつも節目になってきたように思う。前野健太は、これからどこに向かうのだろう。


 そのMCがあったのも「興味があるの」を歌う直前だったような気がするが、お客さんは本当に純粋ですねと客席に語りかける一幕があった。別のライブで「ステージに上がってコーラスを」と客に参加を求めても、誰も上がってこなかったのだという。お客さんはただ純粋に僕の歌だけ求めていて、それ以上のことは求めていない、それはとても純粋だ――といった内容のことを、やや自虐的に語っていた。

 でも、それはその通りだろう。たとえ知り合いになったとしても、歌を媒介にして接するのが一番純粋な時間ではないかと思う。僕はつい体を揺さぶりながら聴いてしまうが、ほとんどのお客さんはじっと耳を傾けていた。そのほうが純粋であるような気が今日はした。ライブを観終えてすぐに帰る気持ちにはなれず、「ハモニカキッチン」でホッピーを1セットだけ飲んだ。