朝4時半に目をさます。歯磨きだけ済ませて、昨晩から温めておいたホッカイロを各ポケットにつっこんでホテルを出る。駅前のファミリーマートでコーヒーを買って、5時9分、始発の常磐線(広野行き)に乗車する。乗客は1両に一人乗っているくらいのものだ。窓の外はまだ真っ暗で、ほとんど街灯も見えない。10分ほどで四ツ倉駅に到着して電車を降りた。

 空は少し明るみ始めている。駅前からまっすぐ延びる道を歩いていく。信号機はまだ点滅していて、歩行者信号は消えている。犬を散歩させている人とすれ違った。しばらく歩いてバイパスを超えると、海はもうすぐそこだ。2年前の3月の朝、皆でこの海を訪れた。1年前の3月の昼下がり、僕はひとりでこの海を訪れた。そして今日もまた、同じ海を訪れようとしている。

 最後の道路を越えても、海は見えてこなかった。さっきからずっと見えていたそれは防潮堤で、荒波の音だけが聴こえている。防潮堤は完成しているようだが、まだ何か工事を行っているようである。看板を確認すると、どうやら道路を建設中であるらしかった。2年前に訪れたときは砂浜を歩くことができた。去年訪れたときはほぼ防潮堤が完成していた。訪れるたびに、少しずつ風景が変わっていく。砂浜には出られなかったが、防潮堤に立ってみると海と砂浜が見渡せた。15分ほど、ただ海を眺めていた。

 再び電車に乗って、いわきまで引き返す。電車に乗った時間がちょうど日の出の時間で、窓の外の風景が一気に赤く輝き出す。びっくりするほど力強い朝日だった。海辺で眺めていれば綺麗だったろうが、今日は午前中に東京へ戻らなければならない。ホテルでシャワーを浴びて、7時過ぎの特急ひたち4号に乗車する。ツナサラダとゆで玉子、それにヨーグルトで朝食を摂りながら、福島日報といわき民報を読んだ。

 ふと、昨晩INさんが言っていたことを思い出す。僕が鈍行電車でいわきまで来たことを話した流れで、「電車に乗って、車窓の景色を眺めてるのが好きなんです」と話すと、INさんは「それ、わかります」と同意してくれた。「常磐線の景色、いいっすよね」とFJTさんも言う。それに続けてINさんは、「常磐線だと、れんこん畑が見えますよね」と言っていた。

 僕はれんこん畑を見たことがなかった。そもそも、そんな話をしておきながら、僕は大抵高速バスかレンタカーでいわきを訪れているので、常磐線の景色には馴染みがないのだ。それで、どこにれんこん畑があるのかと、ウトウトしながらも車窓の景色に注意を払っていた。土浦が近づいてきたあたりでハッと目をさますと、そこにはまさしくれんこん畑が点在していた。しかし、注意して見ればたしかにれんこん畑であるが、漫然と風景を見ていてそれに気づけるだろうか。なぜINさんはれんこん畑に気づいたのだろう?

 10時、高田馬場に到着する。アパートで撮影機材一式をカバンに詰めて、すぐにまた出発する。まずは新宿に出て、サブカメラ用の三脚、それにSDカードを購入し、走って都営新宿線に乗り込んで九段下を目指す。11時、待ち合わせ時刻ギリギリになって二松学舎大学九段下キャンパスの前に到着すると、もう皆揃っているところだ。

 今日は13時から「楽しい漱石」と題したイベントが開催される。夏目漱石没後百年特別企画として二松学舎大学が企画したイベントだ。その第1部に青柳いづみさんが「夢十夜」のリーディングを行う――そのことは前から知っていた。ただ、そのイベントは事前に往復ハガキで申し込みが必要だったらしく、気づいたときにはその締め切りを過ぎてしまっていた。が、その後で青柳さんに会った際、「写真を撮ってもらえませんか?」とお願いされて、今日ここにやってきたというわけだ。

 大学の方に楽屋まで案内していただくと、さっそくリハーサルが始まる。リハーサルと言っても、今回は照明スタッフや音響スタッフがついているわけでもなく、どの程度調光が可能かを確認すると、すぐに青柳さんはマイクの前に立って朗読を始める。同時進行でヘアメイクを行いながら、リハーサルは進む。本番中はシャッター音が邪魔になるだろうから、このリハーサルのうちに写真を撮影しておく。

 12時の開場時間を迎える直前にリハーサルは終わった。僕は開場の下手側にスペースをいただいて、動画を撮影する(これも依頼されていた)。手元に夏目漱石の「夢十夜」を携えているが、基本的には本に目を落とすことなく朗読は進む。ただ、資料として読み上げるテキストが配られているせいか、お客さんの大半は舞台ではなく資料に目を向けている。

 1時間ほどでリーディングは終了した。カメラを撤収して楽屋に戻ってみると、青柳さんはどっと疲れた様子。相当緊張していたのか口数が多くなっていて、自分でも「あれ? 私しゃべり過ぎてる?」なんて話している。何の演出もつけられずに舞台に立つ青柳さんを見るのは今日が初めてだ。観客も「リーディング公演に来た」というよりも、「大学の行事に参加しにきた」といった雰囲気の人のほうが多く、アウェーといえばアウェーと言える環境だ。聞いた話によると、大学でイベントを開催するとき、参加してくれる人にはご近所の方が多いという。

 「今日、大丈夫でした?」と訊ねられて、「いや、大丈夫でしたよ。すごい良かったです」と咄嗟に答える。あ、咄嗟にそう答えてしまったと思い直して、「すいません、咄嗟には言い過ぎでした。でも、良かったですよ」と訂正する。そんなふうに普通に話ができるのは良いことだ。僕が驚いたのは、「夢十夜」から受ける印象だ。僕が「夢十夜」を読んだのは随分前のことだ。このリーディングの企画を知ったときから、「どうして青柳さんが?」と思っていた。「夢十夜を」と依頼があったのかもしれないが、青柳さんがリーディングをするのに向いた作品という印象はまったくなかった。

 でも、今日読み上げられた物語は、ここ数年青柳さんが演じてきた作品たちとあまりにも近いものがあるように感じられた。そのために書かれていたのではないかと思えるのほどものもあった。そう感想を伝えると、「そうね、そういう話を選んじゃったってこともあるけど」と青柳さんは言っていた。ちなみに、今回のリーディングに向けて漱石の作品を読み返したそうだが、青柳さんの中で一番印象が違っていたのは「こころ」だという。それは少し意外だった。僕の中では、「こころ」の印象が一番ハッキリとあるからだろうか。

 機材を担いで会場を後にする。本当はこのまま投げ銭制のライブを観に行くつもりだが、どっと疲れてしまった。それに、カメラを数台入れたリュックと3つの三脚を抱えて出かける気力は湧かず、アパートに帰ることにする。電車の中でツナサラダとゆで玉子とヨーグルトを食べたきりだが、意外とお腹は減らなかった。17時過ぎ、知人と近所の居酒屋に出かけ、ホッピーで乾杯をする。