11時過ぎの新幹線に乗って、京都へ出かける。東海道新幹線に乗るときはいつも崎陽軒シウマイ弁当を食べてきたし、そのことは『文學界』の原稿にも書いた。が、糖質制限下の暮らしを送っている今は、シウマイ弁当を食べることができなくなってしまった。“先生”によれば、「あの弁当は糖質の塊」だという。シウマイ弁当のない東海道新幹線はつまらなくって、京都まで長く感じた。

 京都に到着して、まずはホテルに荷物を預ける。地下道を通って、南座に出る階段を上がっていると、何かに見とれている人たちが立っている。地上に出てみると、南座の前であばれる君と中川翔子がロケをしているところだ。それをすり抜け、まずは祇園を散策する。雨がぱらついていたので、コンビニに入って傘を買おうとしていると、突然傘を叩かれる。ギョッとして振り向くと、見知らぬ人が立っている。一体何だろうかと戸惑っていると、僕が手にしている傘の絵の部分を握り、揺さぶってきた。

 この状況はどういうことなのだろう理解できずに立ち尽くしていると、その女性は僕の背後に目を遣り、「ああ」といった表情でそちらに歩いて行って傘を手にした。中国なのか台湾なのか韓国なのかはわからないが、外国の人なのだろう。本当にギョッとさせられる。僕は中国でも台湾でも韓国でも、世界中どの国に出かけたって、そんな振る舞いはできないと思う。

 今更彼らを非難するつもりもないが、とにかく気になるのは、「どうして自分はヨソの土地であんなふうに振る舞えないのか」ということである。国内・国外を問わず、どこか知らない街に出かけるたび、その街のコードばかり気にして過ごしている(気にしているというだけで、僕がそのコードをちゃんと把握して振る舞えているかというの別問題だが)。でも、外国人観光客を見ていると、そんなことはおかまいなしだという人をよく見かける気がする。これは東アジアの人に限らず、白人だってそうだ。

 もちろん、バブルの時期に日本人が顰蹙を買っていたということもあるだろうが、旅先で図々しい振る舞いをする人の比率は少ないのではないかという気がする。これは別に、日本人の美徳だとも思わない。日本人はどうしてこんなに人の顔ばかり伺っているのだろうかと思うだけである。“愛国心”に溢れる人も、しばしば「海外でこんなに評価されている」という話を持ち出すことがままある。

 祇園の細い道を、道一杯に広がって歩いてくる集団が多くいる。僕は特に避けずに歩く。別に外国人相手だからそんな振る舞いをしているわけではなく、高田馬場を歩くときだってそうしているだけだ。途中、着物姿の若い女性に大挙してカメラを向けている外国人観光客たちがいた。道行くお姉さんを勝手に撮影しているのかと思いきや、着物姿の女性は彼らと同じグループの外国人観光客であるようだ。

 この日、着物姿の女性を大勢見かけた。その半分以上は外国人観光客であるらしかった。彼らは、口を開かなければ、何人であるのかよくわからない。「自撮り棒を持っているのはきっと外国人だろう」と思って歩いていたが、自撮り棒で写真を撮っていた着物女性が日本語を話しているなんていう風景にもよく出くわした。結局のところ、日本人も外国人もないのだ。今はもう、祇園にくれば皆レンタルの着物を――夏休みの花火大会で中学生が着るような柄の着物を――身にまとって、自撮り棒で記念写真を撮る。国を問わず、それが“普通”だというだけの話だ。

 僕は祇園を歩きながら、どこで昼食を食べようかと悩んでいた。糖質制限なんてことを言い出してしまったせいで、入れる店がないのだ。入る店を見つけられないまま八坂神社まで出てしまったのだが、鳥居の向こうに「すじ焼き」という看板の屋台が見えたので、それを昼食代わりにすることにする。ある意味では関西らしい食べ物でもある。

 境内には他にもいくつか屋台が出ていたが、「蟹肉棒」なんて店まである。屋台と言えば、21世紀に入ったころからケバブやら韓国料理やら多国籍化が進んできた。が、外国人観光客が増えたおかげで、今また新たな進化を果たしつつあるようだ。韓国や台湾で「蟹肉棒」を見かけても違和感はないが、神社の境内でそれを見ると斬新だ。外国人観光客の人はこぞって列を作っているが、もっと日本ぽいものを食べなくていいのかと心配になる。

 小腹を満たしたところで、八坂神社を後にする。ここに来るたび、永山則夫のことを思い出す。まだ酒を飲むには少し早く、「何必館」という美術館に入ってみる。「村上華岳、山口薫、北大路魯山人 三人展」という展覧会が開催中だ。美術には明るくないので、魯山人以外の二人については名前も知らなかった。

 順路をたどってゆくと、まずは村上華岳の作品が展示されている。「枯枝に志めてう」という絵を見ていると、その不思議な奥行きに引き込まれる。西洋的な立体感が描きこまれているわけではなく、平面的に描かれているのだが、なぜか奥行きを感じる。それから、タイトルをメモし忘れてしまったが、山の峰を描いた絵はびっくりするくらい現代的だ。

 何より印象的だったのは、パネルで展示されていた村上のテキストだ。

   無事是貴人

 なんというあわたゞしき人の姿だらうか。
 私は「静さ」を最も愛する人間である。静さのなかにほんたうの「動」を感じるのだ。無暗に人生の外側を走り廻っても何にも得る所はない。其處には「力」もなんにも見出されない。何等根深いものがないのだ。
 悠然と山を見ている所に本當の「動」が感じられる。この境地にあれば、朝に生まれて夕べに死んでも後悔はない筈である。

 次に展示されているのは山口薫(1907-1968)の絵画だ。最初の絵は「花の像」という題の絵画で、1937年の作である。コラージュを交えたアヴァンギャルドな絵だ。輪郭がはっきりしている。が、戦後の作品になると急激にタッチが変わり、一つ一つが溶け合ったような風景が描かれている。僕が一番ギョッとしたのは「おぼろ月に輪舞する子供達」。すいこまれるような絵で、しばらくその絵を眺めていた。後になって、こうした書き出しで始まる館長のテキストを読んだ。

 昭和四十三年五月、第八回現代日本美術展が上野の東京都美術館で開かれていた。私が山口薫の『おぼろ月に輪舞する子供達』と題された作品と出会ったのは、その会場であった。

 絵の前に立った瞬間、血の気がスーッと引き、背筋が冷たくなるのを感じ、私のからだは凍りついた。現世と来世を写したかのような、死を自覚した作家自身の葬送。その透明感のある画面が、私にはまるで山口薫自身の「来迎図」のように見え、直感的に山口さんの死を感じた。

 すっかり満足して「何必館」を後にする。それでもまだ酒を飲むには早いので、久しぶりに寺でも見物してみることにする。自分は何を観たいだろうか。最初に頭に浮かんだのが、口からぼえーと吐き出している空也の像だ。調べてみたら、さほど離れていない場所にある六波羅蜜寺に所蔵されているとのことなので、歩いて出かけることにする。