伊丹空港へと向かうリムジンバスが、別のバスを追い越す。「がんばれ常総学院」という文字が窓に貼られている。まだ暗いうちに出発してくたびれているのか、応援団の学生たちは皆夢の中だ。那覇空港に到着してタクシーに乗り込むと、常総学院の選手が盗塁を決めている。

 今日は「output」というライブハウスの4周年を記念して、「output」(キャパ150人)およびそこから徒歩5分ほどの場所にある「ナムラホール」(キャパ1500人)の二つの会場をまたいだイベントが開催される。僕の目当てはZAZEN BOYSだ。もう一つ、水曜日のカンパネラが出演するというのも楽しみにしていた(どんなものだろうかと気になっていた)のだが、調べてみると「インフルエンザのため出演中止」と発表されている。

 その二つのバンドは「ナムラホール」に出演することになっていたが(ZAZENが大トリ)、水曜日のカンパネラが出ないのであれば、それまではずっと「output」で過ごすことにする。会場時間になるまで、「output」の向かいにあるバルのような店で酒を飲んでいた。テラス席にはおっさん3人組が座っている。1分ごとに店員さんを呼びつけ、「さっきのアイス、まだ?」だの「お姉さん、電話番号を教えて」だのやっている。

 僕はその客をずっと睨みつけていた。こういうタイプの沖縄好きの人間が心底嫌いだ。通りがかった中学生に「ちゃんと勉強しろよ」なんて話しかけて、「沖縄にくると、人との触れ合いがあるからいいよな!」なんて言っている。別に東京でだって人と増え合えばいいだろう。どうして「旅の恥はかき捨て」とばかりに下品な振る舞いばかりするんだ。

 「output」に入ってみると、上手側の最前列あたりに柱があって、その前にスッポリ入れる空間があった。僕はそこに隠れるようにして、ずっとライブを観ていた。最初に登場したよしむらひらくの存在感からして目が釘付けになる。何曲目かに「ぼろぼろになりたい」という曲を歌っていたが、その姿を見ていると、この人は本当にぼろぼろになりたいのだという感じがした。歌えば歌うほど、その眼光は鋭くなってゆく。冷静でありながら何かを沸騰させている姿を見ていると、この人は舞台上でしか満足できない人なのだろうなと思わされる。雑な言い方になるが文学的な佇まいだ。その「文学的」ということは社会的な約束からははみ出してしまうかもしれないが、でも、その姿にはかけがえのないものが詰まっている。

 もう一つ印象的だったのはNegiccoだ。高校生のときに好きだったアイドルがいたせいなのか、それ以降はどんなにアイドル文化が盛り上ろうが「自分には無縁なものだ」と思って触れずにきたが、ほぼ最前列でNegicco(及びファン)の姿を眺めていると、なんて素晴らしいライブだろうという気持ちになる。舞台と客席とのあいだに、幸福なフィクションが成立している。観客はアイドルを求める。アイドルは笑顔で歌って踊っている。

 「笑顔」と書いたが、厳密に言えばそれはもう笑顔ではないだろう。10数年のキャリアを持つ彼女たちの笑顔を間近に眺めていると、それは笑顔というものを突き抜けた表情だ。アイドルには客席から熱い感情が投げかけられる。それを受けとめ続けるアイドルの表情には、何かが凝縮されてゆく。それは清水アキラやコロッケが大げさにモノマネをする構造に近いものがあるのではないか。歌謡曲を歌う人たちは、民衆の様々な気持ちを凝縮させて歌い、表現する。そこには過剰さが生まれる。その過剰さを、あのモノマネは捉えている。

 さらに印象的だったのは、次に登場したBiSHだ。彼女たちがステージに立つ段になると、狭い会場はほとんどそのファンで埋め尽くされていた。ライブが始まった瞬間、客席のボルテージが一気に最高潮に達する。スピーカーの音も相当なボリュームに設定されている。観客は拳を突き上げ、時にリフトされ、彼女たちに向けて手を伸ばし続ける。これまで観たすべてのライブの中で――いや、すべての現場の中で――一番「おそろしい」と感じた。これはもちろん褒めているつもりなのだが、ほとんど暴動のようなエネルギーを感じた。男性だけでなく、女性のファンもいた。彼女たちをあそこまで突き動かしているものは、あれだけの熱がうごまいているこの現場は一体何なんだと圧倒された。撮影自由だとアナウンスがあり、数枚写真を撮っておいた。

 20時、ZAZEN BOYSを観る。「6本の狂ったハガネの振動」に始まり(一時期は演奏されなくなっていた曲だが、最高に格好良いアレンジになっている)、最後は「Asobi」で締めくくられる。アンコールを待つあいだ、僕はバーカウンターに移動して泡盛のおかわりを注文した。そのタイミングでメンバーが舞台上に登場する。アンコールは何だろう、「Kimochi」あたりだろうか――そう思いながら最後列で泡盛を流し込んでいると、「MATSURI STUDIOからやってまいりました、ZAZEN BOYS」と向井秀徳が短く語る。ドラムの松下敦がスティックで4つカウントを取ると、演奏され始めたのは「自問自答」だ。その選曲にギョッとして、泡盛をこぼしそうになる。

 「自問自答」で締めくくるライブを観たのはいつぶりだろう。その歌を聴いているうちに、涙がとまらなくなってしまう。年で涙もろくなっているのはあるが、それだけではない。この曲は、ナンバーガールを解散した翌年、ZAZEN BOYSとして初となるライブで最後に歌われた曲だ。それは向井秀徳による所信表明のような曲だとも言える。

 その最後に、こんな歌詞が登場する。

日曜日の真っ昼間 俺は人混みに紛れ込んでいた 強ーい日差しが真っ白けっけの店ん中に混ざり込んでいた
若い父親と小さい娘がなんか美味そうなもんにかじりついていた
笑っていた ガキが笑っていた
なーんも知らずにただガキが笑っていた 純粋な、無垢な、真っ白な、その笑顔は
汚染された俺等が生み出したこの世の全てを何も知らずにただ笑っていた
新宿三丁目の平和武装や 片目がつぶれた野良猫が発する体臭や
堕胎手術や 30分間25000円の過ちや
陰口叩いて溜飲を下げとる奴等や 徒党を組んで安心しとる奴等や
さりげなく行われるURAGIRIや 孤独主義者のくだらんさや
自意識過剰と自尊心の拡大や 気休めの言葉や 一生の恥や 投げやりや 虚無や

くりかえされる諸行無常

 ここに出てくる「徒党を組んで安心しとる奴等や」という言葉と、(時に自分のことを親指でさしながら歌われることもある)「孤独主義者のくだらんさや」という言葉に強く滲んでいるように、向井秀徳はどこにも属さず、ただ一人で立っている。不偏不党という言葉が浮かんでくる。そんなスタンスで、こんなにも格好のよろしい曲をぶちかます姿にヤラレて、僕はこれだけ夢中で追いかけてきたのだ。そのことを改めて思い出す。それと同時に、この一ヶ月、僕は何をしょうもないことでやさぐれていたのだろうという気持ちになる。

 僕は、どこかのコミュニティに属することもなく――言い方を変えれば属することもできず――、どこかのジャンルに属することもなく、それを良しとして生きてきたはずだ。この一ヶ月、「どうしてあのドキュメントに対して誰も反応しないのか」なんて勝手にやさぐれていたけれど、お前はそういうふうに過ごしてきたのだろう、だったらそれを引き受けろやと、「自問自答」を聴きながら自分自身に思う。そんなことを考えていたら涙が止まらなくなった。悲しくなったのではなく、決意を新たにして会場をあとにする。