沖縄滞在2日目

 朝7時半に起きて、ホテルを出発する。久茂地でレンタカーを借りて、クルマを走らせる。「重そうな雲やね」と知人が言う。「重そう?」と聞き返すと、「夏っぽい雲でぎゅっとしちょる」とあほみたいなことを言う。車内にはラジオ放送が流れていたのだが、しばらくトンネルが続き、音が途切れてしまった。僕らが借りたクルマはアイフォーンにケーブルで接続できるので、知人に「何かかけなよ」と伝える。丸山担である知人のことだから、関ジャニ∞の爽快な曲をかけてくれるのだろうと思っていると、流れてきたのはジャニーズWESTの「ジパング・おおきに大作戦」だった。

 お前の関ジャニ愛はそんなもんかよと揉めているうちにみーばるビーチに到着する。まだ少し時間があるので、ヤハラヅカサを見学するべくクルマを走らせる。ヤハラヅカサというのは、アマミキヨニライカナイから渡来した場所に建てられた碑であり、海の中にある。しかし、梅雨が開けたばかりということもあり、草が生い茂っている。ハブがいたらと心配で、ヤハラヅカサを見るのは諦めることにする(遠目には見ることができたけれど)。時間も近づいてきたところで待ち合わせ場所である駐車場に引き返していると、向こうからトラックが走ってくる。そのトラックはよく見ると馬運車で、扉が開くとヨナグニウマが降りてきた。

 ヨナグニウマを見るのはこれが初めてだ。知人に「沖縄で何がやりたいか」と話したとき、二つ目に出てきたのが「馬に乗りたい」ということだった。みーばるビーチでは、(予約が必須ではあるが)ヨナグニウマと海馬遊びが堪能できる。馬と一緒に海中散歩ができるのだ。馬は世界で一番高貴な生き物だと語る知人は、馬見たさに競馬場に行くほどである。結構値が張るので一人ぶんだけ申し込んでいたのだが、二人一組で遊ぶものだったらしく、別の女性の到着を待つ。ほどなくしてその女性もやってきて、ライフジャケットと専用の靴を身につけ、海馬遊びが始まる。

 僕は近くで写真を撮るつもりでいたのだが、馬はずんずん沖へと進んでいく。せいぜい膝下あたりの深さで遊ぶものかと思っていたが、腰のあたりまで水につかるほどだ。水着でくればよかったと後悔する。先にもう一人の女性が馬に乗り、知人は馬のしっぽを掴んで海に浮かんでいる。馬といえば気性が荒く、後ろに立つと蹴られるというイメージがあったが、ヨナグニウマはしっぽを掴んでも怒らないのだという。ただ、しっぽを掴んで海を漂っているあいだ、知人は3度ほど糞をされていた(糞は係りの人が網で回収する)。15分ほど経ったところで、今度は知人が馬に乗る番だ。すると、さっきまでは順調に海中を歩いていたヨナグニウマがまっすぐ進まなくなる。馬を先導する係りの男性のシャツをはんだりしている。知人はずっと緊張した様子でまたがっている。

 60分ほどで海馬遊びは終了した。陸に上がると、ヨナグニウマは砂浜をゴロゴロ転がり始める。海に入ったあとはどの馬も必ずそうするのだという。犬のように毛が長くないので、ぶるぶる体を震わせても水が払えず、砂で水気を切るのだろう。感想を訊ねると、第一声で「ちっちゃかった」と知人は言う。「ちっちゃいんやけど、ぎゅってやってもビクともせん。一頭はパルムちゃんって名前で、優秀やったけんデビューが早かったんやって。で、もう一頭はちょっとわがままやけ、今はまだ修行中って」

 「ああ、だから途中で係の人の服を噛んだりしよったってこと?」

 「違う、あの子がパルムちゃん」

 「え、優秀な子のほうであれだったん?」

 「うん。もう一人の女性は乗馬経験があるらしいから、私の乗り方が下手やったってことだと思う。乗るのは難しかった。ずっと難しかった。体が細いから、バランスとるのが難しくて。でも、かわいかった。途中でちょっと休憩する時間があったんだけど、じっとしちょった。とにかくじっとしちょる。それでね、海の中で寝て、鼻が水につかってぶるぶるってなりよった。ぶちかわいかった」

 ヨナグニウマという名前を初めて耳にしたのは3年前の6月に沖縄を訪れたときのことだ(あの旅がきっかけで、その後何度も沖縄を再訪することになった)。あのとき、小学校1年生の男の子が詩を朗読するのを聞いたのだが、その一節に「よなぐにうまが、ひひーんとなく」という一節があったのである。それで、知人にウマは鳴いたかと尋ねてみたが、「鳴きやせん、何も言わん」とのことだった。

 着替えを終えたところでクルマを走らせ、奥武島へ。みーばるビーチからすぐ近くにある小さな島だ。ここは天ぷらが有名だと話に聞いていたので、少し立ち寄って食べてみることにする。橋を渡ってすぐの場所にある天ぷら屋で、もずく、アーサ、ウインナー、それにぐるくんの天ぷらを購入し、ベンチで食べる。そこには猫がたむろしており、匂いを嗅ぎつけてすぐに近づいてくる。壁には「猫に天ぷらを与えないでください」と注意書きがあるので、近づいてくる猫の首のあたりを手で制御すると、猫はその姿勢で固まる。「ちょっとでいいんで、食べさせてもらえないですかね」と、じっとしたまま訴えてくる。

 島の対岸には「くんなとぅ」というもずくそばの店があった。ここで昼食をとることにする。テラス席を選んで座り、知人はビール、僕はノンアルコールビールで乾杯をする。海にはこどもたちの姿があった。桟橋には高校生が立ち並んでいて、何やら盛り上がっている様子だ。「いいなあ、あそこで飛び込む人生を送りたかった」と知人が漏らす。「今日の夜はヤリまくるんやろ。生まれ変わったら、ああいう人生を送りたい」と。眺めていると、男の子たちが一人また一人と飛び込んでいく。その姿を眺めていると、あそこにいても、僕は怖くて飛び込めないんじゃないかという気持ちになる。いや、そもそもあのグループには属せず、家でマンガでも読んで休日を過ごしているだろう。

 次の目的地はひめゆり平和祈念資料館だ。駐車場にクルマを停めて資料館に向かうと、塔の前に制服姿の高校生が並んでいてぎょっとする。生徒会長とおぼしき女の子が何か語っている。資料館の見学を前に、千羽鶴を奉納しているようだ。知人に言われて、女の子たちがほぼ全員同じ髪型であることに気づく。髪の短いごく数名をのぞくと、ほぼ全員が分け髪だ。沖縄県立第一高等女学校の2年生は、ある時期から分け髪にする規則となった。それにあわせて「分け髪で見学するように」と教師が命じているのだろうか。だとしたら最悪のセンスだ。

 高校生たちに囲まれて展示を見る。パネルには「生徒たちは、短期間で日本軍は勝利し、すぐに学校に戻れると思い、戦場にさまざまな学用品を持って行きました。筆箱、下敷、万年筆…、生徒たちは戦場も学校の延長戦場にあるものだと考えていました。動員先でも日記やメモがとれると思っていたのです」と書かれており、洗面用具やがま口、眼鏡やクリーム壜、再訪用具、三角定規、定期入れ、櫛、鏡などが展示されている。その鏡を、ひとりの女の子がのぞきこみ、前髪を整えるそぶりをする。ほんとうに、これくらいの気持ちのまま戦場に駆り出されたのだろう。

 展示の最後には、卒業アルバムのようにしてひめゆり学徒隊の女の子たちの写真が一面に展示されている。いつもこの部屋を一番長い時間見学してしまうが、知人はさらりと見て部屋を出た。クルマに乗ったあとで、「あの部屋はちょっと、『むりむりむり』ってなった」と知人は言う。「写真だけじゃなくて、その人がどういう人だったかっていうパーソナリティーが書かれてるじゃん。その上に、戦争のときにどこに配属されてるかも書かれてるけど、最後が全部『死亡』なわけじゃん。だからもう、途中で見れないなってなった。この子たちは全員死んだんだ、って。これ以上見たら号泣しちゃって、周りの高校生から『ババアが号泣してる』って思われると思って」。

 亡くなったひめゆり学徒隊の中には、ぼんやりとした写真しか残っていない子もいる。プロフィールも簡潔に「物静かでやさしい人だった」とだけ書かれていたりする。その子は6月17日、伊原第一外科壕で被弾した。大腿部をもぎとられ、「当美ちゃん、脚がない」と言って息耐えた。そう書かれている。米兵に「私は皇国少女だ、殺せ」と詰め寄り、眉間を撃たれて亡くなった子もいる。一緒にいた学友たちに「私にかまわず早く行きなさい」と繰り返し言っていて、そのまま消息不明になった子もいる。皆死んでしまった。

 見学を終えると空港を目指した。僕も知人も、今日は飛行機に乗る予定はないのだが、次の目的地を考えると、確実に空きがあるであろう空港に駐車場にクルマを停めて、ゆいレールで移動するほうが得策だと思ったのである。空港までの移動中、知人はウトウト眠っていた。そこからゆいレールに乗り換えたときも、窓の外を眺めながら笑っていた。何で笑っているのかと訊ねると、「わからん。疲れ過ぎて笑顔になる」と知人は言う。奥武山公園でゆいレールを降りる。ここで降りる人がたくさんいた。今日は奥武山公園の陸上競技場で県民大会が開かれているのだ。

 大会の正式な名前は「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」(主催・オール沖縄会議)である。元海兵隊の軍属の男がうるま市に住む女性をレイプし殺害した事件を受けて、今日の14時から開催されている。今回の県民大会では、被害者を追悼すると同時に在沖米海兵隊の撤退などを求める決議案を採択するという。

 6月19日に県民大会が開催される――そのことはニュースで知っていた。しかし、当初の計画では昨日と今日のスケジュールが反対で、今日は朝から夕方まで座間味にいるはずだったから、すっかり忘れてしまっていた。それが今日の朝、レンタカーを借りる際に、受付の男性から注意を受けた。「それから、今日はですね、この奥武山公園で県民大会が開催されますので、周辺の道路が混み合う可能性が高いです」と言って、男性はボールペンで地図に印をつけた。その言葉を聞いた瞬間に、行くつもりはなかったけれど、ちらりとでも県民大会に出かけようと決めていた。

 知人には何も言わないまま電車を降り、陸上競技場を目指した。かき氷の売店があり、小さい女の子がおいしそうにイチゴ味のかき氷を食べている。すぐに汗が噴き出してくる。僕はあまり汗をかかないほうだけれども、それでも腕の毛穴という毛穴に水滴ができる。「怒りは限界を超えた」と書かれた紙を配っている男性がいるが、それは受け取らなかった。号外を配る人もいたが、一面の言葉が直接的にこの大会のことではなさそうだったので、これも受け取らなかった。人の流れに沿って5分ほど歩くと、陸上競技場が見えてくる。隣の建物からは声援が聞こえる。そこには屋内プールがあり、水泳大会が開催されているようだ。陸上競技場はというと、陸上競技場の外にも多くの人が溢れている。

 どこが入り口なのかわからず、まずはフェンス越しに歩く。陸上競技場の中からは誰かの演説の声が聞こえる。フェンス越しに、食い入るように大会の様子を見守る人もいれば、テントを建てれのんびり過ごしている人もいる。ちびっこの姿もよく見かける。まさしく県民の大会だという感じがする。もちろんこの暑さが大きく影響しているのだとは思うが、どこかのどかだ。もちろん、この暑い中を集まっているのだから、誰もが切実な思いを持って集まっているのはわかる。しかし組織化された動員というのではなく、皆が熱心に何かを主張し訴えているというもではなく、ひとりひとりがひとりひとりの思いで集まり、ひとりひとりの時間を過ごしているというのが他の地域で行われる政治集会とは違っているように感じる。

 歩いていると、また別の人が演説を始めた。若い女性であるらしかった。その女性は涙ながらに語っている。その女性の言葉に、また壁を感じる。彼女が語ったのは、こういう言葉だ。「安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の『第二の加害者』は、あなたたちです。しっかり、沖縄に向き合っていただけませんか。いつまで私たち沖縄県民は、ばかにされるのでしょうか。パトカーを増やして護身術を学べば、私たちの命は安全になるのか。ばかにしないでください」。その言葉を言わせたのは、これまでの歴史であり、今の状況であることはわかる。しかし、その言葉は悲しかった。たしかに、この県民大会のことだって、東京のニュースでは沖縄の何分の一くらいしか報じられないだろう。そんなことがずっとくりかえされたからこそ、その言葉が出てきてしまったのだろう。僕は別に、自分が加害者呼ばわりされたことが悲しかったのではなく、そんなふうに敵を作ってしまうことが、敵を作らずにはおれない状況というものが悲しかった。知人は「重々しかったね」とだけ言った。

 空港でアイスコーヒーを買って、再びクルマを走らせる。こういう気分のときはいつも向井さんの歌が聴きたくなる。ネットにアップされたブートレグの「6本の狂ったハガネの振動」(昨年のライブ音源)を聴きながら走っていると、知人が「風景に合わんのじゃあ」と嘆く。もっと、サザンとかのほうが風景に合うはずだと知人は主張する。しかし、サザンはサザンで沖縄とも違う海の歌だろう。そう答えると、知人はSPEEDを流し始めた。

 知人も一緒に歌う「BOSY & SOUL」を聴いているうちに、安室奈美恵が聴きたくなった。何となく「NEVER END」をリクエストして流してもらう。沖縄サミットのテーマソングだった曲だ。なんだかぼんやりした曲だったという印象しかなかったのだが、今聴いてみると素晴らしい曲だ。この沖縄の土地でサミットが開催されるということもしっかり踏まえた歌詞になっているし、なにより普遍的なことが描かれている。運転していて思わず泣きそうになる。エモーショナルな衝動に駆られ、そこから「あかり from HERE」と「青い闇」を流してもらっているうちに、平和祈念公園にたどり着く。

 健児の塔を経由して、海を目指す。階段を降りていると、足元で何かが蠢いているのが見える。普段はあまり人通りがないせいか、そこにはヤドカリたちがたくさん生息していて、人影に驚いて逃げてゆく。申し訳ない気持ちで歩き、浜に出る。今日の朝に出かけたみーばるビーチからは10キロほどしか離れていないが、海の雰囲気は全然違っている。沖縄を訪れるたび、そのことに新鮮に驚いてしまう。この海は波の音が強く、しかも途切れることなくざーーーーーっと音が響いている。

 戦局が悪化したとき、軍の本部はこの摩文仁の丘に移った。解散命令が出たあとにはこの海で亡くなった人も大勢いるのだということだけ説明して、海を眺めて過ごす。駐車場まで戻ったあとは、売店ブルーシールのアイスクリームを食べた。広場にはもう、4日後に開催される慰霊祭に備えてテントが貼られている。その日には来られないからか、平和の礎の前でピクニックのようにして過ごしている家族も何組か見かけた。4日後には大勢の人がこの場所を訪れ、僕はその風景を眺めることになるのだと思うと不思議な心地がした。

 18時、レンタカーを返却してホテルに戻る。シャワーを浴びて身支度をしているあいだは「NEVER END」を繰り返し聴いていた。知人がシャワーを浴びているあいだに歌っていたら、「抑揚のない歌声が風呂にまで聴こえてきたけど」と言われて恥ずかしかった。何でそんなずっと聴いているのかと知人は不思議がるが、一度気に入った曲は何度も、何度でも聴いていられる。僕にとって不思議なのはむしろ、音楽というものは繰り返し聴かれることが比較的多いのに比べて、テレビや演劇の場合はそれが一般的ではないということだ。僕はテレビも演劇も、気になったものは何度も観てしまう。訪れた場所もそうで、同じ場所をこうして何度も再訪している。これは一体、どうしてなのだろう?

 19時にはホテルを出て、夕暮れの国際通りを歩く。知人は那覇に泊まるのは初めてだから、国際通りを歩くのも初めてだ。そこから牧志公設市場を軽く冷やかして、路地にある立ち飲み屋に入った。内装もおしゃれで、コンセプチュアルな店だ。知人は泡盛ソーダ割りを、僕は墨廼江を注文した。一番好きな日本酒に、まさか沖縄で出会えるとは思わなかった。メニューには三角揚げやいぶりがっこもある。店主はきっと東北出身だろうと思って訊ねてみると、まさしく宮城出身であった。

 店には「補助犬受入可」のシールが貼られていた。補助犬を必要とする人は、どうやってこのシールを確認するのだろう――そんなことを考えていると、隣にいた地元のお客さんが「この店はきれいな人が多いねー」と話しているのが聴こえてきた。「褒められとんで」と小声で伝えると、「私じゃねえけど」と知人は言う。

 「そうやね、俺の補助犬やけんね」

 「うん」

 「酔っ払ったときに補助してもらわんといけんけ」

 「補助なんかできんけど」

 「何でよ。道知らんけ、『ホテルはどっちでしたっけ』って二人で路頭に迷うことになる。だいたい、何で沖縄の店で墨廼江なんか置いてんのよ。こんな酒があったら飲み過ぎることになって、後がこええけど」

 その時点で既に墨廼江を2杯飲んでいた。たしかにピッチが早くなっている。今日はこのあと、昨日と同じ安里にある居酒屋を予約している。ガイドブックなんかでもよく紹介されている沖縄料理屋だ。昨日と今日、いわゆる沖縄料理を食べていないが、知人は明日の朝に帰ってしまうので予約しておいたのである。20時半、その沖縄料理屋「うりずん」に入り、ビールと泡盛で乾杯する。

 「で、どうだった?」と訊ねてみる。

 「楽しかったけど、もふがアテンドするだけあって、沖縄のリゾートを満喫するって感じじゃなかった」と知人は言う。「私は完全にリゾートの気持ちできたけど、ときたま無言で重いもんを挟んでくる」

 「それはでも――それはそうなるやろ。別にさ、その重いもんを軸に旅程を組んだわけじゃないけど、ウミガメと泳ごうと思って座間味に行けば、ああそうだ、あの山の中に碑があるんだったなと思うし、海馬遊びをするためにみーばるビーチに行こうとしたら、その途中に平和祈念公園もあるしひめゆりの塔もあるよなって思うやろ。だから、別にそういう場所を選んだとかってことじゃなくて、沖縄が全体的にそうであるって話だよそれは」

 「うりずん」のツマミはどれもうまかった。酒が進んだ。何杯目かの泡盛を飲んだところで、県民大会の話になった。知人は「何の意味があるんやろうと思った」と言った。こんなに暑いのに、あんなにたくさん人が集まってるし、何でそれが開催されることになったのかってこともわかるけど、あの伝え方では東京の人を巻き込めないじゃん、と。知人の感想は率直なものだし、自分の気持ちを誠実に語っているのだろう。だからこそ、今日の大会で「日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の『第二の加害者』は、あなたたちです」という言葉が語られたのだろう。

 あの県民大会は、東京ではニュースの一つだ。その状況の中で、知人のような感想が生まれるのも当然だろう。一方で、「今回の事件の『第二の加害者』は、あなたたちです」と語っていたあの女性もまた、そこに断絶があることを知っているからこそ、そんな語り方をしたのだろう。その断絶の中で、僕の頭は混乱する。知人の言う通り、今の方法では断絶はなくならないだろう。県民大会は過去にも繰り返し開催されてきた。しかし、状況は改善されることがなく、今回の悲劇がある。これを改善するには、別の伝え方が必要なのは確かだ。でも、でも、どうして沖縄の人ばかりが伝え方を考えなければならないのかと思うと、僕はたた俯くことしかできなくなる。この状況は、沖縄の人が選択したものではないのだ。それに、今回の大会には翁長知事も出席しており、採択された決議を政府に伝えることになっている。国とトップと県のトップがやりとりをして改善されないとすれば、他にどんな道があるだろう?

 伝え方ということについて考える一方で、思い出したのは圧倒的な存在感のことだ。あの場には6万5千もの人が集まっていたのだという。会場に滞在しているあいだ、その存在感に僕は圧倒されていた。壇上では演説が行われ、ときどき拍手や「そうだ!」と声も挙がるが、聴衆はただその場所に集まり、静かに座っている。しかも、組織的に動員されたわけではなく、ほんとうに、それぞれが集まってきたという風景だった。会場で知人に「フェスだね」と伝えると怪訝な顔をされたが、それはそういう意味だった。聴衆は静かに、しかし思いを持って、そこにいる。別に何かを声高に叫ぶわけではなく、ただそこにいる。その言葉のなさ、静けさが印象的だった。その静かな憤りに、僕はハッとされられた。

 「うん、だからびっくりした」と知人も言う。「年代もまちまちだし、組織としてきてる感じでもなくて、ほんとにただ親子できてるみたいな感じだったから。でも、全員黒かったじゃん。その黒さも、フォーマルな感じで黒ってわけじゃなくて、本人のできる範囲の黒って感じで、『日傘は黒を選びました』とか、『黒いTシャツにしました』とかっていう感じだったじゃん。それで、あんなに暑い中、静かに座ってて……。ああいう感じは、広島ではあるかもしれないけど、山口ではないわけ。なんかのために、あれだけの人が集まるって。そこはほんとうにすごいなと思ったし、びっくりした」

 泡盛を3合飲んだところで「うりずん」を出た。既に腹は膨れているが、駅前にあるスタンドのような沖縄そば屋に入る。座間味でも、それに今日の昼も沖縄そばを食べているが、1杯はよもぎそばで、もう1杯はもずくそばであった。「あれはあれで美味しかったけど、紅生姜がのってるような普通の沖縄そばが食べたい」と知人が言うので、しめに食べることにする。出てきたのはまさしく普通の沖縄そばだ。知人はうまそうに汁まで飲み干した。