沖縄滞在3日目

 朝6時に目を覚ますと、すぐに原稿のチェックに取り掛かる。誤字・脱字がないか。レイアウトに乱れはないか。チェックしているうちに知人は身支度を済ませ、東京に帰る。僕はホテルをチェックアウトすると那覇バスターミナルへと向かって、9時57分、名護行きの高速バスに乗り込んだ。バスの中でもずっと原稿のチェックを続ける。

 11時半にバスが名護に到着するあたりで、青柳いづみさんからメールが届く。僕の手違いで、原稿チェックをしてもらいそびれており、ギリギリのスケジュールで確認してもらっていたのだ。名護バスターミナルから備瀬線に乗り換えて、バスに揺られながら赤字をデータに反映させてゆく。12時ぎりぎりになって、ようやくデータが完成し、印刷会社に入稿を終える。バスは目的地である渡久地というバス停に到着する直前だった。

 バスを降りるとジリジリと陽射しに焼かれるが、「入稿できた……」という気持ちでしばらくぼんやりしてしまう。入稿した本のタイトルは『まえのひを再訪する』。2年前の2014年春、川上未映子さんの詩をマームとジプシーが一人芝居で上演するリーディング公演『まえのひ』が全国7都市で上演された。僕はそのツアーに同行して、作品が少しずつ変わっていく様子を眺めていた。

 その翌年、ふと思い立った僕は、ツアーで訪れた各地を再訪する。同じ土地を訪れ、記憶を辿り、誰かと話をして、同じ食事を平らげる――そんな旅の過程で感じたことをいつか書き残しておかなければと思っていたのだが、あっという間に時間が経ってしまった。そして今年も春がきた。2016年の春にもまた、気づけば『まえのひ』で訪れた場所を再訪していた。そのことに気づいたのは、今から3ヶ月前に沖縄を訪れたときのことだった。

 あの『まえのひ』という作品は何だったのか。そのことを書き残しておかなければという気持ちに駆られて原稿を書き始めたのも沖縄だったが、こうして入稿作業を終えたのもこうして沖縄を再訪しているときだということに、少し不思議な感じがする。
 
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『まえのひを再訪する』
著・橋本倫史 発行・HB編集部
四六判 210頁 2016年7月1日発行
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 近くに有名な沖縄そば屋があるので、そこで昼食をとることにする。「きしもと食堂」というお店。お店は満席だったので、少し外で待つことにする。僕が並び始めるとすぐにお客さんが増え始めて、長蛇の列ができる。危ないところだった。僕は5分ほどで中に入り、沖縄そば(大)を食べる。鰹節の風味が効いていてウマイ。これは行列ができるわけだ。待っている人も大勢いるので、5分ほどで平らげて店を出る。

 「きしもと食堂」からほど近い場所に港がある。港からは、この季節であれば1日3便フェリーが出ており、15分ほどで小さな島にたどり着く。マリンスポーツの盛んな島のビーチには、港のすぐそばにビーチがある。もう沖縄はすっかり夏なので、海は大勢の観光客で賑わっており、パラソルがずらりと並んでいる。さっそくシュノーケルと浮き輪を借りて、海に入る。昨日も感じたことだけれども、沖縄といってもほんとうにそれぞれ違っているのが不思議だ。一昨日シュノーケリングをした座間味の海は色が濃く、浅瀬からずっと生きたサンゴが生息しており、魚もカラフルだ。しかし、この島の海はとにかく淡い。白骨化したサンゴの欠片が砂浜や浅瀬を覆っており、そのせいか泳いでいるのも淡い色の小魚ばかりだ。

 しばらく夢中でシュノーケリングを続けていたが、ふと泳いでいるのは僕一人であることに気づく。僕が乗ったのは13時半のフェリーだが、ほとんどの観光客は日帰りで、8時半のフェリーで島にやってきている。朝から海を堪能しているので、今はもうパラソルの影で休んでいるのだ。ただ、ジェットスキーやバナナボートで遊ぶ人は何組もいる。こんなに何度も沖縄を訪れているのに、浅瀬でちゃぷちゃぷするばかりで、マリンスポーツを堪能したことは一度もない。どうしてやってみたいと思わないのだろうなと、浮き輪で浮かびながらぼんやり考える。

 1時間ほど遊んだところで切り上げ、民宿へと向かう。民宿の庭にはテーブルがあるので、そこでぼんやりビールを飲んだ。ただぼんやりする。この島にくるとただぼんやりしてしまう。別に「沖縄だから」ということではないだろう。他のエリアに滞在していると「ここに行って、あとはここも訪れないと」と予定を詰め込んでしまうけれど、この小さな島にいると特にすることもなく、ただぼんやりする。すぐ近くで宿の主人が昼寝をしている。耳慣れない鳥の鳴き声を聴いてビールを数本飲んでいるうちに1時間が経っていた。

 さて、そろそろまた海に行ってみようかと思っていたところで、宿の看板娘でもある女の子が学校から帰ってくる。彼女の通う小学校は、ここから徒歩20秒の場所にある。僕を見るなり、「記者のおじさん?」と彼女は言う。「そうだね、おじさんじゃなくてお兄さんだけどね」と返事をする。この島には、港のすぐそばのビーチだけでなく、穴場のようなプライベートビーチがある。そのプライベートビーチの存在を教えてくれたのも、この女の子だ。

 プライベートビーチに向かって歩く。この道を歩くのが好きだ。歩いていると水槽が置かれている。ふと水槽の中を覗き込むと、カナブンがもがいているのが見えた。どれ、助けてやろう。そんな気持ちになって、草を1本ちぎって差し伸べると、カナブンは必死で草につかまる。そうして掬い上げ道端に戻してやると、カナブンは足を少しだけ動かしながら、ぎゅっと草に抱きついたままの姿勢でいる。はあー、たすかったあ。まじで死ぬかと思った……。そんなふうにしゃべっているように見えてしまう。カナブンに別れを告げて歩いていると、あちこちでバッタが飛び跳ねる。バッタをびっくりさせないように注意を払っていると、交尾をしているバッタが見えた。そのバッタたちは近づいても微動だにしなかった。

 15分ほど歩くとプライベートビーチに出た。この海には観光客の姿はなく、海の色も青々としている。波も強く打ちつけている。足の届く場所で海に浸かり、しばらくぼんやり波に揺られる。真っ白な鳥がピイ、ピイと鳴きながら飛んでゆく。1年前の春にこの島を訪れたとき、「夏になるとアジサシっていう鳥がやってくるんです」と話を聞いていたが、これがきっとアジサシだろう。その鳴き声を聴きながら、30分ほど海に浸かっていた。帰り道に探してみたけれど、カナブンはもうどこかに飛び立っていた。

 19時、夕食の時間になる。表にあるテーブルでの食事だ。常連客である方も2組ほど宿泊しているらしく、宿の主人はその常連客たちと一緒に食事をしている。宿には他にもう1組宿泊客がいるのだが、その人たちは生物の研究者らしく、島の生物の鳴き声について話をしている。今日の夕食はヒレナガとうきむるー(カンパチ)の刺身、島だことモーウイ(赤瓜)の和え物、それにステーキだ。那覇で買っておいた残波ホワイトを水割りで飲みながら、チビチビ食べる。

 食事を終えると、泡盛を入れたグラスを手にして海へと向かった。今日は満月である。この島の海で満月を見ることを楽しみにしていた。海には特に灯りがなく、当然人影もない。「怖くて海に佇んでいられないのでは」と思いながら歩いて行ったのだが、いざ海に出てみると恐怖を感じることはなく、ただただ月の明るさに見惚れていた。星もきれいに見える。はあー、これはすげえわ。思わず独り言が出る。アイフォーンではそこまで写らなかったが、少し赤みを帯びた月だ。少し前に読んだ沖縄の民話を思い出す。

 ある山裾に「アカナー」と呼ばれる少年が猿と一緒に暮らしていた。少年は髪も顔も体も真っ赤であるので、「アカナー」と呼ばれるようになった。心が優しいアカナー少年はよく働き、猿の世話をしていたが、意地悪な猿はなまけてばかりいた。ある日、育てていた桃の実が熟し始めると、桃の実をすべて自分のものにしたいと考えた猿がこう切り出した。

 「アカナーよ、桃の実を街に売りに行こう。早く売れたものは負けたものの首をちょん切ろう」

 そう告げると、猿はするすると木に登り、熟れた桃だけをもぎとって街に売りに出かけた。猿の桃はじきに売り切れたが、アカナーの熟れていない桃を買ってくれる人はおらず、アカナーは途方に暮れてしまった。帰ったら首をちょん切られる。そう思うと怖くて家に帰れず、海岸をとぼとぼ歩き、しまいには泣き出してしまう。すると、「なにが悲しくて泣いているのか」と声がした。しかし、あたりには誰もいない。声の主はお月さまだった。

 アカナーから事情を聞いたお月さまは、「お前は優しい心を持っているから、今晩から月の世界に住めばよい」と言って猿を月に引き上げ、アカナーの首をちょん切る練習をしていた猿の首をちょん切らせた。アカナーは恩に報いるために水汲みをしたり、ごはんを炊いたりして働いた。それで、沖縄の月にはウサギではなく、アカナーが水を汲んだ桶をかつぐ姿が見えるのだ――と。

 その話を思い出しながら宿に引き返す。すると、宿の方と常連客の方に「よかったら一緒に飲みませんか」と誘っていただいて、一緒に泡盛を飲むことになった。

 「お名前は何て言うんですか?」と常連客。

 「橋本です」と僕。

 「橋本さんは、前も来ていただいてますよね?」と宿のお母さんが言う。

 「はい。泊まるのは今日が2回目です。最初にこの島に来たのは去年の春ですけど、この1年で4回来てます」

 「え、そんなに?」と常連客は少し不審がる。「何で急にそんなに来るようになったの?」と。たしかに、マリンスポーツをするわけでもないのに、どうしてこんなに再訪しているのか自分でも不思議だ。最初に訪れたのは2015年の5月上旬のことだ。『cocoon』を再演するのに先立って、原田郁子さん、藤田貴大さん、青柳いづみさんの3人でリーディングツアーを行うことになった。その際にこの島を訪れ、学生たちと一緒にワークショップを行った。「学生たち」と書いたが、この島には小学校と中学校が一緒になった「小中学校」があり、在校生はわずか3人だけだ。それ以来、旅行で沖縄を訪れるたびに島を訪れている。

 しばらく飲んでいるうちに、宿のお父さんが先日の軍属の男による事件の話を切り出した。「あの事件もありえない事件だからね。でも、本土のニュースだと沖縄のことなんか出ないでしょう」

 「いや、出てます、出てます」と常連客が言う。「ただ、他にもいろいろニュースが出ちゃって、沖縄ほどは報じられてないかもしれないです」

 「本土でも出るの? 昔はね、ほんとに放送しなかった。バカにしてるのかって思うぐらい出なかったよ。横須賀、横田、岩国、あのへんで沖縄で起きるぐらいの事件があったら、絶対アウトよ。でも、沖縄はもう、ほんとにバカにされてる。昨日の県民大会だって、本土の人はほとんど知らんでしょう」

 そこまでは聞き役に徹していたけれど、「僕は沖縄県民ではないですけど、昨日は会場に出かけましたよ」と口を挟んだ。するとお父さんは言葉に詰まり、数秒あって「ありがとう」と言った。ありがとうと言われてしまうと、少し申し訳ないような気持ちになる。僕はいつも、ただその場にいるだけだ。「あのね、思いは一緒なのに、何でわかってもらえないのかなってずっと思ってるのよ。俺が言ってるのは一つだけ――平等ってこと。内地も同じようにしてくれと。内地ではダメなことでも、沖縄では許されるんですよ。ありえんでしょう。これがね、本当に悔しくて」

 感極まりそうになると、お父さんは話を変えて「宿題は終わったか」と娘に話を向けた。宿題はまだ一つだけ残っていて、それは国語の教科書の音読だった。山村暮鳥の「風景 純銀もざいく」、黒田三郎の「紙風船」に続いて音読されたのは「枕草子」だった。春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて。それぞれ読み終えると、彼女は「自分流の『枕草子』を作ってみましょう」と言って音読を続ける。教科書にはその「自分流の『枕草子』」の例文が載っているらしく、それも一緒に読んでいる。感想を求められた僕は、「××(その子の名前)流の枕草子が聞きたい」とリクエストすると、即興で朗読をしてくれた。

「夏はとても学校が暑い。クーラーをかけた部屋にいれないときはすごくつらい。帰ってきてもクーラーが壊れてつけられなかった、あの部屋にはもう戻りたくない。だが! 海に行けたらすごく楽しい。海水は冷たく、魚はうまそうで腹が減る。帰ると宿題をするのがだるい。でも、俺は頑張る」

 その朗読は、とても印象的だった。宴はその後も続き、日付が変わる頃まで飲んでいたと思う。僕は泡盛の五合瓶を飲み干してしまって、おすそ分けしてもらった泡盛も飲んだので記憶はおぼろげだが、たしか満月を眺めるべく皆で海に出かけたはずだ。翌朝起きてみると、頭や耳から砂が出てきた。おそらく砂浜で寝そべって海を見たのだろう。ポケットからはジャッキーカルパスがいくつも出てくる。きっと月を眺めながら食べようと思って、ポケットに入れて海に出たのだろう。たしかに自分の行動であるはずなのにまったく記憶になく、他人の行動みたいでおかしかった。