沖縄滞在4日目

 7時半に起きて、朝食をいただく。ポーク玉子としゃけ。8時半のフェリーで島をあとにして、さてどこに行こう。まずは30分ほどバスに揺られて名護まで引き返す。地図を見ると、オリオンビール工場に「オリオンハッピーパーク」と書かれている。名護バスターミナルに停まっていたタクシーに乗り込んで、運転手に質問する。

 「オリオンハッピーパークって、見学とかできるんですか?」

 「できますよ」

 「ああ、よかった。じゃあそこにお願いします」

 クルマを走らせた運転手は、信号待ちのときにこちらに振り返ると「ビールも飲めるよ」と嬉しそうに言う。そして「お兄さん、美ら海はいかないの?」と尋ねてくる。今回はまだ行っていないけれど、「(前回来た時に)行きました」と答える。運転手さんは「じゃあもう、名護で見るところはないねえ」と笑っている。名護の商店街はシャッターが降りたままの店が多くある。美ら海水族館ができて、北部まで足を伸ばす観光客は増えたのだろうけれど、高速道路で簡単に日帰りできるようになってしまった今、名護はただ通り過ぎるだけという観光客も多いだろう。

 オリオンハッピーパークは10人ほどで見学することになった。見学の集合場所にはオリオンビールの歴史が展示されている。具志堅宗精が会社を沖縄ビール株式会社を設立したのは1957年のことだ。そこから名前を公募し、「オリオンビール」という名前が決まると、1959年にオリオンビールを発売する。発売当初の瓶を復元したものや、1973年に発売された初代スチール缶入り生ビールも展示されている。「祝オリオンビール誕生」という広告記事の出た1959年5月27日の新聞には、「東京オリンピックいよいよ実現」という見出しが踊っている。帰りが遅い“踊る夜” 琉大パーティーに父兄が苦情」という記事もある。

 二十二日よるの琉大創立九周年祝賀ダンスパーティーで女子学生の帰りがおそく、父兄からパーティー主催者の琉大学生会に抗議する投書が本社によせられている。投書の内容は「女子学生の親は、こんなパーティーのあるたびごとに娘が帰るまで心配で寝られない。那覇市の繁華街ならよる十二時でも問題はないかもしれない。場末の住宅地や糸満その他近くの町村なら娘だけの夜道は、危険である。琉大当局や、学生会は、このことをどうかんがえているか。またパーティーはどう運営されているか、父兄の立場もかんがえてほしい」というもの。

 時代を感じさせる記事だと思うのと同時に、ここではそれが過去だとも言い切れないことを思い出す。そうこうしているうちにビール工場の見学が始まる。最初の過程にはビールの原料となるものが置かれている。ホップの匂いを初めて嗅いだが、思っていたのと全然違って青臭い香りだ。これがビールになるのが不思議だ。原料を粉砕し、麦汁にホップを加えて煮込む部屋の匂いも嗅げたのだが、なかなかパンチの効いた香りだ。これを冷却し、酵母を加えて発酵させることでビールになっていく。

 発酵させるための貯蔵槽が見えた。「ここでクイズです」とガイドの女性が言う。「350ミリリットルの缶で1日1本ずつ飲んだとして、あの貯蔵槽に入っているビールを飲みきるにはどれくらいかかるでしょう?」と。その答えは1500年だった。1日10本飲んでも飲みきれない量だ。あの貯蔵槽を、どうにか一つもらえないだろうかと思う。展示がさらに進むと、アサヒビールとの業務提携に関する説明があった。少し前に読んだ佐野眞一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』の一節を思い出す。

 いまや沖縄を代表する有名ブランドになったオリオンビールは、山中抜きには語れない。一九七二(昭和四十七)年五月に沖縄が本土復帰したとき、本土に比べ酒税が二〇パーセント減免される優遇措置が、オリオンビールはじめ沖縄の酒造業界に適用された。
 この復帰特別措置法を実現させたのが、“ミスター税調”の異名をとった山中貞則だった。この減免措置は、撤廃か延長か五年ごとに見直されている。

 2002年に優遇措置の再延長が議論されたとき、自民党の税調や財務省からは「5年後の廃止を」という声が大勢を占めたという。しかし、優遇措置が撤廃されればオリオンビールは本土資本に飲み込まれる――その前に体力をつけさせておこうと考えた山中貞則が働きかけ、2002年、オリオンはアサヒと業務提携をすることになった。ガイドの女性の話によると、沖縄に工場を持たないアサヒビールに代わり、沖縄県内で流通するアサヒスーパードライオリオンビールの工場で製造されているのだという。そう言われてみると、沖縄のスーパードライと東京のスーパードライを飲み比べてみたい気もする。

 見学を終えるとビールの試飲があった。グラスで2杯飲み干すと、オリオンハッピーパークをあとにして、すぐそばにある名護博物館へ。昨日の新聞に、「戦時の出来事身近に 若者理解へ年表工夫」という記事が出ていた。名護博物館で「名護・やんばるの戦争展」が、6月10日からの2週間にわたって開催されているという。しかも、常設展は有料だが、この企画展は見学無料だ。これまで沖縄の戦跡を何度も辿ったことがあるけれど、基本的には激戦地となった南部の戦跡を巡ることが多く、あとは米軍が上陸した中部を少し巡ったくらいで、北部の戦争についてはあまり知らないままだった。せっかく北部にいるのだから、この展示を観ることにする。

 博物館に到着してみると、企画展の入り口からは小学生が溢れている。これから見学するにあたり、先生の話を聞いているらしかった。しばらく時間がかかりそうなので、有料の常設展を見物する。1階はやんばる地方の生活が、2階にはやんばる地方の生き物が展示されているようだ。2階は近くの幼稚園児で賑わっている様子だったので、1階の展示だけ見物することに。うちの地元にもあるような、つまり田舎町によくある展示であり、生活用品などが展示されている。最初のエリアにあるのは農作業具だ。沖縄の稲作はグスク時代(12-15世紀)に始まったが、水と土に恵まれたやんばるはずっと沖縄一の米どころだったのだという。沖縄であまり水田を見かけたことがなかったので不思議に思ったが、それもそのはず、稲作の最盛期は明治後半だったという。「現代、田は埋められさとうきび畑に変わっています」と説明書きがある。

 展示の大半を占めるのは年表で、当時の出来事と現在の中学生の行事予定を併記してある。当時の天気もある。沖縄本島に米軍が上陸したのは4月1日のことだ。そこから米軍は南北に分かれて侵攻するのだが、今更ながら「そうか」と思ったのは4月4日に「米軍、東海岸に達し、沖縄本島を南北に分断」とあることだ。司令部があるのは南部だから、これで北部に配備された軍は一挙に窮地に立たされたことになる。展示の説明にもこう書かれている。

 北部(やんばる)には独立混成第44旅団の第2歩兵隊主力(宇土部隊)1個大隊程度しか配備されていなかった。これに対してアメリカ軍は第6海兵師団を主力として攻撃をかけた。八重岳などの山地帯に拠って日本軍は抵抗したが、4月18日に本部半島突端に達し、22日までに制圧が完了した。

 北部の部隊が制圧されたあとも、やんばるで戦闘が起こった記述が登場する。目立つのは護郷隊による戦闘だ。護郷隊というのはやんばるにおけるゲリラ戦を目的として結成された、10代の少年兵による秘密部隊である。南部を中心に歴史を辿ってきた僕は、北部に展開していたその存在にあまり詳しくなかった。護郷隊は「一人十殺」を命じられ、「十人殺せば死んでもよい」と叩き込まれていた。米軍に利用されないように、生まれ育った地区に火を放つように命じられた人もいる。

 やんばるにおける戦争は、制圧をされたあとのゲリラ戦が中心となっている。ビデオを観終えた小学生たちに、教師は「いいですか、戦争というのはいきなり終われません!」と語気を強めて話している。「6月23日に『集団的な戦闘が終わった』とよく言われますが、『集団的な戦闘』が終わっただけなんです。それ以降も戦ってた人はいるんです。ポツダム宣言を受諾して、調印式が終わっても、すぐには終われないんです」。年表を見ると、たしかに6月23日以降も散発的に戦闘が起こっている。

 もう一つ、展示の中心になっているのは収容所だ。米軍の捕虜となった住民は収容所に送られることになるのだが、収容所が作られたのは早めに制圧が進んだ北側だったのである。今までにも「収容所に送られた」という話は何度となく読んでいたけれど、「この収容所というのは一体どこなのだろう」と思っていた。住民自らが収容所を建設させられる写真もある。辺野古にあった大浦崎収容所の写真に写っているのは茅葺小屋で、想像していた「収容所」とは少し違っている。

 「やんばるの沖縄戦地図」というのを確認すると、昨日宿泊した島も書き込まれている。その島には4月13日に米軍が上陸している。米軍を警戒して島を離れていた住民もいるが、残りの住民は捕虜となった。米軍は島の海岸に簡易飛行場を作ったという。この島めがけて日本軍が砲攻撃を行った記録があるのはそのためだ。

 1時間かけてじっくり展示を観終える。58号線を歩いて「A&W」に入り、A&Wバーガーとルートビアを平らげる。世冨慶の交差点から再びバスに乗車して、南を目指す。今日は少しずつ南を目指す予定だ。バスは海沿いを走ってゆく。西海岸はリゾート開発が進んでおり、人工ビーチがいくつもある。名護市を抜けるとそこは恩納村である。「安冨祖」というバス停がアナウンスされたところで降車ボタンを押した。

 バス停からほど近い場所にローソンがあった。ビーチサンダルやシュノーケルも店頭に並んでいる。僕はさんぴん茶を買って、店員さんに質問する。どういう聞いたものかと迷ったけれど、「こないだの事件があった場所に手を合わせに行きたいんですけど、この近くですか?」と尋ねた。店員さんは「この店の前の信号を1つ目として、3つ目の信号を右に曲がると見えてくると思います」と教えてくれる。影のない道を歩き、言われた通りに信号を曲がると坂になる。車の交通量も少なくなり、道の両側は山になっている。突然バサバサと音が響き、カラスの大群が飛び立ってゆく。

 20分ほど歩いたところで、坂の上のほうに取材クルーが見えた。おそらくあそこが現場だろう。山の入り口にはまだ黄色い規制線が貼られており、その手前に花束がたくさん手向けられている。プリッツ。チョコパイ。コアラのマーチ。堅あげポテト。コアラのマーチ。蒲焼さん太郎。紅芋タルト。紅芋タルト。ダブルクリームシュー。コアラのマーチ。ポッキー。金武町にある「モンクレア」という店の洋菓子も二つ見かけた。ペットボトルも無数に置かれている。花束を包装したビニルが日光を反射して眩しく感じる。「手を合わせる」といって場所を教えてもらったものの、取材クルーの前で手を合わせるのはパフォーマンスになってしまう気がして、帽子をとってただ花束を眺めていた。

 しばらく立ち尽くしていると、1台のクルマが停まった。ハザードランプをつけると、運転席から男性が降りてくる。花束を供え、蓋の開けたペットボトルをおいて少し手を合わせると、男性はまたクルマに乗り込んで走り去っていった。手向けられているものの中に、灰谷健次郎の『太陽の子』があった。メッセージの書き込まれたぬいぐるみもあった。花束に添えられた手紙には、「怖かったよね 痛かったよね つらいよね 少しでも里奈さんの悲しみが癒えるよう、心よりお祈りします」と書かれている。

 そうしたメッセージを一つ一つ読んでいると、一つの考えに至る。あの事件は痛ましい事件であり、こんなこどが二度と起こらないように状況を改善しなければならない。でも、「怖かったよね 痛かったよね つらいよね」と手紙に書いた誰かほど、僕は彼女の恐怖を、痛さを、辛さを、想像できていないのではないかという気がしてくる。ある範囲で想像することはできるのだけれども、本当にわかったとは言えないのではないかという気がしてくる。これは別に、「その手紙を書いた人だって理解していないだろう」と非難したいわけでは当然なく、ただそんなことを思った。想像力が欠如しているのだろうか。わからない。山道を歩いて下っていると、同じ場所でまたカラスの大群が飛び出してきた。

 10分ほど待って、再びバスに乗る。恩納村を抜けると今度は読谷村だ。喜名というバス停で下車し、海の方角に向かって進んでいく。歩いていると、道路脇の家の玄関が開いた。出てきたのは白人の男性だった。ガタイがよく、ズボンは迷彩柄だ。彼は米兵なのだろうか。玄関先にゴミ袋を出すと、立ち止まってそちらに視線を向けている僕には一瞥もくれず、うんざりしたような顔で家の中に帰って行った。米軍には今、夜間外出禁止令が敷かれている。

 県民感情を考えれば、外出禁止令は当然の措置だろう。僕もそう思っていたけれど、しかし、兵士として派遣されてくる人の中には、軍隊に入るしかなかった人だっているだろう。事件を起こした軍属の男についても、インタビューに答えた母親が「あの子は10代からドラッグをやっていた」と語っていた。仕方なしに軍隊に入り、遠い異国に配備された兵士がいる。その兵士自身は事件を起こしたわけではないのに、誰かのせいで外出さえ禁じられる。酒を飲むのが大好きな僕は、どこか遠い国に連れて行かれて、「酒を飲むな」と言われてしまったらどうやって鬱憤を晴らすだろう。そう考えると、外出禁止令が正しい方策なのか、わからなくなってくる。そのことがストレスとなり、鬱屈とした感情を抱えさせ、さらなる事件を起こすことはないだろうかと不安になってしまう。

 先日の県民大会で決議されたのは海兵隊の撤退だ。海兵隊に限らず、すべての基地をなくすのが理想だ。それを目指すべきだというのは間違いないことだ。しかし、そのためには自国から基地を撤去すればすむわけではなく、相手国にも「戦争という手段に出る」という考えを捨てさせなければならない。それは100年、200年で解決できることではないだろう。「だから現実的にいって基地は必要だ」と言いたいわけではないが、そのためには途方もない道のりを歩く必要がある。

 バス停から30分ほど歩いて、ようやく目的地のパン屋「水円」に到着した。が、「水円」は定休日であった。せめてロバのわらに一目会って行こうと店の裏手に行ってみると、この暑さの中だということもあり、わらは小屋の中に隠れている。次の目的地に行くためには、またしばらく歩く必要がある。熱中症で倒れてしまうのではないかと不安になり、タクシーを呼ぶことにした。

 タクシーの中からは、自動販売機の下を覗き込む男の子たちが見えた。空にはいかにも夏という雲が浮かんでいる。タクシーでたどり着いたのは読谷村の渡具知ビーチだ。このビーチこそが、4月1日に米軍が上陸した地点だ。ちょうど潮が引いている時間らしく、こどもたちがちらほらしゃがみこんでいて、海辺の生き物を探して遊んでいる。外国人のこどももいる。

 しばらく海を眺めて再びタクシーに乗り、渡具知ビーチから5キロほど南にある砂辺という湾岸地区に移動する。北谷町にあるこの海岸もまた、4月1日に米軍が上陸した海である。こちらはダイビングショップも立ち並んでおり、人気のスポットだ。

 まずは「浜屋そば」という店に入る。1年前のリーディングツアー「cocoon no koe cocoon no oto」で沖縄を訪れた際に、皆で食べにきた沖縄そば屋。今日はクルマの運転をする必要がないので、ビールを飲みながらそばを堪能する。テレビでは夕方のニュースが始まるところだ。ローカルニュースのトップは「係争委『判断せず』通知書が県に届く」というものだ。そばを食べ終えると、すぐ近くのビルの3階にあるイタリア料理店に入る。白ワインをボトルで注文して、少しずつ日が暮れてゆくのを眺める。日が沈む直前になって店を出て、潮風に吹かれながら海を眺めた。戦闘機が二度横切る。いろんな国の人が防波堤に腰掛け、夕日を眺めていた。

 日が沈んだところで、今夜の宿があるコザを目指す。チェックインを済ませて、メインの通りを目指して歩く。十字路で信号を待っていると、信号が青になった瞬間、ウィリーで走りだしたバイクと爆音を撒き散らすバイクとがすれ違った。ここまで旅してきた街とはずいぶん雰囲気が違っているなと心細くなる。英語の看板が出ている店もたくさんあるけれど、その大半がシャッターを下ろしている。営業している店で目につくのはタトゥーショップやアメフトのユニフォームショップ。それから、なぜだか印度洋服店を数軒見かける。シャッターの降りた店の前では、若者たちがぼんやりたむろしていた。

 営業しているバーを見つけて、入店。他に客はおらず貸切だ。店員さんは若い男性と女性のふたり。注文したビールを注ぎながら、店員さんは「沖縄の方ですか?」と僕に尋ねる。

 「いえ、旅行できてるんです。今回は一週間滞在するので、いろんな場所を移動して泊まってるんです」

 「そうなんですね。昨日はどこに泊まってたんですか?」

 「昨日は××島でした」

 「えっ、××島って人住んでるんですか?!」

 その質問に驚いてしまった。しかし、広島出身の僕だって、瀬戸内海に浮かぶ無数の島のうち、どの島が有人島でどの島が無人島であるのか知らないのだから、彼女の反応はごく当たり前のものだ。この夜、こうしたギャップを何度も感じることになる。男性は本土から沖縄に移住した人で、女性は沖縄中部出身だったのだが、二人とも「東京に旅行に行きたいっす」と口を揃える。実際、ちょこちょこ旅行に出かけているのだという。どのあたりに行くのかと訊ねてみると、これまた二人とも「六本木」と口を揃えた。

 「××さん、今度おすすめの店教えてくださいよ」。女性が男性にそう尋ねる。

 「俺はいつも『つるとんたん』だね」と男性が言う。「あそこは朝までやってるから、クラブ行ったあとにでも行けるし、うどんもうまいしね。あと、お茶もさんぴん茶だから」

 「え、さんぴん茶ってジャスミンティーのことですか?」と女性が聞き返す。「私、ジャスミンティーって苦手なんだけど」。そのやりとりに驚かされたし、面白かった。そのことを伝えると、「僕はもともと観光客ですけど、沖縄料理屋に行かなくなりましたね」と男性が言う。「最初は新鮮でおいしいですけど、慣れてくると普通なんですよね。東京の店のほうが、刺身にしても何にしてもおいしいですよ。てびちとかだって、美味しい店のは美味しいですけど、美味しくない店のは……」

 「私、てびちって食べたことないです」と女性が割って入る。「食べてみようと思ったことはあるんですけど、見た目がちょっと」

 僕は繰り返し沖縄を訪れているが、どうしたって観光客目線の沖縄だ。コンビニや自動販売機にはさんぴん茶がたくさん並んでいるから、皆がそれを飲んでいるものだと思い込んでいたし、普段は沖縄料理を食べているものだと思い込んでいた。もちろん地元のものが大好きな人だっているだろうけれど、全員が全員そうであるはずがないのである。考えてみれば、沖縄に生まれて沖縄に暮らす同世代の人と話すのはこれが初めてかもしれない。

 男性は県外出身だから別だとしても、沖縄出身である女性も標準語で、沖縄のイントネーションを感じることはなかった。ただ、方言はしゃべれなくても、英語は話せるはずだ。壁には「Aサイン連合会」の紙が貼られている。Aサインというのは、復帰前の沖縄で米軍公認の飲食店や風俗店に与えられた営業許可証である。米軍相手に商売をするためには、この許可証が必要であった。店の中にはメッセージの書き込まれた1ドル札がたくさん貼られており、メニューにはドルでの値段も表示されている。

 「今週末にきてもらえたら、もっと楽しんでもらえたと思うんですけどね」と店員さんが言う。

 「え、今週末だと何かイベントがあるんですか?」と、トボけて聞き返す。

 「今はcurfewが出てるから、アメリカ人が基地の外に出れないんです。週末にはそれが解除されるし、週末だけ営業してる店もあるんです。でも――東京の人からすると、全員基地に反対してると思ってるでしょう?」

 そう聞かれると、返答に困ってしまった。僕は全員が反対ではないことを知っているが、一般的にはどうなのだろう。「うーん、どうですかね?」と曖昧に返事をしていると、「辺野古に行くと、反対している人がたくさんいますよ。最近は米軍の車両が通ると、ふらっと車道に出てくる人もいるらしいです」

 「こないだ、県民大会があったじゃないですか。あの日、アウトレット・モールに行こうと思って高速道路に乗ってたら、超一杯いるんですよ。したら妹が『県民大会だからだよ』って教えてくれたんですけど、暑いのに皆大変だなって思いました」

  頭ではわかっていたことだけれども、沖縄にだっていろんな考えの人がいる。それは当たり前のことだ。僕は基地を必要としない時代がくればいいと思う。しかし、基地問題に積極的にコミットしない彼らを非難することはできない。そんなことを考えているのが漏れ伝わってしまったのか、「沖縄の人でも、いろんな人がいると思うんですよね」と男性が言う。「沖縄の文化が大事だって人もいれば、アメリカっぽい文化を面白がる人もいるし、楽しければいいじゃんって人もいますから。僕みたいに移住してきた人間に『お前はやまとんちゅか』って言ってくる人もいますしね」

 「若い人にも言われますか?」

 「いや、若い人には言われないですね。年配の人です」

 「っていうか、年配の人は何しゃべってるかわかんないよね」と女性が言う。「わかんないって言ったら『勉強不足だ』って怒られるから、『勉強不足なんですよ』って答えるようにしてるんですけどね。だって、方言とか、ほんとにわかんないんですよ。でも、そうすると『お前はおばあちゃんと方言でしゃべらないのか』って怒られる。それで『いや、しゃべんないです』って言ったら、『それは親が悪い』って」

 僕は沖縄の文化だって面白いと思うし、アメリカっぽい文化だって面白いと思う。「楽しければいいじゃん」というタイプではないけれど、そういう人がいたっていいと思う。誰に対しても、「そんなのは認めない」ということはできないという気がする。これは単なる相対主義になるのだろうか。わからない。でも、何にしても、こうして話をするのは面白かった。

 「東京から沖縄にくると、寒いと思うことってたぶんないですよね?」と女性が言う。

 「寒いと思ったことはないです。11月から2月のあいだは来たことがないからかもしれないですけど、その時期でも雪が振るってことはないですもんね」

 「雪は降らないです。2月に東京に行ったとき、昼間は暖かかったけど、夜はすごい寒くて。メインが六本木のクラブに行くことだったから、上はパーカーしか持って行かなかったんですけど、友達が『それだと超寒いよ』ってコートを貸してくれて。でも、靴はサンダルかムートンブーツしかなくて、ムートンでクラブには行けないなと思ったからサンダルで行ったんですけど、凍死するかと思った」

 東京に住んではいるけれど、一度もクラブに行ったことがない僕は、「ムートンブーツでクラブに行くのはナシだ」ということを知らなかったので新鮮だ。しかし、それにしても、沖縄の人が冬の東京に出かけるのは大変だ。沖縄ではまったく必要のないコートを買わなければならないのだ。コートを売っている店は沖縄にあるのか質問してみると、探せばあると思うんですけど、沖縄できることはないですよねと女性は笑う。

 「4月にも東京に行ったんですけど、そのときも寒かったです」

 「それくらいだと、夜はまだ寒いですよね。夜に花見をしてると体が冷えますから」

 「ああ、本土の桜は綺麗ですよね。沖縄の桜は本土と違うんです。1月頃に桜まつりがあるんですけど、本土の桜みたいに風で花びらが散らないんです」

 バーボンソーダを5杯飲んだところで店を出た。会計は驚異的な安さだった。沖縄では1月が花見の季節なのか。沖縄の桜は一体どんな桜なのだろうかと想像しながら、巨大なゴキブリを避けつつホテルに帰った。

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『まえのひを再訪する』
著・橋本倫史 発行・HB編集部
四六判 210頁 2016年7月1日発行
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