マーム・イン・京都(1)いつだかのなつ

 毎週のように京都を訪れている。今日で3度目だ。7月の京都は祇園祭が開催されており、街を歩けば提灯や囃子で溢れている。何かのついでに祇園祭を見物したことはあるが、今年ほどどっしり見物したことはなかった。くじ取り式が行われたというニュースも京都の酒場に設置されたテレビで観ていたし、宵山で賑わう街を散策したし、昨日は一日山鉾の巡行を見物した。ただ、祇園祭を見物するために京都を訪れているわけでは当然なく、目的は別にある。

 高瀬川が流れる京都の木屋町に、古い建物がある。「元・立誠小学校」と呼ばれるその建物が完成したのは1927年のことであり、京都市内に現存するものとしては最古の鉄筋コンクリート造の校舎だという。児童が減ってしまったことで1993年に閉校となったが、建物は残り、イベントや上映会などに利用されている。7月23日から8月4日までの約2週間、この元・立誠小学校ではマームとジプシーによる『0123』という作品が上演される。

 この2週間のあいだに目撃したことを、何度かに分けて書き残しておこうと思う。

 『0123』というのは、一つの作品というよりも、『0』、『1』、『2』、『3』という四つの作品で構成されている。上演スケジュールも変則的で、たとえば7月23日と24日は『0』と『1』のみが上演される。休演日をはさんで、26日からは『0』と『1』と『2』が上演され、再び休演日を挟んだ8月2日からは『0』と『1』と『2』と『3』が上演される。ただ、すべてをひと続きで観ることはできず、『0-1-2』と『3』は別の公演として上演される。つまり、別々に予約する必要があり、『0123』をすべて観るためには最低でも2度、元・立誠小学校を訪れる必要があるというわけだ。

 7月23日、僕は初日に上演される『0-1』を観るべく元・立誠小学校に足を運んだ。階段を上がって受付を済ませると、当初のアナウンスでは15分前の開場を予定していたが、演出の都合上開演直前まで入場できなくなった旨を伝えられる。開場を待ちながら、ぼんやり階段に吊るされた電球を眺めていると、どこか懐かしい気持ちになった。それは古い校舎を眺めていることでセンチメンタルな気持ちになったというのではなく、もっと具体的な懐かしさだ。

 元・立誠小学校でマームとジプシーの作品を観るのは、これが初めてではなかった。2012年の春には梶井基次郎の『檸檬』などを原案とする『LEM-on/RE:mum-ON!!』が上演され、2014年の春には川上未映子さんの詩を青柳いづみさんの一人芝居で上演する『まえのひ』がこの元・立誠小学校で上演されている。『まえのひ』が上演されたのは音楽室だったが、『LEM-on』は回遊型の作品であり、様々な教室でパフォーマンスが行われていた。

 上演時間になると、まずは資料室に案内される。ここで上演されるのは『0』――0人の演劇である。「水面にたゆたう」と名づけられたこの作品は、映像と音声、それに高橋涼子さんによるインスタレーションによって構成されている。10分弱で『0』の上演が終わると、観客は隣にある図書室へと誘導される。そこには既に、『1』――1人の演劇――に出演する吉田聡子さんが椅子に座ってスタンバイしている。彼女がいわゆる一人芝居に挑むのはこれが初めてだという。

 「一人芝居って、やりたい人多いんですかね?」。休演日に話を聞かせてもらったとき、聡子さんはそう語っていた。「短い作品でもすごい疲れるし、こんなことやらなくてもって思います。やるのが嫌だということはないですけど、『何でやるんだろう?』って思うんですよね。窓が開いているから外の音は聴こえてくるし、曲もかかるけど、声は自分の声ばかり聴こえてくるから、それも退屈な気がしてならないんですよね」

 元・立誠小学校というのは、当然劇場ではなく学校であり、外の音が聴こえてくる。雨が降ればその音だって聴こえてくる。劇場であれば外の世界とは断絶されているが、ここでは上演される時間帯によって光の加減も違ってくる。観客としては劇場で観るのとはまた違う印象を受けることになるのだが、舞台に立つ役者としてはどうなのだろう?

 「いや、結構違いますね。劇場っていうのは生活する場所というより、ちょっと特別な場所じゃないですか。そこではいろんな作品が上演されてるから、劇場は劇場で独特の漂っているものがあると思うんですけど、小学校っていうのは日々の営みの中にある場所ですよね。そうすると、ここに通っていた人のこととか、思うじゃないですか。あと、今が夏だっていうこともあって、私個人としては去年のことも思い出すし。この場所に今残っている人たちと、もうここにはいない人たちみたいなことは、劇場より感じるなっていうことはあります」

 『0』が上演されるのはかつて資料室だった場所だが、『1』が上演されるのは図書室だった場所だ。教室の端には本棚があり、本が並べられている。それは今回の作品のために配置されたものではなく、かつてここが小学校だった頃から置かれたままになっている本だ。あそこに当時の本が並んでいるのも印象的ですよね――僕がそう話すと、「本の後ろに予約カードが残ってて、『何月何日に借りました』って名前が書いてあるんです」と教えてくれる。そして「あれ、絶対髪の毛とかも挟まってるだろうし、手垢もついてるし、なんかギョッとしますよね」と聡子さんは付け加えた。

 この「なんかギョッとしますよね」という言葉は、とても聡子さんらしいものであるように感じる。そこに残された誰かの営みに思いを馳せてほっこりするのではなく、どこか自分を重ね合わせて感傷的になるのでもなく、ギョッとする。聡子さんの目というは独特だし、それはマームとジプシーの作品における聡子さんの役割にも繋がっているように思う。

 以前、『cocoon』という作品を上演するのに先立って、皆で沖縄に出かけたことがある。『cocoon』というのは今日マチ子さんが原作の漫画で、沖縄戦ひめゆり学徒隊に想を得た作品だ。沖縄滞在中には様々な戦跡を巡り、ひめゆり学徒隊が働いていたガマ(自然の洞窟)や壕にも足を運んだのだが、そのときの聡子さんの佇まいも独特だった。

 「ガマとかに入っても、私はほんとうに何も感じないんですよ」と聡子さんは言う。「前知識があれば私なりに想像することはできますけど、そこで繊細な感じになることには違和感があって。他人がそうなるのはまったく構わないんですけど、自分に対しては違和感があるんです。高校生のときに修学旅行で広島に行ったんですけど、号泣する子とかもいるわけですよ。それは私にはわからない感覚で、私はそういうふうには感じないんです。というか、そういうふうに感じたくないというのが正しいかもしれない。沖縄のときも、たとえば自然にできたガマなのであれば『地球ってすごいな』と思っちゃうんですよね、思いたいんです。」

 その感覚は、僕にもよくわかる。広島出身の僕は、小さい頃から原爆に関する話を何度となく聞いて育ったけれど、涙を流すということはなかった。大人になった今では、涙を流すわけにはいかないとさえ思う。そこにいた人たちを「可哀想な人たち」としてくくり、もし自分だったらと重ね合わせたり、涙を流したりするわけにはいかないと思う。僕にできるのはただ、現在から過去を振り返り、そこにいた人たちを見ることだけだ。

 聡子さんが演じるキャラクターは、現在というポイントに立ち、何かに視線を注いでいるということが多いように思う。2015年に再演された『cocoon』で、聡子さんはこんな台詞を口にする。

 「過去にとって未来はさあ、現在なわけなんだけれど、現在って未来を過去の人たちは想像していたのだろうか、こんな現在を未来ってことで想像していたのだろうか」

 2015年の『cocoon』では、舞台の終盤、最後に生き残ったサンと繭が走り続ける。“さとこ”は舞台の奥に立ち、二人に視線を注ぎ続ける。あるいは、『書を捨てよ町へ出よう』(2015)と『ヒダリメノヒダ』という作品には目の解剖をするシーンがあるのだが、そこで「目」「見る」ということの仕組みについて語るのはいずれも“さとこ”だ。『カタチノチガウ』に登場する“さとこ”も、「このお屋敷で死にたい」と言って戻ってきた姉の姿や、父を殺してしまって階段を上ってゆく妹の姿を見た上で、ひとりだけ嘘みたいな現在に放り出されることになる。

 あるいは、2013年から毎年海外で上演されている『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』という作品があるが、そのラストは“さとこ”のモノローグで終わりを迎える。この作品は、2001年と、それから10年が経った2011年の世界が主に描かれているのだが、ラストのモノローグで“さとこ”だけが現在にやってくる。2014年であれば「目を、開けると。2014年だ」と彼女は語り、2015年であれば「目を、開けると。2015年だ」と語る。他の登場人物たちは過去の世界にしか立っていないのに対し、彼女だけが現在の時間を口にする。

 今回上演されている『1』――タイトルは『あのひのひかり』だ――でも、“さとこ”というキャラクターは何かを見ている。だが、その視線はこれまでと微妙に違っている。そのことを説明するためには、少しまわり道が必要だ。

 さきほども述べたように、マームとジプシーが初めて元・立誠小学校で作品を発表したのは2012年3月のことだ。2012年の3月といえば、第56回岸田國士戯曲賞の選考結果が発表され、ノゾエ征爾、矢内原美邦、それに藤田貴大の3氏の受賞が発表された月でもある。

 「マームとしてはそれまでもありましたけど、『LEM-on』をやるまで、私は関東圏から離れてやることがほとんどなかったんですよ。しかも岸田を獲った直後だったから、今振り返ってみるとなんとなく落ち着かないで、キャピキャピしてた気がします。皆も旅慣れしてなくて、そんなに長い期間いるわけでもないのに大きいキャリーバッグを持ってきちゃったりして」

 『LEM-on』の中で繰り返されていた台詞に、「そうだ、出て行こう!」というものがある。その言葉通り、この作品を皮切りに、マームは外に出て行くことになる。『マームと誰かさん』というシリーズ企画では様々なジャンルの作家たちとコラボレートして作品を作り、北九州や福島で滞在制作を行い、野田秀樹寺山修司の作品を舞台化し、『てんとてん』という作品は海外の様々な土地で上演されてきた。四年のあいだに、彼らは旅を重ねてきた。その旅を通じてずいぶん旅にも慣れたし、彼ら自身も変容してきたように思う。それは作品にも反映されている。

 たとえば、『LEM-on』の5ヶ月前に上演された作品に『Kと真夜中のほとりで』がある。この作品は、今年の2月、“夜三作”として四年半ぶりに上演されたのだが、その印象は初演とは異なるものだった。

 「たしかに、『K』って全然変わりましたよね」と聡子さんは言う。「これまでやってきたこととか、言ってきたことがあるから、2011年の初演のときとは違いましたよね。2011年のときだと、『真っ暗闇を行こう』とは言わなかったと思うんです。『言え』と言われたって、それは言うだろうけど、言えてはなかっただろうなって思うんです。『夜』ってことの意味合いがもっと大きくなったというか、そういうことを全体として考えることで自然にできるようになった気がします」

 こうした変化は、2013年の『cocoon』と2015年の『cocoon』を比較するとより鮮明に浮かび上がってくる。二つを比べると、初演のときはやはり具体的な戦争の記憶に――一九四五年の夏に――寄り添っていたように思える。もちろん再演の『cocoon』だって七十年前の夏に想を得た作品ではあるのだが、もっと普遍的な何かを描こうとしているように思えたのだ。

 その点で印象的なのが、2015年の『cocoon』で主人公・サン(青柳いづみ)の幼馴染である“えっちゃん”を演じた青葉市子さんの存在だ。市子さんは『0123』の『2』にも出演することになっているのだが、稽古が始まった頃、市子さんは「いつだかの夏がシンクロしてぐらぐらする」と記している。いつだかの夏。去年の夏でも、71年前の夏でもなく、いつだかの夏である。「自分が どこにいて それがいつの時代なのか わからなくなっていた」という言葉は、とても印象的だ。

 「私はどうしてここにいるのだろう。そう思ってしまうこの連続に、終わりはあるのだろうか?」――『あのひのひかり』に登場するその台詞は、「いつだかの夏」という言葉の感触にどこか似ている。

 劇中で聡子さんは、「あのひ、私は、窓の外を眺めていた」と語る。窓の外に広がっていたのは、いつも通りの景色だった。だが、突然凄まじい轟音とともに世界は一変し、さっきまで眺めていた風景がなくなってしまう。「“あのひのひかり”から先のひかりを、わたしはみていない。私の目は。私の目は。あのひのひかりから、わ、た、し、は」

 この“あのひのひかり”を、たとえば原子爆弾が炸裂する瞬間を目撃してしまった女の子として観ることは可能だ。原子爆弾が一瞬にして風景を一変させたということは、繰り返しになるが、僕は何度も教えられてきた。しかし、それを暗示することが――具体的に一つの出来事を指し示すことが――この作品の目的であるとは思えない。それは、『あのひのひかり』という作品に「赤ずきん」の要素が取り入れられているからだ。

 劇中の“さとこ”は、女の子が一人で佇んでいる姿を目撃する。女の子は狼に食べられてしまうかもしれないし、間違って狩人に撃たれてしまうかもしれない――そう心配した“さとこ”は、「そんなところにいちゃ危ないよ、はやくおうちに帰りなさい」と叫びかける。「赤ずきん」という寓話が伝えるのは、年端もいかない女の子は危機に晒されているということだ。しかしもっと言えば、生きている限り私たちは、決定的な出来事に遭遇してしまう状態に置かれている。川上未映子さんの「まえのひ」という詩を思い出す。

 今日は
 まえのひなのかもしれない
 すべての人は、まえのひにいるのかもしれない

 『あのひのひかり』で“さとこ”が目撃している女の子もまた、“まえのひ”にいる。マームとジプシーの作品には、“まえのひ”を通過して決定的な出来事を迎えてしまった人が登場する。誰かがいなくなってしまう「喪失」と、いなくなった誰かの記憶に引きずられ続ける「私」。こうしたモチーフは、藤田作品で繰り返し描かれてきた。記憶という過去と、現在という時間から振り返る「私」の関係は、そこでは安定している。藤田作品における「私」は、どんなに過去に引きずられようよも、現在という点に立っていた。

 しかし、『あのひのひかり』における現在と過去の関係は混濁している。“さとこ”は、女の子に向かって「そんなところにいちゃ危ないよ」と語りかけるのだが、はたと気づく。「あの女の子は、そっか、私だ」と。“まえのひ”に立たされている自分自身を観ている“さとこ”は、一体どの地点に立っているのだろう。「私はどうしてここにいるのだろう」と語る彼女は、“あのひ”以降の世界にいることは間違いないのだけれども、「現在」というほど確固たる時間を生きているようには思えない。『あのひのひかり』において「私」が立たされている時間は、これまでのマームとは異なる、不思議な場所だ。

 「『いつだかの晩、わたしはテレビを観ていた』っていう台詞があるじゃないですか」と聡子さんは言う。「あの台詞、最初は『昨日の晩、私はテレビを観ていた』だったんですよ。でも、稽古の途中で藤田さんが『ここ、「いつだかの晩」に変えて』って言ったんです。だから本当に、自分の記憶の中でも曖昧になっていくみたいなことなのかもしれないです」

 聡子さんと話していて、印象的だったことがある。それは、この元・立誠小学校という会場に関することだ。

 「この『元・立誠小学校』っていう名前も、『じゃあ今って何なの?』って思うんです。元って?じゃあここはどこなんだっていう。自分が通ってた学校だったら気にならなかったことかもしれないけど、ここにいた人を思ったときに、じゃあその人たちはどこに通ってたんだろうって」

 聡子さんに話を聞いたのは7月25日のことだ。その時点ではまだ『0-1』しか上演されておらず、『2』がどんな作品になるのか、僕は知らないでいる。これから僕は一旦東京に戻り、また週末に京都を訪れる。ただ、『0-1-2』を観るより先に、別の作品を観る予定だ。それは京都芸術劇場春秋座で上演される『A-S』という作品である。