18時半、駅前にあるCHIKUHOという文房具屋でモレスキンの小さなノートを買ってくる。帰国してからの1ヶ月に観たいくつかの作品は、自分自身の生活や人生をテーマとし、それを一人芝居で自ら演じるというものだった。それらの作品を僕は物足りなく感じた。なぜ物足りないと感じたのかと考えてみると、それは「私」をテーマにしているからではなく、「私」に対する掘り下げ方が足りないのではないかと感じたのだと思う。では、僕自身は「私」ということを突き詰めて考えているだろうか。僕の頭に浮かんでいることは大体酒とともに消えてしまうし、誰かに言われて印象的だったことばの大半も泡のように消えてしまう。もちろん消えてしまってもいいものだとは思うけれど、しばらく気が狂ったようにメモを取り続けて生活してみよう――そんな考えに至り、ノートを買ってきたのである。

 帰宅後、餃子とビールで晩酌。2週間もヨーロッパに出かけたせいで懐事情が苦しく、最近は自宅で飲むことが増えた。飲みながら、今年の正月に放送された『えっ!松本今田東野が深夜にカバーネタ祭り』という番組を観る。深夜に放送されたのに、正月だから豪華だ。ヤホー漫才をカバーしたインパルス板倉は、漫才が終わるとその場に崩れ落ちていたけれど、すぐ近くで松本・今田・東野という3人が観ているというのは大変なプレッシャーだろう。

 しかし、こうしてみると漫才というものがいよいよ興味深く感じられる。それぞれの漫才は、その人間性と身体に合った形で練られてきたものだ。だから、たとえばナイツがタカトシをカバーしてみると、普段はツッコミで頭を叩かないものだから違和感が増す。クールポコをカバーしたのはバイきんぐと博多華丸・大吉で、僕はバイきんぐのことはかなり好きではあるけれど、基本的なフォーマットをそのまま引き継いでカバーしたバイきんぐより、設定からして博多の屋台に改変した華大のほうが面白かったのも同じ理由によるものだろう。

 それを観終えると、トリスソーダを作って『あの夜 壁が現れた――ベルリン分断の目撃者たち』というドキュメンタリーを観る。1961年、ベルリンに突如として出現した壁が作られる瞬間を目撃した人物のひとりに、東ベルリンに駐在していた唯一の西側特派員アダム・ケレット・ロングがいる。当時の東ベルリンには大したニュースもなく、未熟な記者でもいいだろうと派遣されたのだと本人が振り返る。東ベルリンから西ベルリンに人口流出が続く現状――1961年までに350万人が流出したという――に、人民議会は秘密裏に会合を重ね、「薔薇作戦」を立案する。当時、ドイツは東西に分断されており、東側に位置するベルリンの街もまた東西に分断されていた。つまり、西ベルリンは飛び地のような存在だった(恥ずかしい話だが知らなかった)。その西ベルリンを鉄条網で囲ってしまえというのが薔薇作戦である。

 8月12日の夜、各地の警察署長が召集され、選抜された8人に指令書が手渡される。日付が13日に変わったところで作戦が伝えられ、西ベルリンと東ベルリンの境界は封鎖され、一斉に杭を打ち立て、鉄条網が張り巡らされていく。こんなに電撃作戦だったのかと驚く。パーティーに出席するために東ベルリンを訪れていた女性は、13日の午前1時30分、西ベルリンに帰るべくメトロに乗っていたのだが、「ここからは歩け」と言われて電車を降ろされる。地上にはすでに有刺鉄線が張り巡らされていた。若い警察官は事の重大さをまだ把握しておらず、「ストッキングを破らないように」なんて言って、有刺鉄線のあいだをくぐらせてくれたという。

 翌朝目を覚ました東西のベルリン市民は愕然とすることになる。西ベルリンの人々も驚いたが、それ以上に驚いたのは東ベルリンの人々だ。機関銃を構えて国境を警備する東ベルリンの兵士たちは、西ベルリンのほうではなく、東ベルリンのほうを向いていたのだ。とはいえ、この段階では不要な紛争を避けるべく、機関銃に弾は込められていなかったという。しかし、簡素な鉄条網だった“壁”は、のちに本物の壁となり、機関銃にも弾が込められるようになる。このドキュメンタリーが日本で放送されたのは11月7日だ。アメリカ大統領選挙の前日にオンエアされたということにメッセージを感じる。

 このドキュメンタリーを観ているうちに、知人が仕事から帰ってきた。最後に壁が打ち壊される映像が流れると、知人は「懐かしい」という。ベルリンの壁が崩壊したとき、僕も当然生きていたはずなのに、あまり記憶に残っていないのはなぜだろう。ドキュメンタリー番組を観終えて、チャンネルを切り替えるとメリーズのCMが流れている。「どいつもこいつも、こんな赤をかわいい、かわいい言いやがってよお。こんなもんのどこがかわええんじゃあ」とスタイルフリーを飲みながらやさぐれている。22時になるとドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』を観た。知人はこのドラマを観ると必ず涙を流す。最初は僕も面白く観ていたけれど、どんどん知人とのあいだに温度差が出てくる。自尊感情の低い男がガッキーに全肯定されていくだけのドラマじゃないかと僕が言うと、「ええの、少女漫画なんやけ」と知人が言う。ドラマを観ながらモヤモヤしていたものが一気に晴れた気がする。