5時過ぎに目覚めてしまう。最近はいつもこうだ。今日はアメリカで人を殺して逃亡する夢を見て、ハッとして目が覚めた。目に悪いと思っていても暗闇の中でiPhoneを見てしまう。そのうちまた眠りにつき、9時過ぎに起きる。テレビをつけてみるとヒラリーが獲得した選挙人が3、トランプが獲得した選挙人が19と出ており愕然とする。テレビを眺めていた知人は「ここ、ぶちおるやん。ぶちおる」とカルフォルニア州を指す。村上信五の真似をして「誰がトランプやねん」と呑気なことをやっている。

 木枯らし一号が吹いたらしいが、カーテンを開けるとテニスをする人たちが今日もいる。10時、ジョギングに出てみると思ったよりも暖かい。オードリーのオールナイトニッポンを聴きながら走る。若林が三谷幸喜と遭遇した話の後日談を語っている。面白い。今日は体が軽いので、首都高の早稲田出口まで走る。鶴巻町は『全裸監督 村西とおる伝』にちょこちょこ登場する街だ。ここで仕事に没頭したり、時に身を隠したりしたのだろう。そういえばあの本には大正セントラルホテル――現在はサンルートホテルになってしまった――が出てきたのが印象深かった。上京してきた父とコーヒーを飲んだのも、ある編集者の方と打ち合わせをしたのも大正セントラルホテルだ(調べてみるとサンルートになったのは2005年らしく、打ち合わせのほうは記憶違いかもしれない)。

 ジョギングを終えると、かき集めたお金を口座に入れて、花屋でカーネーションを1輪買って帰る。まだトランプが優勢だと報じられている。正午にゆでたまご(2個)食べて、『S!』誌の構成。14時、ラ王の袋麺(醤油)にニラとひき肉をトッピングして食べる。クリントンが209、トランプが244。これはもうトランプだろう。各州の結果に対する解説を聴いていると、ある州では「落ち込みの続く自動車産業に従事する労働者がトランプを支持したのでは」と語られ、ある州では「移住した白人の富裕層がトランプを支持したのでは」と語られる。現状維持を求める富裕層も変化を求める労働者も支持すれば、それはこの結果になるだろう。この現状を「ポピュリズムだ」と批判するのは無意味だ。何を望ましさとして共有するのか、その感情をいかにして培うかを考えるほかないだろう。

 ひたすら構成を進める。NHKをつけておくのが退屈になってきたので日テレに切り替えると、木原さんが天気予報を伝えているところで速報の音が鳴る。木原さんがたどたどしい調子で「AP通信によりますと、トランプ候補が、当選確実と、報じた、そうです」と読み上げた。NHKに戻すと、トランプ陣営の様子が映し出されており、支持者が歓喜の声をあげている。セルフィーを撮ったり、テレビカメラに向かって手を掲げたり。純真そうに目を輝かせてUSAと連呼する彼と、どう接することができるだろう。彼らには信仰がある。信仰のあるほうが圧倒的なのはたしかだ。副大統領が挨拶し、トランプを呼び込んだ。これまでメディアで見てきた姿に比べるとまったく印象が異なる。疲れているだけかもしれないが、そんなに嬉しくなさそうに見える。会場に沸き起こるUSAコールを早々に静まらせてスピーチを始める。「分断という傷を癒していかなければなりません」と同時通訳の女性が翻訳した。

 18時、構成を終えてメールで送信する。ちょうど音楽ナタリーで市子さんと藤田さんの対談が公開されたところだ。帰国した数日後に2人の話を聞いた日のことを、この数年のことを思い浮かべる。18時半、スタイルフリーを持ってアパートを出て、市子さんが先月リリースした5枚目のアルバム『マホロボシヤ』を聴きながら明治通りを歩く。缶ビールを手に歩くのはそろそろ限界だ。あんまり冷たいので何度も持ち替えながら歩き、南池袋「古書往来座」で暖をとる。セトさんがネックウォーマーをすすめてくれる。どんなものだかパッと思い出せずにいると、「あの、ほら、ちくわみたいなやつ」とセトさんが言う。セトさんの言語感覚をいつもうらやましく思っている。

 西武池袋線(各停)に乗り、19時半に桜台「POOL」。今日はこれからバストリオ『わたしたちのことを知っているものはいない』という演劇を観る。この会場だと床に直接座ることになるだろう(そして腰を痛めるだろう)と思っていたけれど、椅子があってホッとする。作・演出の今野さんがバケツを持って歩き、溝のようになった場所に何度も水を注いでいる。チケットはワンドリンク付きだったので、開演直前にコロナに換えて、追加で1本コロナを購入する。当日パンフレットを読むと、今作の制作にあたり沖縄に足を運んだ旨が書かれている。

飛行機は無事に飛んでくれました。
島の東西南北、様々な場所へ向かってひたすら車を走らせました。
辺野古や高江にも行きました。
そして、感じることがたくさんありましたし、
わからないことがたくさんありました。
様々な問題、諍い、大きな戦争というのは
今もどこかで繰り広げられています。
どこにだって光や影はありますが、その間のグラデーションは無限のようにあって
想像することができると思ってます。

 ただ、ストレートに沖縄の話を描くのではなく、様々なシーンが断片として散りばめられている。そうした構成から伝わってくるのは、薄氷の上にあるわたしたちの生活というものと、当事者と私という問題だ。ただ、こうしたテーマはこの数年で何度となく観てきたものである。この劇は一体何を描こうとしているのだろう。津波に襲われた海岸の話も少し登場する。その砂浜に行ってみたいと言って歩く男は、「見たことは、信じることができるので」と語る。また別の断片では、「いつのまにか戦争は始まっていた」と語り始めて、戦争の経過が語られる。よく聞けばそれは沖縄戦の経過である。また別の断片では基地を外から見学し、「どうしてこんなに広い土地が必要なんですか?」「ここは誰の土地ですか?」と次々に問いを発し、口を塞がれてその断片は終わる。素朴なことしか考えられない僕が言うのもどうかと思うけれど、あまりにも素朴ではないかと思ってしまう。

 この『わたしたちのことを知っているものはいない』という作品を観ていると、今年の夏に開催されたワークショップ公演のことを思い出す。あの作品もまた様々な断片から構成されており、奇妙な愛嬌と素っ頓狂さが随所にまぶされていた。ワークショップで様々な人と出会って、そこから作品を作り上げたことが今回の作品にも大きな影響を与えている。その蓄積はわかるのだけれども、こうしたテーマを扱う作品で、そうした演出を施すことは何に寄与しているのだろう。別に「重いテーマを描く作品に笑いを用いるのは不謹慎だ!」なんて思っているわけれではないけれど、何を思えばいいのだろうかと戸惑ってしまう。

 そう、何を思えばいいのかと戸惑ってしまう。ある断片では「ここはセルビアボスニアの境界線です」と役者が語り始める。その場面では舞台上にいるのは一人だけで、こちらに背を向けて座り、話を続ける。彼女は想像を膨らませてゆく。それがある程度膨らんだところで、舞台上に別の役者が姿を現し、「大丈夫?」と声をかける。こうしたシーンを観ていると、「遠くの戦争」を感じるというよりは、私たちは安全で「無傷」だということだ(この「遠くの戦争」と「無傷」というフレーズは、劇中でスクリーンに映し出されるものだ)。私はこの気分に戸惑っていていいのだろうか。こうして書き連ねていることは、別に劇に対する不平不満ではなく、観客である私の問題である。それは今日という日だから余計にそう感じるのかもしれない。スーザン・ソンタグの『他者の苦痛へのまなざし』の一節を思い出す。

 これは地獄だと言うことは、もちろん、人々をその地獄から救い出し、地獄の劫火を和らげる方法を示すことではない。それでもなお、われわれが他の人々とともに住むこの世界に、人間の悪がどれほどの苦しみを引き起こしているかを意識し、その意識を拡大させられることは、それ自体よいことである。悪の存在に絶えず驚き、人間が他の人間にたいして陰惨な残虐行為をどこまで犯しかねないかという証拠を前にするたびに、幻滅を感じる(あるいは信じようとしない)人間は、道徳的・心理的に成人とは言えない。
 或る年齢を超えた人間は誰しもこのような無垢、このような皮相的態度、これほどの無知、あるいは健忘の状態でいる権利を有しない。

 21時半に観劇を終えると、「秋元屋」に向かった。「野方にある秋元屋は名店だ」という話はよく聞いていたけれど、生活圏ではないせいかまだ足を運んだことがなく、2号店だというこの桜台店が初めての「秋元屋」だ。まずはホッピーを注文し、焼きとんをいくつか注文する。隣には常連客とおぼしきお兄さんたちが座っている。彼らは喫煙者だが、隣の客に煙が行かないようにさりげなく配慮して吸っている。焼きとんも大変うまく、なるほど良い店だ。

 1時間半近く飲んだところで閉店の時間となる。あれこれ注文したので3千円は超えるだろうと思っていたのに、会計が2千円程度で驚いた。西武池袋線と山手線を乗り継ぎ、千鳥足でアパートに向かっていると、数少ない友人からLINEが届いた。何度かやりとりをしたあとで、わかりきっていることかもしれませんが、何百年という世界時間の、ある繰り返しの原因として、忘却は大いに関係あるとおもいます、と送られてきた。それはその通りだと僕も思う。ただ、今日という日を嘆いているわけではない。同じ時代を生きて、こうしてLINEを送ってくれる人がいるのだから、千鳥足であっても自分も歩かなければという気持ちでいる。