「6時30分、6時30分、今日は11月12日土曜日、今日も頑張っていきましょう。6時30分、6時30分、今日は11月12日土曜日、今日も頑張っていきましょう」。アラームとともにそんな音が聴こえてきて目がさめる。目を開けるとカプセルの中にいる。響いている音声も相まって、いつのまにかタコ部屋に収容されていたかのような感覚に陥る。誰かがアラームを鳴らしたままにしているようだった。8時過ぎ、ジョギングに出る。鴨川沿いはやはり走っていて心地よく、四条から三角デルタまで走って引き返す。普段走っているところだって川沿いなのに、どうしてこうも違うのだろう。川沿いに住むというのも一つの理想だ。犬を散歩させる人とすれ違うたび、自分がその犬を散歩させているところを想像する。現実にはまだ二度しか散歩させたことはないのだけれど。

 カプセルホテルに戻り、シャワーを浴びる。こうしてみると、ビジネスマンや高齢の人も多くいる。ふと隣で歯を磨く人を見ると、昨日同じ作品を観ていたAOKさんがいる。彼が出演する作品を観たことがあるので気がついたのだが、面識はないので声はかけずにおいた。10時チェックアウト。まずはジュンク堂書店をのぞく。気になっていた梯久美子『狂うひと』を探して見ると、思っていた以上に分厚く、東京に戻ってから買うことにする。3冊ほど購入して店を出る。

 柳馬場通りを歩く。蟹のイラストがあしらわれた段ボールを抱えた配達員がチャイムを押している。もう冬だ。11時、イノダコーヒ(三条支店)に入り、カウンターに座る。ミックスサンドとホットコーヒーを飲みつつ、さきほど買った深沢七郎対談集『生まれることは屁と同じ』を読んだ。数年前に出た本だが、最近好きなミュージシャンの人がこの本の写真を載せていたのだ。女性との対談のほうが面白く感じる。

 12時、開店時刻を目指して京極にある「スタンド」。たまに開店してすぐに満席になることもあるけれど、今日は比較的空いている。瓶ビールとカキフライを注文。今年は何度となく京都を訪れているけれど、神社にもお寺にもほとんど行かず、同じ店ばかり飲み歩いている。しかし自分にとって京都に来るということはこういうことなのだから、どうにもならない。犬の散歩もこういうものだろうか。テレビではNHKのニュースが流れている。登山での遭難者が過去最多になったと言っている。ここでいろんなニュースを観ている。注文しようと決めてから10分くらいイメージトレーニングをして、「すいません、き(↑)ず(↓)し下さい」と店員さんに告げる。言葉は手形だということを、海外に出かけるたびに感じるけれど、国内で少し移動するだけでも言葉のことが気になってしまう。

 角ハイボールを3杯飲んで店を出て、タクシーで京都駅に向かった。信号を待っているところで、高齢の運転手が「なんぼなんでも、あたたかすぎますねえ」と柔らかい口調で言う。そうですねえと、つられてこちらもつられて柔らかくなる。でも、混んでんのは紅葉んとこだけですわ。ヒガシオオジもそんなでしたわ。運転手のぼやきに「週末でもそんなことあるんですねえ」と答えてみたものの、ヒガシオオジがどこなのかわかっていない。

 少し時間があるので、知人に「お土産何にしようか」とLINEを送ると、「いらんよ」と返ってくる。そういえば知人もKYOTO EXPERIMENT(昨日観たのはこのフェスティバルの作品だ)を観るために、今頃もう京都に着いているはずだ。誰かに渡すことがあるかもしれないと思って、いくつかお土産を購入する。新幹線の中ではコーヒーを飲みながら読書のつもりだったけれど、香箱かに寿司という駅弁があるのを見つけて、缶ビール2本と一緒に買ってしまった。

 指定された席に座る。同じく京都から乗ってきた関西の言葉を話す隣のカップルは、シウマイと串揚げを広げて乾杯している。新幹線に乗るたび酒を飲んでいる僕から見ても大胆だ。前の席では3人組が酒盛りをしている。40代くらいの男性が、酔っ払って隣の若い女の子に顔を近づけている。段々腹立たしくなってくる。どうして自分は腹を立てているのだろう。酔ってでたらめになっている人間に腹が立つのか。でも、それなら他人のことをとやかく言える立場ではないはずだ。しばらく考えて、声のでかい人間が嫌いなのだろうという結論に至る。

 16時半に品川駅に到着し、電車を乗り継ぎ青山一丁目を目指す。今日と明日、草月ホール前野健太デビュー9周年記念公演「歌手だ」が開催される。2日間通し券を購入していたので、受付で2日分のチケットと交換する。席は指定で、1日目と2日目は別の席だ。開演時間を5分ほど過ぎたところで客席が暗くなり、前野健太がステージに姿をあらわす。無言のままギターを手に取り、演奏が始まる。1曲目は「ねえ、タクシー」だ。

 コンサートが始まってしばらくは客席で落ち着けずにいた。椅子に座って前野健太のうたを聴くということは、かなり小さい空間では経験があるけれど、この規模のホールでは初めてだ。歌っているほうとしてもぎこちなさがあるのか、途中で「お客さん、いますよね?」なんて言っている。でもそれは、このあとに登場するゲストが控えているかもしれない。そのゲストというのはChageだ。8曲ほどひとりで歌ったところで、前野健太がある曲を歌いかけてすぐに「これカットで」と言う。そうして「スペシャルゲスト、Chageさん!」と呼び込んだ。

 「本物、ですよね?」と問いかける前野健太に、「ヨッ、大統領!」と返す。歌に入る前に、今回ゲストに出ることになるまでの経緯が語られるのだが、お互いがお互いのリズムで話すものだから脱線に脱線を繰り返しているのがおかしかった。5分以上経ったところで、ようやく前野さんがリクエストしたという曲が歌われる。最初の曲は「ひとり咲き」だ。二人が交互に歌い、サビは一緒に歌っている。良い曲だ。再びトークを挟んで「リクエスト」が演奏され、再びトークが始まる。普通のコンサートでこんなにしゃべられたら嫌かもしれないが、二人のトークはおかしくて聞いていられる。

 今度はChageさんのリクエストで「東京の空」だ。「俺、『東京の空』も歌っていい?」「いや、駄目です」なんてやりとりをして曲が始まったけれど、これも二人で歌っていた。そこからはトークを挟まず、「男と女」が始まる。この2曲はとても印象的だった。歌い終えると、「こうもしなかったら歌わなかった曲だ」とChageさんは礼を述べる。最後に一人で「遠景」を歌って、ゲストは舞台から去ってゆく。

 再び前野健太が一人で演奏を始める。歌い始めたのは「エピローグ」や「男と女」のフレーズだ。何度かそれが繰り返されながら、「今の時代がいちばんいいよ」に入ってゆく。この時間はギョッとするほど素晴らしかった。前野健太がこれまでとは少し違う場所に立っているように見えた。

 これは少し前に「月見ル君想フ」でのライブのときにも感じたことだけれど、前野健太の歌が変化して、より普遍的なものになりつつあるように感じた。たとえば、終盤に演奏された「100年後」はもう少しロマンティックな響きを持っていたような気がするし、「マン・ション」であればもう少し極私的な世界を感じさせた。でも今は、かつては私的であった歌を前野健太自身が捉え直しているように思えるのだ。

 私が消えて歌だけが残る。ゲストが去り、一人で歌い始めた前野健太の姿を眺めていると、そんなことが思い浮かんだ。改めて、「東京の空」を歌い終えたあとにChageさんが言っていた言葉を反芻する。「Chageさんが歌うとヒット曲っぽく聴こえる」と前野さんが言うと、「元がいいんですよ」とChageさんが言う。それに「いや、元はいいんですよ」と言って笑いを誘っていた前野さんだったけれど、「でも、どうもバーンといかないんですよ」とこぼした。その言葉に、Chageさんはすぐに反応した。いや、いかなくていいんだよ。お前が死んだ80年後ぐらいに大ブレイクする――と。

 本編は2時間ほどで終わり、会場からはアンコールを求める手拍子が起こる。普段はあまり熱心に手を叩かないのだけれども、今日は思い切り手を叩く。アンコールの1曲目だけChageさんが再登場し、ふたりで「ファックミー」を歌い上げる。これは素晴らしかった。歌の最後に即興でやりとりをしているうちに着地点がわからなくなっていくところも含めて良かった。物事というのはそんなに綺麗に終わるはずがないだろう。

 「ファックミー」が終わるとまた前野さんひとりに戻った。そうして「豆腐」を歌い、続けて「18の夏」を歌いだそうとしたところで、「これ、抜いていいかもう」とギターからプラグを抜き、マイクも通さず歌い始める。何より印象的だったのはそうしてアンプラグドで歌った「18の夏」、「ダンス」、そして「天気予報」の3曲だ。マイクを通していないはずなのに、その3曲がいちばん遠くまで届いていくような感触があった。いつかすべては滅んでしまうのだということを考えながら、アンコールの歌を聴いていた。歌は残るだろうか。歌は残るだろう。