朝テレビをつけると、「めざましテレビ」が流れている。最近は深夜にフジテレビにチャンネルを合わせることがなくなったので、テレビをつけたときに流れているのが「めざましテレビ」だというのが不思議だ(しかしどうしてフジテレビにチャンネルを合わせて眠ってしまったのだろう)。番組が始まったばかりの頃はこの番組の明るさが好きでよく観ていたけれど、20年以上経つとその明るさは不気味に感じる。

 今日の放送ではしきりに68年振りのスーパームーンのことを取り上げていて、どういう場所だときれいに見えるか、どうすればきれいに撮影できるか紹介している。しかし、それが終わって天気予報が始まると、沖縄と北海道以外は18時以降すべて雨のマークで埋まっている。がっかりだ。ずっと楽しみにして、カレンダーにまで登録していたのに。10日くらい前に、一瞬だけ「沖縄に行って、水納島か喜屋武岬でスーパームーンを観ることができればどんなに幸せだろう」と考えたことがある。さすがにそこまですることはないだろうと思っていたけれど、沖縄に行ってしまえばよかった。

 ふて寝し、12時過ぎになって起きる。ジョギングに出ると、いつも走る時間だとまだ営業前の駄菓子屋が開いている。タイの雑貨屋なんてのができていたのか。神田川沿いはジョギングするときにしか通らないので、発見がある。聴いているのは今日も「ナインティナイン岡村隆史オールナイトニッポン」で、NSCの同級生がミニ四駆バーを初めて繁盛していると話している。それは楽しそうだ。小学校の頃は僕もミニ四駆を買ってあれこれ遊んでいたけれど、田舎だとコースも、コースを持っている同級生もおらず、家の廊下で走らせるくらいしかできなかったことを思い出す。

 14時、袋麺のラ王(醤油)にニラと挽き肉をのせて食す。風呂につかりながら、深沢七郎対談集『生まれることは屁と同じ』を読み終えた。これは先日読んだ向田邦子の対談集を読んだときにも感じたことだけれども、戦後どころか昭和の終わりに生まれた僕とはまったく感覚が違っているところがあるということだ。たとえば、大橋巨泉との対談でこう語る。

巨泉 自給自足の生活がしたくて、ラブミー農場を始められたんですか。
深沢 米は買いました。最初から米は作れる自信がなかった。あとは自給自足で間に合ったっていうよりも、間に合わせたわけです。トマトのないときにトマトを食べようとか、春先にナスを食べたいとか、そんなことはしないんです。
巨泉 トマトのないときにトマトを食べようなんて、まちがってますよね。
深沢 でも、ほかの人はさびしく思うらしいわね。
巨泉 ぼくは大反対ですね。
深沢 夏の間は毎日毎日、みそ汁の実はナス、おこうこはナス。ナスのしぎ焼。わたしなんか野菜好きだからね、よかったです、ええ。
巨泉 ぼくは必ず季節のものしか食べないんです。ナスだのキュウリだのが一年中あるなんて、いやですね。
深沢 シュンでないときのものは、うまくないですよ。味がちがいます。トマトなんか、スカスカした味でね。

あるいは野坂昭如との対談中にオレンジジュースを勧められたときのこと。

深沢 いや、私は工業製品はダメなんです。皆さんでどうぞ。わたしはあまり食わないんですよ。佃煮なんかもらっても、ちょっとしか食わないで、たいていいけちゃう。肥やしになるからね(笑)。
野坂 いま都会に住んでる人間のウンコってのは、肥料としてダメらしいですね。妙なもの、それこそ工業製品ばっかり、たとえば、カップ入りメンとかインスタントラーメンばかり食べてますから。そういう人間のウンコなんて、おっそろしくて畑に入れられないって話を聞きました。
深沢 (コックリうなずきながら)そうでしょうねえ。

 こうした感覚が存在するということはもちろん知っているけれど、僕はトマトの味の違いなどわからない。これらの対談が収録されたのは僕が生まれる前なのだから当然だろう。しかし、一方で、戦後において庶民であるということは――唐十郎との対談で「庶民」という言葉は嫌いだと語っているけれど――工業製品とともに生きることではないかと感じる。あるいは、小沢昭一との対談に登場するこんなやりとり。

深沢 いまは遊ぶったって、遊園地へいって遊ぶんだからね。遊びの道具がちゃんと用意してあるンですね。
小沢 少しぬかるみみたいなところを見つけますとね、それを団子にこねて、足のすねでこするんですよ。(ひざを立て、ズボンをまくり上げて実演)するうちに鉄のような色がね、ドロの団子から出てくるんですね。それを誰にもわからない場所に隠しとく。子ども独特のことばで「ヒミツ」っていうんですがね、何日かたって、ちょこっとそこへいっちゃ、「あ、まだヒミツになってる」って安心するんですね。そういうことを重ねながら育ったのと、いまみたいな育ち方と……その結果を知りたいですねえ(笑)。

 僕が生まれた翌年には東京ディズニーランドが開園して、小さい頃親に遊園地に連れられて行った記憶はたくさんある。でも、その一方で、泥団子をこねて隠しておいた記憶だってある。と、こう書くと語られている言葉に反発しているようになってしまうけれど、読んでいてやはり面白かった。印象的だったのは、唐十郎との対談や寺山修司との対談だ。この二人の言葉には、やはり独特の匂いと熱気がある。しかし、深沢七郎はそれをするりとかわしている。

唐 深沢さんは庶民という言葉を使っているけど、本当は庶民という言葉、きらいでしょう。
深沢 いやだったねえ、きらいだったねえ。キザな言葉でね。
唐 『庶民列伝』の序説で庶民という言葉をあなたは忌みきらっているんですよね。平民あるいは大衆とか被抑圧者というのとは違うんですか?
深沢 ふつうの人、俺ぐらいの人、金持でも乞食でもない、というくらいですね。
唐 つまり庶民は限定されない深沢さんのような人だから、庶民イコール欲望と考えていいわけですかね。その反対がインテリとかブルジョワで。
深沢 まあインテリとかブルジョワは人種がちがうという感じで。
唐 わたしはね、人間の欲望の等価ということで人種の別というのはないという気がするんですよ。人種の違いは、欲望の料理の仕方がちがうんだと思うんですよ。
深沢 いやあ、人種の違いはありますね。
唐 深沢さんは人間の欲望に対してはふまじめですね。
深沢 唐さんはやっぱりインテリですよ。

寺山の場合は、人懐っこさで懐に潜り込もうとするのだけれど、ここでも深沢七郎はひらりとかわしている(この対談は、1年前の今、寺山修司に関する資料を読み漁っているときに見つけて読んだことがあるけれど、そのときも同じ印象を持った)。

寺山 いや、人生のほうがこっちに哀愁を感じてくれないんですね。深沢さんはやっぱり哀愁とシッポリいってる感じがする。
深沢 あーいしゅう(哀愁)感じないほうが最高にいいんですよオ(笑)。そオんな幸福なことないですよオ。おれなんか、今川焼はじめて忙しいばっかりでね。
寺山 しかし、何に化けても小説書きは小説書きだからね。深沢さんは永井荷風みたいにして死ぬんじゃないですかね。
深沢 荷風はどうやって死にました?
寺山 貯金通帳をふところに入れて、フミ切りで行き倒れですよ。
深沢 あっ、大変だ(深沢氏、立上り今川焼を裏返し始める)
 ほら、いまちょうどいいからさわってごらんなさい。

 それぞれの対談は、30歳の唐十郎と54歳の深沢七郎、37歳の寺山修司と56歳の深沢七郎による対談であり、20歳以上年長の深沢七郎のほうが上手であるのは当然かもしれない。でも、この中では一番年齢差の少ない対談であるとはいえ、当時34歳の高峰秀子と44歳の深沢七郎による対談では、高峰秀子がころがしているようにも見える。冒頭からこんな調子だ。

高峰 いま、なにお仕事してらっしゃるの?
深沢 いまちょっと休んでるんです。行詰まって。
高峰 早いですねェ。テンポが。どっちが本職か知らないけれどもギターのほうは?
深沢 全然やりません。家ではひいてますが……このごろはね、小説書くというのは、何のために書くのかしらと思っちゃった。なにか最近、ドラマチックなことを書くのがバカバカしくなったんですよ。だから地味になっちゃった。
高峰 ひねくり回すのがいやなのね。
深沢 いい傾向ですか、少し利口になったのか。
高峰 しらばっくれているから、どこまで本当なんだか……(笑)。
深沢 いつでもいわれるけれども、しらばっくれているのとは少し違うと思う。
高峰 私、第一印象からしらばっくれていると思っちゃった(笑)。こっちがヒネているのね(笑)。

 高峰秀子に限らず、女性との対談はどれも面白かった。特に面白かったのは樹木希林との対談で、あっけらかんとこんなことを語っている。

深沢 (略)あなた、子供いるの?
樹木 一人です。
深沢 一人ならいい。そこまででいいよ。三人も持った奴は死刑にしちゃっていい。そういう法律にすればいい。
 今度の選挙で自民党が二百八十何人だか取ったでしょう。あれだけあれば、徴兵令を敷いてね、戦争をどんどんやることもできるし、日本国中の男の首を切ってしまおうという法律だってつくれる。だから俺は、今度の選挙はよかったな、早くそうやりゃいいなと思って待ってるけどね。(手を叩く)
樹木 本気でですか。
深沢 本気。だって、議会ですべてを決めるんだもの。何をやろうが自由自在。徴兵令であろうが戦争であろうが、いくらだってできますよ。
樹木 そうしようと思えばね。
深沢 だからわたしは、俺の生きているうちにやってくれればいいなあ、と思って。
樹木 深沢さんは、そのときどうなるわけですか。
深沢 わたしは一緒に切られるほう。
樹木 はあ――。
深沢 いいじゃない、みんな一緒なら。
樹木 ……。(絶句)

 ところで、僕が急にこの対談集を読もうと思ったのは、ミュージシャンの見汐さんが書影を載せているのを見かけたからだ。見汐さんの歌を聴いていると、諦念、といってしまうと違うのだけれども、それに近い何かを感じることがある。この対談集の写真を載せているのを見て、ああなるほどと急に納得が行き、読んでみることにしたのである。そうした諦念のようなものは、樹木希林との対談ではこうしたところにあらわれている。

樹木 あのー、奥さんは、絶対にもらわないんですか。
深沢 二、三回あったけどね。だけど、そんなものは、自分の自由に生きるには邪魔くさいよ。なにかいわれるもの。「あんんた、もっと稼ぎなさいよ」とかね。
樹木 なるほどねえ。
深沢 自分一人だったら、なにしたって平気よ。
樹木 寂しくなったりしませんか。
深沢 いやー、いろいろいわれるよりいいね。
樹木 ああ、いわれるよりね。なるほどね。さっきのお話なんか伺ってると、なんだか、死ぬとか殺すとかいうことに対して無頓着でね。これが活字になったら、ずいぶん非情な人のように思われるかもしれないけれども、深沢さんは、死ぬのと生きるのとの境目は、どのへんにしているわけですか。
深沢 同じだもの。要するに、生きているうちに死んだような生活をすることがいちばん理想だね。
樹木 はあ。死んだような生活って、具体的にどんなのかしら。
深沢 なんでもパーで生きたほうがいいの。死ねば、もう物体だからね、石ころだから。そう思えば別段、ね。

 あるいは、横尾忠則との対談にあるこうしたやりとり。

深沢 旅行がなぜ楽しいかというと、いろいろなまわりのものから離れることが楽しいんでね、おれなんか。洋服ダンスがある。そのふだん使いなじんだ洋服ダンスと別れる。ましてや友だちなんかともさっと別れちゃって、いいなァと思ってたびに出かけるですよ。
 おかしくてかなわないのは、うんとゼニを貯めた人が死ぬとき。いちばんかわいそうだなァと思う。毎日毎日セッセと貯めたものを、ぜんぶ置き残していくんだからね。
横尾 そういう恐怖ですね、自分の所有しているものを、いかに捨てていくかということ、これがいまからのぼくの人生のひとつのテーマなのです。
深沢 横尾さんには幸せなことに、それをテーマに生きていくという楽しみがある。おれはわりかた早くそういうことを……。
横尾 解脱された……。
深沢 解脱というんではなく、性質ですかねえ。わりあいさっと抜けるのが好きなのです、そういうことを。

 この本を読もうと思ったきっかけはもう一つある。それは数日前に届いたLINEだ。送ってきたのは、女優のN.Aさんである。僕は彼女のことを「バターケーキ」と題して書いていたのだけれども、それを「見つけました」と連絡があったのだ。「バターケーキのことは、僕の中で本当に印象深い話で、あそこに書いた通り、Aさんにはかなわないなといつも思います」と僕は返信した。僕はAさんにも、諦念のようなものを感じるところがある(だからこそ彼女のことがおそろしくもある)。もちろん、それは深沢七郎のそれとぴったり重なるものではないけれど、たとえばこうした発言を見るにつけ、やはりどこか通じるものがあるのではないかと思ってしまう。

深沢 うまいものを食うと、あとでおれはかならずメシ食うの。おこうこのお茶漬けで。うまいものはあとがしつこくて、苦しいような、おさまりがつかないんです。で、メシ食うと、からだが落ち着くんですねえ。


 気づけば2時間も湯に浸かっている。ここ最近はシャワーで済ませてしまっていたので、体がべたついているような感じがしていたので、たっぷり入れて満足だ。垢すりでこすると、いつも以上に垢が出た。風呂から上がり、テレビをつけると、夕方のニュース番組でスーパームーンの中継をやっている。秋田、岩手、八戸と中継を結んでいて、そこには綺麗な満月が浮かんでいる。行けばよかったなあ。しかし、テレビで観ても、何のことはない普通の満月だ。100万人ものソウル市民がデモに集まり、ペンライトを振る様子も映し出される。「これが国か」という朴槿恵の辞任を求める歌も紹介されている。日本でデモが盛り上がらないことを嘆く人もいるけれど、僕はこんなふうに皆で盛り上がって怒りの声をあげる世界ではうまく生きていける自信がない。

 19時半、知人が早めに帰ってきたので一緒に晩酌。知人はセブンイレブン酸辣湯麺、僕は餃子を焼いて食す。昨日途中で観るのをやめてしまった『クイズ⭐︎スター名鑑』だけれども、後半は本当に腹が爆発しそうになるほど笑った(ただ、コウメ太夫は大丈夫なのかと心配になる)。最後の「デスメタルチャンス」というのがすごい企画だ。デスメタルバンドのボーカルがデスボイスである曲をカバーし、それが何の曲であるかを当てるという企画なのだが、当然一つもわからない(しかし、あとで字幕付きで聴いてみると確かに歌っている)。デスボイスを、芸人たちが懸命に聞き取ろうとしている絵が非常に面白かった。これがお茶の間(なんてものが存在するかはわからないけれど、たとえばうちの実家のテレビ)で流れていることを想像すると愉快だ。しかも、次の番組は『ピラミッドダービー』だから、最後にこの企画を持ってきたのはわざとだろう。

 それを観終えると、先週放送された『地味にすごい 校閲ガール』(第6話)を観る。知人はこのドラマと『逃げるは恥だが役に立つ』を楽しみにしていて、一話に一度は泣いている。今日はもうビールを5本も飲んでしまって、ずいぶん楽しそうだ。僕は途中で飽きてしまって洗い物をしていると、ラストのシーンで菅田将暉演じる折原幸人が良い台詞を言ったらしく、「ごめんなさいねえ、幸人君にそんなこと言わせちゃって」なんて言って泣いている。すっかり自分が言われた気分になっているようだ。何で人に洗い物させといてそんなアホなことを言ってるんだよと怒ると、被っていたフードの紐を絞ってこちらを向き、かわいこぶっている。丸眼鏡をしていることもあり、ヤゴみたいで笑ってしまった。愉快な気持ちに戻って「ヤゴみたいだね」と感想を伝えると、今度は知人が不機嫌な顔になる。