10時半に起きる。起きて早々に、知人とそばの話をした。最近毎日そばを食べているので不安になり、糖質について調べてみたところ、麺類の中では比較的糖質の低い食材だった――そんな話を伝えると、「朝によく富士そばを食べてから会社に行っている」と知人が言う。一緒に暮らしていても、その生活については知らないことだらけだ。12時、一緒にアパートを出る。朝からそんな話をしていたせいか、一緒に富士そばで昼食をとる。僕はゆず鷄ほうれんそうそば、知人は赤富士そばを選んだ。ゲームとコラボした限定メニューらしく、温玉と肉がトッピングされており、豆板醤(?)らしきもので赤く彩られている。あの温玉はどうするのだろう。しばらく観察していると、最後にひとくち分のそばと肉が残ったところでようやく温玉を割り、麺と肉と一緒に啜っていた。

 12時50分、知人と別れて荒木町へ。今日はゲーム会に誘われていたのだ。13時、荒木町にある酒場にて、ゲーム会が始まる。会の進行役はゲームマスターの先生だ。遅れているひとりを待つあいだ、まずは「横暴編集長」というゲームをやってみることになる(こうして時間を繋げることもゲームマスターたる所以だろう)。上の句と下の句を繋げて遊ぶ大喜利的なゲームで、「そんなゲームが自分にできるだろうか」とそわそわしていたけれど、初めてみると思いの外楽しかった。

 ほどなくしてメンバーが全員揃い、今日のメインである「パンデミック」というゲームが始まる。今回ゲーム会に参加する5人は「パンデミック」をプレイしたことがないこともあり、ゲームマスターにルールを教わりつつ、一番簡単なレベルでゲームが始まる。人狼系のゲームかと思っていたけれど、全員で協力してウィルスの感染拡大を防ぐゲームだ。どうにかしてすべてのワクチンを完成させたあと、ウィルスの根絶を目指してプレイを続けたが、根絶にまでたどり着くことはできなかった。最後にターンがまわってきたのは、えまさんとよんちゃんチームだ。「どうする? 最後に行っときたい場所ある?」と2人が旅行でもするみたいに世界を飛び回っているのがおかしかった。知人からも「クイズをあれだけ真面目にやるんだから、ゲームも絶対ハマると思うよ」と言われていたけれど、真剣にやっていたせいかあっという間に1時間半が経ってしまっていた。

 ゲーム会が終わると、皆と別れて鶯谷に出た。間違えて反対側に出てしまったので、ラブホ街を抜けて歩く。ところどころでカップルが歩いている。「遊んで行かない?」と声をかけている女性がいる。細い路地にクルマが入ってくる。運転手は耳にヘッドセットをつけており、ホテルの入り口にクルマが横付けされると、すらりとした女性が消えてゆく。僕は喫茶店に入り、しばらく本を読んでいた。後から数組若い客が入ってきたけれど、彼らはきっと、僕と同じ目的で鶯谷を訪れたのだろう。

 17時、東京キネマ倶楽部へ。今日はここで踊ってばかりの国のライブがあるのだ。整理番号が呼ばれるのを待って中に入り、一番端っこのほうの場所に陣取る。続々とお客さんが入ってくる。皆若いなあ。大学生ぐらいだろうか。ほとんどが平成生まれだろう。平成元年生まれだってもう28歳だ。こういう会場で、どんどん浮いていくのだろう。もうすぐ僕も34歳になる。ドリンクチケットをハイボールに換えて飲んでいるうちに18時になり、ゲートボーラーズというバンドのオープニングアクトが始まる。印象に残ったのは「ラブソングを歌えない君に」という曲だ。

 オープニングアクトは30分ほどで終わった。転換を挟んで、踊ってばかりの国が登場する。ボーカルの人は髪を切っていた。この1年、何度か踊ってばかりの国のライブを観ている。いつも素晴らしいと思う。「風の歌を聴け」に登場する「気分が良くて何が悪い?」という言葉を思い出す。でも、どこかつかみどころがないところがある。僕は彼らの演奏を言葉で捉えることができないでいる。ただ、この日はいつもと違う曲が深く印象に残る。そのうちの1曲は「話はない」だ。そこにはこんな歌詞が登場する。

別に話はないけれど
戦争が終わったことくらいは知らせてほしい

ズックも高く音を鳴らし
君が終わることを知らせてほしい

 もう一つ印象に残った曲は、アンコールで演奏された「言葉も出ない」だ。こちらには「また笑って会いましょう 生きてたら 言葉も出ないだろう 死ぬんだから」という歌詞が登場する。ボーカルの人は、どこかのタイミングで「人生色々あるけど、楽しくやってこ」とMCで語った。「幸せになるのは生きているうちだけやからな」と。とても印象的な言葉だったので、すぐにメモを取った。

 終演後はやはり「信濃路」で飲むことにした。ホッピーと肉じゃが、それにメンマを注文する。同じく踊ってばかりの国のライブを観てきたのであろうお客さんも後から数組やってくるが、この店では少数派だ。僕は『落語百選〈秋〉』(ちくま文庫)をチビチビ読んだ。落語のことをどこか教養的なものだと思っていたけれど、最近少し印象が違ってきた。この本の冒頭に収録されている「道具屋」でも、与太郎が江戸っ子的な粋を骨抜きにしてしまう場面がある。

 今日は「つるつる」という話を読んだ。この話に登場する幇間の一八は、長年惚れていた芸者から「色恋のように浮いた話なら御免だけど、女房にもらってくれるのなら」という言葉をもらう。ただし、お前にはずぼらなところがある、今晩2時きっかりに部屋に来てくれたら結婚してもいい――と条件をつけられる。すっかり浮かれていた一八だが、そこに師匠がいて、一緒に飲み行こうと誘われてしまう。一八が正直に事情を伝えると、「途中で返してやる」と言われて同伴するのだが、結局次々と酒を飲まされてしまって、幇間の性として場を盛り上げ、酔っ払って眠ってしまい約束を反故にしてしまう。この「そうとしか生きられない」一八の姿にグッとくる(グッときている僕は、自分が怠惰であることを肯定しようとしているだけだろうか)。

 「つるつる」を読み終えると本を閉じ、ホッピーの中を頼んだ。アジフライとポテトサラダも注文する。ホッピーの中はジョッキの8割5分まで入っていて、外を入れようがないほどだ。チビチビ外を継ぎ足しながらホッピーを飲み終えて、会計をしてもらう。ジョッキ2杯の焼酎とツマミ4品で、会計は1700円と激安だ。コンビニでハイボールを買って、ホテル街を歩きながら電話をする。相手は母親だ。しばらく祖母の体調の話をしたあとで、金の無心をする。どうやっても差し押さえられたぶんの都合がつきそうになく、こんなことになってしまった。この歳になって、何をやっているのだろう。どうすれば借りを返せるだろうか。アパートにたどり着いたところで、部屋に積み上がっている『まえのひを再訪する』を眺めながらハイボールを飲んだ。