9時に起きる。先に起きていた知人が「カップヌードルどこやったん」と聞いてくる。昨晩遅くに帰ってきた知人が、2時近くになってカップヌードルを食べようとしていたので、こっそり隠しておいたのだ。「もう朝やけ食ってええやろ」「朝からカップヌードルはないやろ」「ねえ、どこやったん」――知人はシンクの下から冷蔵庫の中、洗面台のほうまで探している。水切りかごの中に隠してあるのをようやく見つけると、嬉しそうにカップヌードルを食べて二度寝している。

 10時過ぎ、ジョギングに出る。紅葉の季節だからか、神田川沿いはいつもより賑わっている。カメラを手に立ち止まる人や木々を見上げて立ち止まる老人たちが大勢おり、避けながら走る。ジョギングを始めて今日で半月になるが、ようやく累計50キロにたどり着く。帰宅後、M&GのHさんに相談メールを送信。来月の公演で物販をお願いできないか、そしてチラシの折り込みをお願いできないか、と。『まえのひを再訪する』が刷り上がったのは7月だから、売れるとすれば年内までだろう。最後の機会に少しでも売れるように、お願いをする。

 13時過ぎ、知人と一緒にアパートを出る。駅前のビルにあるキリンシティに入り、ビールで乾杯。今日は体調がいいのか、ビールが美味しく感じる。昼過ぎまで寝ていたのに、知人はまだ寝足りないとぼやいている。僕は昼過ぎまで眠って過ごしてしまうと絶望的な気持ちになる。寝て過ごさなくても、学生時代は「こたえてちょーだい!」を観て、「笑っていいとも」を観て、「ごきげんよう」と「昼ドラ」を観て「THEワイド」を観て、再放送のドラマを観ているうちに日が暮れかけている――そんなふうに過ごすたびに憂鬱な気持ちになっていた。

 それを伝えると、「それで言うと、大学時代はよく“ジャスト後の行動”って呼びよったわ」と知人が言う。午前中で授業が終わる日には「ジャスト」という番組を観るために家に帰っていて、同級生でも「ジャスト」を観ている子が多かったから、約束があっても「ごめん、“ジャスト後”だわ」と連絡していたのだという。僕は一度も観たことがない番組だけれど、知人は「あの番組でマツコのことも知ったし、最終回に安住が号泣するのを観て私も号泣した」のだという。同世代でもテレビ体験はまったく違っているのが不思議だ。

 ポークジンジャーと真イカと春菊のかき揚げをツマミつつ、会議を開催する。自分の生活を一つのプロジェクトとして考えてみると、破綻していると言われても仕方のないところがある。それはやはり、ちゃんとした指針を持って過ごしていないからだろう。普通のプロジェクトであれば、会議を重ねて今後の指針を決めているはずだ。そこで今日は、知人を突き合わせて会議を開催する。最初のうちは何でそんなことに付き合わなきゃいけないのかと言っていた知人だけれども、少しだけ話に付き合ってくれる。知人が言ったことの一つは、「信頼できる編集者と出会うことじゃないの」ということ。それと、「もふの過剰さは、『ポパイ』とかが好きそうな過剰さなのにね」と言っていたけれど、その過剰さを売りにするためにはそれを自分でもっと言語化しなければならないだろう。

 ココット鯛めしを食べて店を出る。知人と別れて、京王多摩センターへ。今日はTAMA映画祭で向井秀徳特集があり、『ディストラクション・ベイビーズ』と『TOO YOUNG TO DIE』の上映とトーク&ミニライブがあるのだ。上映は16時からということで、「少し早めに」というつもりで20分前に会場であるパルテノン多摩に到着してみると、ロビーはもう人で溢れ返っている。出遅れてしまった。これでは希望の席に座れないかと心配していたけれど、最後列の通路側の席を確保できてホッとする。

 16時、『ディストラクション・ベイビーズ』の上映が始まる。公開直後にテアトル新宿で観ているので、観るのはこれで2度目だ。物語の展開は知っているので、細かいところにも目がいく。村上虹郎北村匠海が海辺を歩くシーンで、喧嘩神輿について語る場面があるのだが、そこで映し出される貼り紙に「三津厳島神社秋祭り(十月)」と書かれている。最初に観たときは、てっきり夏祭りだと思っていたけれど、あれは秋祭りだったのか。夏と秋なんてさしたる違いではないかもしれないけれど、その違いにしばらく思いを巡らせてしまう。

 最初にこの映画を観たときは、柳楽優弥の異様な存在感に釘付けになっていた。善悪を超えたところでただ暴力を求め続ける男の姿に圧倒されていた。でも、今日は柳楽優弥と出会ったことで他のキャラクターたちが変化していく姿に目がいく。底が抜けてしまったかのように豹変し、暴力を――強い相手以外には目もくれない柳楽とは対照的に、ひたすら弱い相手に暴力を――ふるい始めるものの、柳楽ほど徹底した欲求を持っているわけでもなく、「もうええ」と投げ出してしまう菅田将暉。轢き殺したかと思っていた男性が息を吹き返したものの、「こんな世界は終わってしまえ」とばかりに絞め殺した挙句、スピードを上げて事故を起こして菅田将暉を殺しておきながら、警察に保護されたあとは「死んだ子のほうはかわいそうやけど」と語り、「暴力をふるわれている女性に勇気を与えられたら」とブログを書いて評判にまでなる小松菜奈。そして、最後には鉄パイプを手にしてしまう村上虹郎。すぐそこにある衝動というものが、様々な形で噴出する。

 上映が終わると、短い休憩を挟んでトークが始まる。登壇するのは向井秀徳真利子哲也、森直人の三氏だ。どのようにして『ディストラクション・ベイビーズ』の音楽は作られたのかという話が語られるなかで、「映画の登場人物に一切感情移入できなくて、この人たちはどうなっているんだろうと。とにかく混乱している、その混乱をそのまま音としてあらわしたいなと思ったんですね」と向井さんは語り、真利子監督は「初めにデモ音源はいただいてたんですけど、音楽に流されちゃいけないと思って、まずは画だけで考えた」と語る。その真利子監督が向井秀徳の音に出会ったのは高校3年のときで、自衛隊に入るつもりで図書館で勉強していたときに、友達が持っていた『スクールガール・ディストーショナル・アディクト』を聴いたのだという。

 印象的だったのは、会場から「どうして暴力というモチーフを描くのか」という質問が出たときのことだった。先に答えた真利子監督は、10代から聴いていた音楽や読んでいた漫画の影響が残っていたのが一番の理由だと答える。続けてマイクを持った向井さんは、「暴力を描きたいってことではないと思うんですね」と語り出す。そうせざるを得ない人間の衝動、ヤリテーという衝動、カナシーという気持ち、恋をしたよーっていう感情――人間の中に揺れ動いているエモーション、それを音楽であらわしたいと思ってます、と。「喜怒哀楽というのが人間にはありますけど、喜怒哀楽だけでは説明がつかんものがある。この説明がつかんものを何らかの形で吐き出したいっていう思いですね」。

 30分ほどのトークが終わるとミニライブだ。「サカナ」から始まり、「感覚的にNG」、そして『ディストラクション・ベイビーズ』のエンディング曲である「約束」と続く。少しずつ深く潜っていくようなセットリストだ。さらに『TOO YOUNG TO DIE』に使用されている「天国」を演奏し、最後は「はあとぶれいく」だ。先ほどの「この説明がつかんものを何らかの形で吐き出したい」という言葉をあとでこの曲を聴くと、さらに深いところに響いてくる。向井秀徳の歌が聴けるということは、僕にとって希望みたいなことだ。

 ライブが終わると、続けて『TOO YOUNG TO DIE』の上映がある。ただ、映画を2本続けて観る体力がなく、ここで会場を抜けることにする。外はもう真っ暗で、駅からパルテノン多摩へと続く道にはイルミネーションが輝いている。多摩センターにくる機会も滅多にないので、せっかくだから飲み屋を探して歩く。目に入るのはビルばかりで、しょぼくれた店が見当たらなかった。きっとガードの下や駅の反対側にあるに違いないとくまなく探してみたのだけれども、しょぼくれた店は1軒も見当たらない。多摩センターで飲むのは諦めて、新宿で飲んで帰るかと京王線に乗り込んだ。電車に揺られているうちに、今日は日曜日だということを思い出す。僕の好きな店はどこも定休日だ。結局、セブンイレブンでおでんを買って帰り、芋焼酎のお湯割を飲んだ。お湯割を飲むのは、今シーズンでは今日が初めてだ。もうすぐ冬がやってくる。