9時過ぎに起きて、ジョギングに出る。シャワーを浴びたのち、11時半の開店にあわせて知人と一緒に「コットンクラブ」へ。どういうわけだかかつてないほど列が出来ている。列が出来ているとはいえ、広い店だから開店するとすぐに席につくことができる。40食限定の日替わりメニューのチキンのオーブン焼(ケッパーと白インゲン豆のトマトソース)とビールを注文し、乾杯。

 食事が運ばれてくるのを待つあいだ、ジョギングしながら聞いていた「ニューヨークのオールナイトニッポンZERO」(11月17日放送回)の話をする。ニューヨークの屋敷さんが話していたのは、小さい頃のクリスマスプレゼントの話だ。中学1年のとき、母親にリクエストしたプレゼントはゆずのアルバムだったという。すると、どういうわけだか「1年の屋敷が『ゆず一家』を持ってる」という噂が学校で広まり、ヤンキーの先輩が「貸してくれ」と言ってくる。これは絶対に借りパクされるパターンだ――半ば諦めながらも、せめてこれだけはと歌詞カードを抜き、「歌詞カードは無くしました」と先輩に渡したのだという。

 しばらく経っても先輩が『ゆず一家』を返してくれる気配はなかった。そうこうするうちに卒業式が近づいてくる。屋敷さんにとって、そのアルバムは女手一つで育ててくれている母親が買ってくれたプレゼントであり、勇気を出して「返してください」と先輩に切り出す。だが、先輩は言葉を濁して返してくれず、落ち込んで帰宅した屋敷さんは母親に「ごめん、せっかく買ってくれたプレゼントを借りパクされた」と正直に話す。すると母親は「その子、何て子?」と聞いてきた。その先輩の名前を伝えたところ、次の日には先輩が「悪かったな」とアルバムを返してくれた。屋敷さんの母親と先輩の母親は元同級生で仲が良く、親同士で話をしてくれたのだ。アルバムは取り戻すことができたものの、「中学1年にもなって母親に頼るとは何て情けないんだ」と悔しくなって泣いてしまったそうだ。

 僕はとても良い話だと思ったのだけれども、知人はあんまり興味なさそうに聞いている。僕が話し終えたところで口を開く。「いつも不思議に思うんだけど、誕生日とかクリスマスとかを何でそんなにありがたがるわけ?」。僕は誕生日が好きだ。誕生日には仕事を入れず、自分がしたいことだけして過ごしている(普段の生活だって、したいことだけして過ごしているけれど)。その日は世界が自分のために存在しているとさえ思っている。別に「祝ってくれ」と思っているわけではなく、むしろ誰かに祝われてもうまく喜ぶ自信がないけれど、その日は心が軽くなる。クリスマスもそれに近く、数日前から浮かれていて、毎年何かしらご馳走を買っている。別にコンビニで売っている鳥の足でもいいから、何かスペシャルだと思えるものを買って過ごしたいと思う。でも、誕生日にしてもクリスマスにしても、知人は僕とは真逆の考えだ。

 観劇の予定のある知人と別れ、13時にアパートに帰る。コーヒーを飲みながら、録画してあるブルーレイを引っ張り出して、ひたすら見返す。昨晩遅くに、原稿の依頼があった。同じ雑誌の別の編集者からそれぞれ別件で依頼があり、ホクホクした気持ちだ。その原稿を書くための資料として、ひたすらブルーレイを見返す。日が暮れたあとはおでんをツマミにお湯割を飲みながら、日付が変わる頃までブルーレイを観続けた。