朝8時に起きる。昨日で仕事がひと段落したので、夏休みのような気持ちになる。こんな日は久しぶりだという気がする。7月は毎日何かしらの締め切りに追われていて、6月は10周年本の作業に追われていたので、もういつぶりだかわからない。せっかくだから夏を感じるようなことをしたいと思っているのに、窓の外はどんよりした曇り空だ。ふてくされた気持ちでテレビを眺める。朝の情報番組で国分太一がジャニーズのレッスン場を取材している。風呂上がりの知人が歯を磨きながらテレビの前にやってきて、「うわ、××君、少年になってる! こないだまで子どもだったのに!」と興奮気味に言う。

 チャンネルを変える。新国立競技場で働いていた男性が自殺したニュースを報じている。そんなに遠くない場所で、行き詰まりを感じていた人がいる。そんなことは知る由もなく、「自分にできることはなかったのか」みたいな不遜なことを思っているわけではないのだけれど、その声の届かなさを思う。チャンネルを変えるとオリンピックに向けたセレモニーが報じられていた。

 さて、どこに出かけよう。夏の京都でぼんやりするのは楽しそうだけれど、天気予報を確認すると京都も曇天だ。仙台で立ち食い寿司をツマんで、友人と乾杯するのも楽しそうだけれど、いきなり「今日飲みませんか」と誘うのは迷惑だろう。あれこれ迷った挙句、ティーヌン。生春巻きをツマミにチャーンビールを飲もう。そう思って訪れてみると、平日のお昼はサイドメニューを提供しておらず、パッタイとミニガパオのセット。チャーンビールは2杯。満腹になる。ミニガパオは余計だった。重い腹を抱えて新宿に出て、ルミネと伊勢丹をぶらつく。欲しい服は見つからなかった。

 紀伊国屋書店で数冊購入したのち、17時、横丁で飲み始める。今日は口開けの客だ。しばらくカウンター席にいるのは僕ひとりだけなので、ホッピーをちびちび飲みながら過ごす。出てきた虫を四度潰す。ホッピーを1セット飲み干すあたりで、『新潮』に掲載されている川上未映子「ウィステリアと三人の女たち」を読み終える。わずか30ページ足らずの小説だけれど、ここ数日、じっくり時間をかけて読んだ。そのせいで『新潮』はすっかりヨレヨレである。シークァーサーサワーを2杯飲んだところで店を出て、新宿3丁目「F」。『月刊ドライブイン』(04)を読んでくれていて、「良かったよ」と言ってくれる。でも、創刊号のほうが良かったのだろう。そこからはぐるぐる次号のことを考えて過ごす。21時過ぎに店を出て、「博多天神」でラーメンを食べて駅へと向かう。

 しかし、こうして飲み歩く時間が好きだと思っていたけれど、この時間は楽しいのだろうか? ひとりで飲んで考える時間も必要ではあるけれど、誰かと言葉を交わす時間のほうがやっぱり楽しい気がしてくる。仕事帰りの知人と新宿駅(というより山手線)で待ち合わせて、近所の酒場でビールを飲みながら、ひとりで飲むより、誰かと飲みたかったと知人を前にぼやく。少し経って、まるで知人は「誰か」に含まれていないような言い方をしていることに気づく。