朝7時に起きる。セブンイレブンのサラダチキンを食べたのち、昨日と同じドライブインに出かける。自転車をこぎながらブラッドサースティ・ブッチャーズ「7月/July」を聴いていると、なんだか叫び出したいような気持ちになる。でも、声を発するということは僕の行動になく、しばらく立ち漕ぎをした。まだお店を経営するご夫婦の姿は見当たらず、ドライブインでぼんやり過ごす。

 10時40分、インタビューを始める。気づけば2時間以上経っていた。昔の写真をお借りして、近所のセブンイレブンでスキャンする。便利な時代だ。本当は天ぷらうどんを食べるつもりでいたのだが品切れ中で、昨日と同じくチャーシューメンをいただく。チャーシューメンを食べ終えた頃に天ぷらうどんは補充された。

 お礼を言って店を出る。あとは僕が良い原稿を書けるかどうかだ。ところで、取材するお店に長時間居座ってみたのは今回が初めてである。こういうタイプのお店を取材するのであれば、お店に流れる時間にもっと触れなかればと思ったのだ。ただ、そうすると『ドキュメント72時間』みたいになるのではと心配していたのだが、スタイルもアプローチも違うので似るはずもなく、余計な心配だった。自転車屋さんに自転車を返却し、八高線東武東上線を乗り継いでアパートに戻る。

 急いで洗濯を済ませ、18時過ぎに渋谷へ。8月9日から14日までGALLERY X BY PARCOで開催中の三栖一明「向井秀徳」展、今日を逃すと観られないので慌ててやってきたのだが、500円払って中に入るとかなりの賑わいだ。中央あたりのスクリーンにナンバーガール時代の向井秀徳が弾き語る映像が流れており、ほぼすべての客はそれを眺めている。壁には過去のポスターやアートワーク、福岡時代のフライヤーなど様々なものが電磁されているのに、棒立ちで映像を眺める人の群れのせいで塞がれている。この連中は一体何なのだろう。これが2017年の東京でカルチャーに関心のある人間なのだとすれば、僕はこの中のひとりでありたいとは思わない。渋谷なんて炎上してしまえ。呪詛の言葉をつぶやきつつ、5分で会場をあとにする。

 高田馬場まで戻ったところでM.Rさんから連絡があり、池袋でタイ料理を食べるけどはっちもどうかと誘ってくれる。すぐに池袋に向かったものの、ビールを飲むかどうか迷う。店に入ってもまだ迷っていたけれど、せっかく誘ってもらったのに「断酒してるんで」と断るのは流儀に反するので、生ビールを注文する。10日ぶりに飲んだビールは甘く感じた。麦芽とホップの香りに少しびっくりする。ビールを2杯飲んだあとはタイの白ワインを飲んだ。

 飲んでいるうちに、許せない人の話になる。M君――君づけで呼んだことはないけれど皆に「M君」と呼ばれている――は、イヤホンで音楽を聴いている人が許せないという。音漏れがうるさいから嫌なのではなく、公共の場でイヤホンをして音楽を聴いている人が許せないというのだ。ワンルームマンションやウォークマンが登場し、“軽薄短小”が流行語になったのは僕が生まれた頃の話だ。それ以前の時代を知っている人ならともかく、僕より年下のM君がそんな感覚を持っていることに驚く。

 最近はイヤホンをせずに音楽を流す人も増えてきた。喫茶店なんかにいると、何人かで音楽を聴いている人たちもいる(そういう場合、僕は露骨に不快感をあわらにしてしまう)。チェーンの喫茶店ばかりでなく、昔ながらの喫茶店でそんな風に過ごす若者を見かける機会が増えてきたので、公共心というものは変わっていくのだなあなんて考えることは僕にだってある。でも、イヤホンを許せないと思ったことは一度もなかった。むしろ外を歩くときは大抵の場合イヤホンをしている。M.RさんはM君に「今度音楽聴きながら歩いてみなよ。風景が違ってみえるぜ」と言っている。でも、きっとそういうことではないのだろう。音楽を聴くということも、街を歩くということも、M君にとっては僕以上に重大なことなのではないか。公共の場所で音楽を聴くことは憚られるということは、それだけ個人的な時間だということだ。

 M.Rさんは「昔に比べると、最近はいろんなことが許せるようになってきた」と言う。「はっちもさ、ばばの駅前とかで騒いでる大学生のにーちゃんたちが嫌いだって言ってたじゃん。おいらも嫌いだったんだけど、最近は許せるようになってきたんだよね」自分のほうが大人だと言わんばかりに、どこか誇らしげにそう語る。でも、そういうことではないのだ。僕が駅前にたむろする酔っぱらいの大学生たちが嫌いなのは、自分がそんなふうに過ごせない(過ごせなかった)からではないのだ。今日は飲まずにはいられない出来事があったのであれば、酔い潰れて迷惑をかけてしまっても構わないと僕は思っている。でも、ただ大学生であることを満喫するためだけに酔っ払って、誰かの邪魔になっていることにも気づかず過ごしている若者が許せないだけだ。でも、酔っ払ってしまっているせいか、うまく説明することはできなかった。