朝8時に起きる。ジョギングに出て、不忍池をぐるり。今日もパン屋は営業していなかったので、春雨スープを食す。午前中はテープ起こしを進める。昼、千駄木駅近くの中華料理店「砺波」に入り、ビールと餃子。何度か利用したことがあるが、他にお客さんがいなかったこともあり、お店の方と少しお話しする。昭和31年から営業されているという。これまでは中華らしいメニューばかり注文していたが、以前から気になっていたオムライスを最後に注文。うまい。他にもハムライスやカレーライスなど洋食も多いが、どうして中華で洋食を出すことになったのだろう?

 15時、国会図書館。『月刊ドライブイン』の資料を探す。17時50分に図書館を出て、人形町へと急ぐ。今日はTさんの還暦を祝う会だ。「T」というお店の扉を開けると、受付にTさん自身が座っている。会費は40歳以上が6000円、39歳以下が600円で、その会費を、事前に用意しておいたのであろう箱にTさんが振り分けている。会場である2階に上がり、18時半、一番長い付き合いであるという編集者のH・Hさんが乾杯の音頭を取り、会が始まる。「最初にお会いした時は××で……」とHさんがスピーチをしていると、「いや、そうじゃなくて△△だね」と訂正を入れるのがTさんらしくておかしい。

 焼酎のボトルもあればウィスキーのボトルもあり、炭酸も水もウーロン茶も用意されていたけれど、グラスが空になるたび氷を入れて、お酒を注いで、何かで割って――と繰り返すのも手間になるので、3杯目からは赤ワインを飲んだ。ひとりに一皿ずつ運ばれてきたロールキャベツがとても美味かった。一緒に入っていたソースもうまく、はしたないかなと思いながらもずっと掬って飲んでしまう。さらに美味しかったのはカツサンド。これはすごいボリュームで、ひとりふた切れ出てきたのだが、ひと切れで満腹になってしまった。

 Tさんは全体を見渡せる場所に座って過ごしていた。途中で「じゃあ、5人にスピーチしてもらおう」ということになり、まずは最初にスピーチする人をTさんが指名し、スピーチを終えた人が次にスピーチする人を指名する、という流れだ。3人目にスピーチしたのは編集者のI・Sさんで、その瞬間から「もしかして」と思っていると、「じゃあ次は、先日ラジオに出演した……」と指名される。指名されること自体は光栄なのだが、困るのは次に誰を指名すればいいのかということだ。僕は4人目なので、次にスピーチする人が最後ということになる。僕が指名しやすいのは同世代の誰かだが、それで締めるわけにもいかないだろう。一体誰を指名すれば丸く収まるのか。スピーチしながら心配していたけれど、さすがはTさん(僕なんかが恩師であるTさんに「さすが」なんていうのも失礼だけど)、「じゃあ、はっちゃん、次はFさんかMさんのどっちかを指名して」と導いてくださる。

 僕は大学4年生のときにTさんの授業を受けた。履修することにしたのは、単位が足りずどうしようかと思っていた僕に、「単位を取りやすい授業がある」と高校時代の友人が教えてくれたのだ。それが「編集・ジャーナリズム論」という講義だった。それまで僕はほとんど文学にほとんど触れたことがなく、単位のためだけに履修することにした。とりあえず様子を見るべく最初の授業に出席し、授業のあとには近くの蕎麦屋で飲むから、興味がある学生はという話になった。当時の僕は「文学部の学生なんて、センスを競ってお互いを牽制しているような人たちだろう」という偏見があったのだが、一度だけその世界を眺めてみるかと「金城庵」というお蕎麦屋さんをのぞいた。その席がとても面白く、それから毎週授業に出席するようになった。大学時代に欠かさず出席した授業はTさんの講義だけだ。

 僕は大学院に進んだが、Tさんの紹介もあり、ライターとして仕事をすることになった。最初の仕事になったのはTさんの対談企画で、その雑誌の編集長をしていたのが、僕にスピーチを指名したIさんだ。その後はTさんの対談連載の構成を担当することになり、月に二度はお話を伺う機会があった。それはとても貴重な時間だった。この出来事に対してTさんは何と言うだろう。それを直接聞いて過ごせたのは幸福なことだったと思う。平成という時代が終わる少し前に連載は終わってしまったけれど、平成の次の時代が終わるときにもまた、「Tさんは何と言うだろう?」ということを聞きたいと思う――そんなことを話してスピーチを終えた。

 途中から僕の隣にはHさんがいた。Hさんというのは、根津でバーを営んでいる方で、そのバーに通える距離に暮らしたいということで僕は千駄木に引っ越したのだ。いつもは真っ白な服を上着で仕事をされているHさんが黒のスーツ姿だというのが不思議な感じがする。Hさんのお店はとても人気で、他のお客さんも話したいだろうからとそんなにあれこれ話したことはなかったけれど、今日はあれこれ話せたことも嬉しかった(Hさんのバーに初めて連れて行ってくれたのも、かつてHさんが働いていたバーに初めて連れて行ってくれたのも、振り返ってみればTさんだ)。

 Hさんから近所でおすすめの話を伺っていると、突然大きな声が聞こえた。振り返ってみると、会費を集めていた箱がどこかに消えてしまっていることにTさんが怒っているのだった。結局、気を利かせた誰かが箱を持って1階に降りて会計を済ませようとしていたらしいのだが、なくなったのではないとわかってもTさんの怒りは収まらなかった。自分の還暦の会を自分で取り仕切り、受付も会計も自分でする――というふうに過ごしたかったのだろう。その気持ちは、どこかわかるような気がした。この日、「自分の誕生日は嫌いだ」と言っていた友人とやりとりをしていて、「ほんとうは誕生日もだいすきなんです」というメールが届いていた。その友人は、自分の誕生日をかけがえがないと思うけれど、そのかけがえのなさを誰かと分かち合うことはできず、思い通りになんていかないから「誕生日は嫌いだ」と言っていたのだと、そのメールをもらって初めて気づいた。

 帰り際、「はっちゃん、『月刊ドライブイン』は12号で終わるんだって?」とTさんに尋ねられた。そうなんです、1号ごとにテーマがあったので、最初から12号で完結させようと決めてたんですと答えると、「そうか、はっちゃんはフォルマリストだね」とTさんが言う。その後も何度か「そうか、フォルマリストだね」とおっしゃっていた。そうか、僕はフォルマリストだったのかと思いながら地下鉄に乗り、ひとりで千駄木に帰ってくる。まだ少し飲み足りない気持ちだったので、すずらん通りのカラオケ酒場に入り、『月刊ドライブイン』を手渡し、今度ぜひ話を聞かせてくださいとお願いする。