5時過ぎに目がさめる。入念にストレッチをして、ジョギングに出る。不忍池をぐるり。シャワーを浴びて、セブンイレブンで買ってきたクノールカップスープ(ポルチーニ香るきのこのクリームスープパスタ)で朝食をとる。この隙間の時間で何か仕事をと思うのだが、何も手につかず、ただ時間が過ぎてゆく。窓からコインパーキングに停めてあるレンタカーをちらちら眺める。3台しか停められない駐車場だが、停まっているのは僕のレンタカーだけである。

 セブンイレブンのアイスコーヒー(R)を購入し、レンタカーに物販用の書籍たちを積み込んで、9時過ぎにアパートを出る。何も考えず、ナビの支持するままに白山から後楽園を経由し、新宿経由で荻窪を目指す。走り始めてすぐに気づいたのだが、都心を通るルートなのでクルマはあまり進まなかった。最初は10時だった到着予想時刻が少しずつ遅れてゆき、心はあせるわ。昨日から車内では前野健太『サクラ』とceroの新譜ばかり聴いていたが、東京ドームの前を横切ってからは安室奈美恵を聴く。そういえば「みえるわ」の旅の途中にも安室奈美恵ばかり聴いていた。

 10時20分、荻窪にたどり着く。「Title」の前に路駐して搬入しようかとも一瞬考えたけれど、そんなところに路駐して作業を始めればご近所さんに迷惑がかかり、ひいては辻山さんに迷惑をかけてしまうことになるなと思い直し、近くのコインパーキングに駐車する。お店の前にはすでに実子さんの姿があった。今日は朝が早いこともあり、この近くに住んでいる人の部屋に停めてもらったと聞き、申し訳ない気持ちで一杯になる。昨日も稼働してもらっていて、せめてもの気持ちとして謝礼を渡そうかと思ったが、それはそれで仰々しい感じになるかと思ってやめていた。でも、そんなことまでしてもらっているのであれば謝礼を払うべきだったと反省しつつも、とりあえず店内に入る。

 お店の中では辻山さんが棚に手を加えているところだ。こうした毎日の時間が棚を作っているのだと、あらためて感じる。ご挨拶をして、必要最低限の荷物を二階に運び入れる。それぞれの壁面にどういう按配で展示するかの設計図を並べてゆく。そうしているうちに古閑さんもやってきてくれる。まずは手紙を展示する高さを測り(上辺が165センチの高さ)、その高さにタコ紐を張り、どういう感覚で「手紙」を貼るのか印をつけてゆく。「ちょっと舞台の人みたい」と実子さんが言う。しばらく前まではぼんやり準備を進めていたけれど、知人から「ちゃんと展示として見せたいんだったら、もっと準備しないと駄目」と叱られていたので、入念に計画は練っていたのだ。すべての壁面に水平にタコ紐を張り巡らし、水平をとり、くっつきむしで「手紙」を貼り始めたところに、藤田さんと青柳さんもやってきてくれる。皆で「手紙」の表面と裏面を貼り、11時30分にはおおむね作業を終えることができた。

 残すは小道具の搬入である。コインパーキングからクルマを移動させて、一瞬だけ「Title」の前に駐車して荷物を運び入れる。僕はそのままレンタカーを返しにゆく。荻窪南口店に返却し、急いでお店に引き返す頃には12時15分になろうとしていた。「Title」にはすでにお客さんがやってきていたけれど、二階のギャラリーにはまだお客さんはやってきていないようだ。ほっと一息ついていると、「オープンの時間に店長(=僕)がいないっていうのも、橋本さんらしいなって感じですけどね」と青柳さんが言う。「こことか、まだマステが残ったままになってますけど、これでええんかなっていう」。そう言われた方向を見やると、タコ紐を留めていたマスキングテープが残ったままになっていた。言われてみれば、それは非常に僕らしい感じがする。

 しかし、開店までに無事設営ができてホッとした。こうしてぐるりと「手紙」を並べてみると、あの二ヶ月がこの空間に凝縮されているよう。展示を眺めていた藤田さんは「こうやって眺めてると、ちょっと気持ち悪くなってきますね」と言う。僕らはここに書かれてる物理的な時間を経験しているから、それが一つの空間に集まってるのを見ると、ちょっと酔ってる感じになる、と。その感覚はとてもよくわかる。今回の展覧会では「手紙」の販売もするのだというと、「1セット買いたい」と藤田さん。藤田さん自身には、全部の「手紙」を刷り上がってすぐに手渡しているけれど、親に送りたいのだという。それならプレゼントしますよと言うも、いや、ここで買う第一号になりたいというので、買っていただく。今回の展示にあわせて、『HB』も物販に並べているのだが、その創刊号に「2007年」とあるのを見て、これも10周年だったんじゃないですかと藤田さんが言う。2017年度はマームとジプシー10周年だったけれど、誰にも言わなかったけれど、僕がミニコミを作り始めて、ライターとして仕事をし始めて10周年の年でもあったのだ。

 設営を終えたところで、せっかくだから記念写真を撮っておきたい。皆に「記念写真を撮りませんか」と提案して、ちょっと辻山さんにお願いしてきますねと階段を降りようとすると、階段の下から花が運ばれてくるのが見えた。文字通り目に飛び込んできた。綺麗な花と同時に、「川上未映子より」と書かれた文字が飛び込んできた。それはまったく思いがけない光景で、動揺してしまう。展覧会にお祝いの花。そう考えると何も不思議ではないように思えるのだけれども、僕が「手紙」を展示する場所に花が届けられることがあるだなんて、本当に、まったく想像さえしなかった。その風景は本当に喜ばしく、あの瞬間に階段で花を目にした風景は脳裏に焼きついている。未映子さんもお祝いに駆けつけてくれたように思えて、花を囲むようにして皆で記念写真を撮った。

 一息ついたところで、お昼ごはんを食べに出る。数件隣にある「こばやし」というお蕎麦屋さんに入り、瓶ビールを2本注文して乾杯。テレビでは虐待されて亡くなった女の子のことを報じている。食い入るように見つめていた藤田さんは、その報道に対する違和感を口にする。たしかに、この出来事に対してだけキャスターが涙を流し、それがネットで話題になっていることに対しては僕も違和感をおぼえる。その涙は感動とともに語られているけれど、それに涙するのに、普段は涙を流さないというのは一体どういうことだろう。冷やし山菜そばを、茶そば、冷やしきつねそば、そして僕は冷やしたぬきそばを注文。運ばれてきたのは冷やし中華のような趣きのおそばで、たくさん具材が載っている涼しげなそばだ。「もう夏だね」なんて話しながら一口啜ってみると、とても美味しく、夢中で食べる。せめてものお礼にと、お昼はご馳走する。

 「Title」に戻ると、ほどなくして歌人のH・HさんとKさんがやってきてくれる。Hさんは病院に行く前のわずかな時間に駆けつけてくれたようで、嬉しい。会場には刷り上がったばかりの『不忍界隈』のフライヤーも置いているのだが、それを見つけて、Hさんはまじまじ読んでいる。字が小さいこともあるけれど、本当に「まじまじ」と形容したくなる読み方だ。取扱店に「古書ほうろう」があるのを見て、古書ほうろう、良いお店だよね、僕も昔よく行ってたよとHさんが言う。ほどなくしてHさんが帰るタイミングで、このあと予定のある藤田さん、実子さん、古閑さんは帰ってゆく。お礼を言って見送る。少し凪のような時間が訪れたので、一階のカフェスペースに降り、近いうちに収録するはずのインタビューに向けて、質問リストを作成する。1時間ほどしたところで作業を終えて、店の外に出て缶ビールを飲んだ。小学生が下校していた。

 二階に戻る。青柳さんはギタレレを取り出し、チューニングを合わせている。そうして練習を始めたのは「さよなら人類」だ。その曲は昨年Kさんの訃報に触れて動揺していたときに送ってくれた曲であり、思い出深くもある(それで練習しているわけではないだろうけれど)。ぽつりぽつりとお客さんが二階に上がってくる。青柳さんがギタレレを弾いている姿を目の当たりにして喜ぶ人はいるかもしれないけれど、僕がこの空間に存在していることで何かが生じるとはとても思えず、誰かお客さんが上がってくるたびにそっと一階に降りる。一体どうして観にきてくれたんですか、何に興味を持ってもらえたんですか、それで実際に見てみてどうでしたかと話しかけたい気持ちで一杯だけれども、ここを訪れた人たちは僕と話すためにやってきたわけではないのだからと、ぐっとこらえる。

 それにしても、青柳さんが「手紙」展に在廊しているというのはとても不思議な感じがする。ここに展示している「手紙」は、未映子さんの詩を、藤田さんが演出し、青柳さんの一人芝居として上演した旅の記録である。そうして作品を記録したドキュメントを展示した空間に、舞台に立っていた青柳さんが座っているというのは、なんだか不思議なものがある。青柳さんはギタレレの練習をやめて、現品限りのため非売品として陳列してある『沖縄再訪日記』を読んでいる。「これ、いまの私とは別人ですね。だって、『お酒を飲まない』って書いてある」と青柳さんがつぶやく。書いている僕も、あの頃とは違っている。今ならもっと良い原稿が書けるのにと、どうしても思ってしまう。しかしあの瞬間にあの場所に立ち会えたのはあの時間の自分だけだ。

 あっという間に日は暮れた。19時半になったところで、辻山さんにお礼を言って、お店をあとにする。荻窪駅まで歩きながら青柳さんとあれこれ話す。さっき「手紙」も全部読み返して、ツアー中にも(原稿チェックとして)目を通してたはずなんやけど、あのときは旅の途中やったからそこに書かれていることの意味をいまいち理解できてなかった気がするけど、今まとめて読み返してみたら、ええこと書いてあったで、と青柳さんが言う。自画自賛しても仕方がないけれど――そうでもしなければ誰にも言われることがないから自分で言うけれど――あの37通の「手紙」はかなりいろんなことを書くことができたと思っている。だからこそ、あれ以上のものを書けるだろうかって気持ちになりますけどね。そう告げると、それを言うたら、私かてそうやで、舞台なんて毎回「これ以上のことなんてあるやろうか」と思うけど、それを更新するしかないもんな、と励まされる。

 せっかくなので飲んで帰ることにする。青柳さんが魚が食べたいというので、荻窪駅の南側にある店に入る。ネットの検索でヒットした店で、ワインが飲める店で検索にひっかかる店というのはしゃらくさい場合が多く、あまり期待していなかったのだが、入ってみるととても良い雰囲気の店だ。こじんまりとしていて、気取ってなくて、地元に馴染んでいる食堂といった趣きがある。南フランスの、グレープフルーツのような香りがするという白ワインをボトルで注文し、乾杯。テイスティングはされますか、と確認してくれるのも嬉しい(あの、何をどうすればいいのかわからない時間を省ける)。前菜の盛り合わせとヒラメのムニエルを注文し、映像演劇の感想を話す。僕があまりに「良かった」と言っていると、青柳さんは口数が少なくなる。六本木アートナイトのときはあんなに散々な言われようだったのに、そんなに褒められると動揺するわと言っていた。

 そのお店はとても良いお店だったけれど、ボトルを飲み干したところで店を出た。まだ22時にもなっていなかったけれど、総武線に乗って移動する。今日は青柳さんがギタレレを持っていることもあり、ギタレレの音を聴きながら飲みたいという気持ちになっていたので、外で飲める場所を欲していたのだ。市ヶ谷駅で電車を降りて、コンビニでお酒を買って、以前から目をつけていた外濠公園に出る。お濠はあまり見渡せないけれど、良い公園だ。こんな良い立地だと賑わっているかと思ったけれど、他に利用している人はおらず、なめくじが住み着いているベンチを避けて座り、再び乾杯。ギタレレの音を聴きながら、日付が変わるまで飲んで過ごす。『沖縄観劇日記』や『沖縄再訪日記』を書いた頃は想像もしなかったけれど、こんなふうに忌憚なく話ができる友達になれたのはとても嬉しいことだ。