朝8時に起きる。腹が減っている。いつだか知人が買ってきて、密封せずに放置している揖保乃糸に、この状態で放置してると虫が寄ってくるじゃないかと腹を立てつつ、一把だけ茹でて食す。一把では物足りず、魚肉ソーセージも一本食す。読書メモを書き記しているうちに知人が起きてきて、整骨院に出かけてゆく。僕も入れ違いで整骨院へ行き、12時半、近所の蕎麦屋の前で知人と待ち合わせ、二人ともカレー南蛮を食べた。

 ビールを飲んだこともあり、アパートに戻ったあとでコーヒーを淹れた。15時過ぎにアパートを出て恵比寿に出て、友人のA・Iさんと待ち合わせ。まずは喫茶店へ。僕はカフェラテを、Aさんはいちごフレーバーと生クリームが溶け合った、見ているだけで胸焼けしそうな飲み物を注文している。まだアルコールが残っている感じがするとAさんは言う。昨晩は新宿の沖縄料理屋でAさんと飲んでいて、結構な量の泡盛を飲んだ。確かに、昨晩のうちから「今日は珍しくAさんが酔っ払っているな」と感じていて、それを密かに嬉しく感じていた。いつも僕が酔っ払っているばかりで、酔っ払いというのは不思議なもので、自分だけが酔っ払っているのでは少し寂しく感じてしまう。

 酒を飲まないでいるせいか、あるいはこのあとに観るライブのことでそわそわしているのか、いつもより会話は弾まなかった。17時45分、又吉さんが主催を務める『絶景たち』というコントライブを観るべく、「シアター代官山」。会場に着いてみると、僕にとっては兄貴のような存在であるM・Hさんがいて、ご挨拶。ちょっと時間があったから、角打ちに寄ってきたのだとMさんは言う。たしかにビールの匂いがして、ちょっと羨ましくなる。

 18時過ぎ、ライブが始まる。オープニングにナンバーガールの未発表曲「モータウン」が流れ、おお、となる。印象的だったコントをいくつか挙げると、まずは「夫婦」。舞台上には夫と妻。「二人で過ごすなんて久しぶりね」と語る妻は、結婚してからの時間を振り返り、「なんの不満もない20年でした」と語る。ふふふと笑い合う夫婦は仲睦まじく、いかにも幸せな夫婦の姿なのだが、そこには不穏さがある。何よりこの夫婦というのは巨大なロボットの姿をしている。いや、外観以上に、あまりにも絵に描いたような幸せが、不穏さを感じさせる――そう感じていたところに、ロボットの中から男が半分姿をあらわし、「誰か! 助けてくれ!」と叫び出す。男は知らないうちにそこに取り込まれていたようだ。それでも夫婦の会話は続き、男は「頭おかしくなるよ!」「誰か! 人間いないか、人間!」と喚く。こう分析してしまうのはとてもつまらないことかもしれないけど、絵に描いたような幸せを語り合う夫婦がロボットのような外観をしているというのは、その「人間」観があらわれている。

 もう一つ印象に残ったのは「とんだ」。こちらは阪神が優勝した日、四人の男が道頓堀を見物に出かけるところから始まる。四人には共通点があり、それはヨコイという男に金を貸していることだ。彼らは道頓堀に飛び込むヨコイを見つけて、借金を返せと詰問。だいたい借金してるやつが道頓堀にくるか、自分だったら我慢して家でテレビで観て済ませると批判する。「じゃあ借金してる人は日常の楽しみは許されないのか」と反論する。その反論の部分は、又吉さんの核にある感覚だろう。それを小説に書けば『劇場』になり、コントという形に落とし込むのであればこの「とんだ」のようになるのだろうなと思った。そして、その正論に対する「そんなことを言ってるお前はなんやねん」という目線を含めて描いてしまうところも含めて、とても又吉さんらしいなと感じる。何より、どのコントにも、根底に「そして人生は続く」という感触があったことを、好ましく、あるいは頼もしく感じる。

 ただ、ライブが終わった直後はそんなふうにうまく言葉を語ることができなかった。ライブは2時間半にわたり、すっかり空腹になってしまっていた。会場を出たあとでAさんに最初に伝えた言葉は「はらへった」で、橋本さんがそんなこと言うなんて珍しいですねと言われる。飲み屋に行く前にコンビニに寄らせてもらって、わかめごはんのおにぎりを頬張る。昨晩はまだ夏だったのに、今日は涼しい風が吹いていて、あっというまに季節が変わってしまった。例によって「たつや」に入り、僕はホッピーを、Aさんは白ワインを飲んだ。感想を語っていると、「やっぱりハシモトさんは答えを持っている人ですね」とAさんが言う。