7時過ぎに起きる。通りに面したダイニングに座り、カーテンを全開にして、通りの様子を眺める。雨はまだ降り始めていないようだ。8時過ぎに知人が起きてきて、シャワーを浴びて出かけてゆく。会議があるのだという。ほどなくして雨が降り始め、猛烈に降りしきるが、すぐに止んだ。僕は昨日買っておいた豆腐で味噌汁を作り、朝ごはん。午前中は、昨日読み終えた菊地史彦『「若者」の時代』の読書メモをつけて過ごす。

 昼、知人の帰りに合わせてソース焼きそばを作る。具材はいつも決まってキャベツともやしと豚肉である。キャベツともやしは満腹になるための嵩増しだが、生焼けの野菜が嫌いなので、いつもしっかり炒める。そうすると水分が出てしまう。べちゃっとした焼きそばは嫌なので、麺を入れたあともしっかり炒めることになる。すると麺が伸びる。それも嫌なので、今日は麺を投入する前に水分を飛ばしてしまおうと強火で炒めていたのだが、結局麺を入れないことには水分を吸収するものがなく、なかなか水分は飛ばなかった。キッチンペーパーで水分を吸いとったりするしかないのだろうか。

 午後も引き続き、ダイニングの窓辺に座り、カーテンを全開にして過ごす。風は強いけれど、雨は降らず、高校生たちが普通に下校してゆく。コーヒーを飲みながら、坪内さんの『昭和の子供だ君たちも』を再読する。前回はあまり理解しきれていなかった六全協のことが響いてくる。そして、これまでの自分の理解の誤りに気づく。全共闘に比べると、六〇年安保は純粋に政治的な闘争だったと考えていたが、六〇年安保の時点ですでに新しい時代に突入していたのだ。日本共産党に関わった若者たちは、1955年の六全協による方針転換で「挫折」する。そこから六〇年安保があれだけの熱を持ちえたのは、その「挫折」とは―—つまり日本共産党とは――無縁だった「新人類」として昭和12年前後生まれの若者たちが登場し、祝祭的に運動に参加したことが影響していたことがこの本を読むと理解できる。そうして若者が肉体を解放するように街角に溢れ出す流れが、60年代にあったのだろう。

 本を読み終える頃には日が暮れていたが、雨が降り出す気配は一向になかった。今日は神宮球場のチケットを手配していた。雨雲レーダーの予測によると、18時から21時まできっかり雨が降るはずだったが、雨は降らず、神宮球場では試合が始まっている。ネット中継を見ると、強風でカメラが揺さぶられるなか、試合が進行してゆく。知人は「つば九郎に会いたかった」と残念そうだ。19時過ぎ、さばのみりん干しをツマミに晩酌。無印良品のキットを元にキーマカレーを作り、風の音を聴きながら平らげる。