1月26日

 昨晩はよく眠れなかった。昨日の撮影で、一箇所だけ、そこで撮影すると誤解される可能性があるだろうなという場所があった。それを察知していたのは、おそらく僕だけだった。それを察知しておきながら、「ここはちょっと」と止めなかったことが悔やまれた。もしもそのことに腹を立てた誰かが追いかけてきて、ホテルで襲撃されていたらどうしよう――そんな妄想が止まらず、よく眠れなかったのだ。

 天気予報を見ると、今日は13度近くまで気温が下がるらしかった。防寒具を持ってやってきた人は少なそうだ。部屋着にしているパーカーやスウェットなど4枚をリュックに詰めて出発すると、ほどなくして激しく雨が降り始める。ホテルの前で待ち合わせると、皆無事だったのでホッとする。コンビニに立ち寄ったのち、安座真港へ。到着してすぐに、防寒着が4着だけあると伝えると、すぐに4着とも人手に渡る。もう雨は上がっているけれど、今日は10時発のフェリーで久高島に渡り、15時の高速船で戻ってくる予定でいた。だが、風が強く波も高いため、復路は13時のフェリーが最終便になるらしかった。

 今日は久高島で撮影したのち、島のビーチで海に浸かる予定でした。だが、島に滞在できる時間が2時間半しかないとなると、海に入って撮影する時間は取れないだろう。予定より2時間早く沖縄本島に戻ることになるので、その時間で何をしたらいいかとAさんに相談される。そして、久高島で入れなかったぶん、どこかで海に入って撮影がしたい、と。これまでAさんが訪れたことある場所で、まだ行っていない場所はどこだろう。激しく揺れるフェリーの中で考える。椅子に乗っているのだと思うと酔いそうになるけれど、「今、海の上に浮かんでいるのだ」と考えると少しは気が紛れた。

 久高島に到着する頃には晴れ間がのぞいていた。待合所で着替えとヘアメイクを済ませて、自転車を借りて出発する。先頭を走っていたのはAさんだ。すぐに岬を目指すのかと思っていたけれど、このルートを走るということは、ビーチを眺めるのだろうか――そんなふうに思っていると、Aさんは自転車を停めた。呼ばれたので近づいてみると、「岬ってこっち?」とAさんが言う。いや、こっちに行くとビーチですねと伝えると、「やっぱり、久高島にくると磁石が狂うのかも」と言う。これまで皆で沖縄を訪れたとき、皆を先導するのはAさんで、そのたびは“おとぼけ観光”と呼ばれてきた。皆で沖縄を巡るより先に、Aさんは一人で沖縄南部に滞在して、そこでたどり着いた場所を皆で巡ってきた。Aさんは久高島に何泊か滞在していたのに、道がわからなくなり、どこか動揺しているように見えた。でも、舞台に立つ立場であるAさんにとって、記憶というのは自分の中に残るものではなく、観客の中に残るものであるのだろう。代わりに僕が先導しながら、岬を目指す。

 岬にたどり着いたのは12時頃だ。風がとても強く、立っているのもやっとだ。久高島は何度も訪れたことがあるけれど、こんな荒天は初めてで驚く。15分ほどで撮影を終える。フェリーの出航まであと45分ということもあり、急いで岬に引き返す。12時40分には待合所にたどり着き、自転車を返却。Aさんの着替えが終わるのを待ってフェリーに向かうと、今日の最終便ということもあってか、船内は満席だ。仕方なくデッキの席に座る。ガラスの向こう側、中の席に座っている女の子が窓を叩く。僕がそこに座ると景色が見えないということなのだろうが、気づかないふりをする。最終的には外の席も埋まり、出航する。船酔いしないようにと、浅めに座り、ぼんやり空を見つめる。ふと振り返ると、窓ガラスを叩いていた女の子は座っていた。Aさんは麦わら帽子にサングラスという出で立ちで、立ったまま海を眺め続けている。

 13時50分、「山の茶屋 楽水」に到着し、おひるごはん。皆が何の部活をやっていたのかという話になる。写真家のKさんと編集のYさんは帰宅部、Aさんは演劇部、ヘアメイクのA間さんはカヌー部。ごはんを食べながら、しばらく無言の時間が続くと、家族の食卓みたいだねと誰かが言う。そこから平和祈念公園に移動して、撮影。久高島から早く戻ってきた時間をどこで撮影するか、いくつか提案した場所の中で採用されたのがここだった。僕が今のように頻繁に沖縄を訪れることになったきっかけは、この平和祈念公園だ。2013年6月23日、ひめゆり学徒隊に着想を得た作品を舞台化する前に、皆でこの公園を訪れた。6月23日は沖縄で集団的な戦闘が終結した日で、毎年ここで式典が開催されており、そこに足を運んだのだ。式典が終わると、ピクニックシートを広げてお弁当を食べる家族を公園の至るところで見かけた。その風景を目にしたときに、「一度目にしたからには、できうる限り再訪しなければ」と思ったのだった。

 芝生のあたりで撮影したのち、公園の近くにある海を目指すことになる。海に浸かって冷えた身体をすぐに暖められるように、僕はハイエースに残り、暖房をフル稼働させておく。このハイエースはエンジンをかけたまま鍵を持って離れることができないのだ。撮影は30分でと切り上げようとスケジュールを組んでおいたのに、30分経っても戻ってこず、そわそわする。いくら沖縄とはいえ、1月の海はあまりに冷たく、何かトラブルが発生したのではないか?――不安が頭を駆け巡る。僕は、Aさんが「どこかで海に入って撮影したい」と言うのであれば、それにふわさしい海を考えるだけで、「この季節に海に入るのは無理だと思う」と止めることは一度も考えなかった。ずっとそわそわしていると、40分ほど経ったあたりで皆が引き返してくる。太陽が出るのを待っていて、少し遅れたのだという。一度浸かってしまえば、海の中にいるほうが暖かかったとAさんは案外けろりとしている。

 助手席のほうが暖気に当たりやすいこともあり、ここからはAさんが助手席に座ることに。5分ほど走ったところで、次の目的地と反対に走ってしまっていることに気づく。「今気づいたんですけど、これ、逆に向かっちゃってました」「え、そうなの? でも大丈夫、たぶん誰も気づいてないから」。小声で話していて、二列目は荷物置き場になっていて距離もあるはずなのに、三列目に座るデザイナーのFさんが「聞こえちゃいました」と言う。それならばと車を停めて、きちんとナビを入力し、最後の目的地であるアラハビーチを目指す。途中で綺麗な虹が見えた。17時50分、アラハビーチにたどり着く。なんとか日没前に到着することができた。ここでAさんが衣装として身にまとったのは、昨年の春に上演された作品の衣装だ。その作品のことを反芻しながら、しみじみした気持ちで撮影を眺める。2013年から過ごしてきた時間がすべてここに注ぎ込んでいるような二日間だった。

 撮影を終えると、すぐに那覇空港に向かった。今日は土曜日だからか、あまり渋滞に巻き込まれることもなかった。皆と荷物を空港に降ろして、僕はレンタカーを返却に向かう。そのあいだに今日帰る写真家のKさん、ヘアメイクのA間さん、編集のYさんは搭乗手続きを済ませる。レンタカー会社の方に空港まで送ってもらって、皆が一足先に入っているという、4階にある「志貴」という沖縄料理屋さんへ。バケツに入った百合の花――白い百合は荒崎海岸にお供えしてきたけれど、ピンクの百合はどこにもお供えしなかった――を手にしているので、やけに目立ち、ちょっと恥ずかしくなる。合流すると、皆はもうごはんを食べているところだ。何本もアサヒスーパードライの瓶が並んでいて、それを注いでもらって乾杯する。僕は運転したり予定を組んだりしていただけだけれど、自分に協力できることはやりきったという気持ちで満足だ。一気に飲み干すと、「そんなに美味しそうに飲まれると、こっちまで嬉しくなる」とAさんが言った。

 30分ほどで閉店時間となり、保安検査場まで見送りにゆく。その途中で、写真家のKさんが「そのトートバッグ、誰の?」と言う。「ZAZEN BOYSのやつです」「そうなんだ。一番好きなバンドはZAZEN BOYS?」「そうですね。昔はずっと原付でツアーを追いかけてました」「原付で?!」「そうなんです。もうすぐ『ドライブイン探訪』って本を出すんですけど、そのきっかけは、そうやって原付で追いかけてるときに印象的なドライブインに出会ったことで」「ドライブインを取材してるんだ。面白そう」「ほんとですか? 今、あと一冊だけ持ってるんで、よかったらぜひ」。そんな流れで、保安検査場の直前で『ドライブイン探訪』を手渡す。

 三人を見送ったのち、ルーシーさんに宿の近くまで送っていただく。また明日と別れ、百合と荷物をゲストハウスに置き、缶ビール片手に安里を目指す。21時10分、「東大」前にはもう何人か列を作っている。「うりずん」の様子を伺いに行くと、こちらも入店待ちの行列がある。隣の酒屋で缶ビールを購入し、犬を眺めて、「東大」の列に並ぶ。21時40分、開店。「今日は出遅れたね」とお店の人が笑う。沖縄には明後日の朝まで滞在するが、明日は定休日なので、「東大」で飲めるのは今日が最後だ。ゴーヤの黒糖漬けをツマミに泡盛を飲んで、おでんを平らげてゲストハウスに帰った。