7月11日

 10時50分、近所の歯医者さんに行き、抜糸してもらう。「穴、結構大きいですね。ちょっと消毒しておきましょう」と言われる。親知らずを抜いて一週間が経ったけれど、痛みを感じることもなければ、腫れることもなかったので、穴も小さいのかと思い込んでいた。ということはやはり、抜いてくれた先生が上手だったのだろう。帰り際に、もう運動や飲酒は問題ないですかと念のために確認する。アパートに戻り、歯を磨く。この一週間は血餅が剥がれるのが怖くてあまり歯を磨けなかった。いつもは5分でも10分でも磨いているので、食事に制限があることよりも、お酒が飲めないことよりも、それがいちばんつらかった。久しぶりに思う存分磨く。

 昼、川上未映子『夏物語』を読み始める。発売日は今日だけれど、予約した書店から「ご用意ができました」と連絡をもらっていたので、昨日のうちに買ってきていた。昨日は『乳と卵』を読み返しておいたので、どの部分の解像度がどのように増しているのか、どこが新たに書き加えられたのかを感じながら、読み進める。夏子が暮らしていた大阪の町、『乳と卵』では「京橋」だったのが、『夏物語』では「笑橋」に変わっている。実際の地名を離れることで何かが企まれているのだろうかと思いながら読み進めていくと、夏子が上京して暮らしている町は変わらず「三ノ輪」と書かれてある。三ノ輪。『乳と卵』を初めて読んだ頃、僕は高田馬場に暮らしていて、それはどこか遠い場所だと思っていた。都電で繋がっているけれど、早稲田からはいちばん離れている、終点だ。でも、千駄木に引っ越した今となっては地図で見るとすぐ近くにある。サキ先輩が先日引っ越した町でもあり、セトさんやムトーさんと遊びに出かけた町でもある。昨日、『乳と卵』を読み返したときにもその地名に行き当たり、漠然とGoogleマップを眺めていた。そこに「一葉記念館」の文字があった。それを思い出し、三ノ輪はうちから歩いて1分の場所にあるバス停から繋がっているので、出かけてみることにする。

 竜泉でバスを降りて、一葉記念館にたどり着く。閉館まで30分しかないので、駆け足で展示を観る。これまで樋口一葉について調べようとしたことがなかったなと気づく。そして、展示の中に枕草子を書き写したものがあり、そのキャプションに「樋口夏子」とあるのに目を見張る。樋口一葉の本名は「奈津」であるけれど、自身のことを「夏子」と書くことがあったのだという。ああ、そうか、だから主人公は「夏子」であったのかと、今になってようやく気づく。母親によって「女子に学問は不要」と進学させてもらえなかった、代わりに通うことになった塾で王朝文学や詩歌を学びながらもその発表会で他の生徒たちが着飾る中でそのような晴れ着を持ち合わせていなかった、父を早くに亡くして家長として駄菓子屋を営みながら文学を志していた、夏子。

 16時半に一葉記念館を出て、歩く。いつだか同業者のNさんとこのあたりにきたことがある、と思い出す。久しぶりに飲みませんかと誘ってもらって、このあたりで飲むことになったのだ。Nさんは大阪出身であり、Nさんがまだ大阪に暮らしていた頃に京橋を案内してもらいながら飲み歩いたことがあったなと思い出す。前にこの界隈で飲んだときにはライターではなくある会社の記者になっていて、そこで記者として働くことのつらさを聞かせてもらったことを思い出す。それ以来Nさんとは会っていないけれど、元気に過ごしているだろうか。明日のジョーの像があり、お久しぶりですねと心の中でつぶやき、路地に入る。近くの酒場からはもうカラオケの音が響いている。そういえばこのあたりは坂がない。東京だというのに平らだ。その平らさに、大阪の町並みを思い起こす。夏子はどうして、上京して暮らす町に三ノ輪を選んだのだろう。進学や就職が理由ではなく上京して、三ノ輪を選ぶというのは渋過ぎると思っていたけれど、やはりこの町だったのだろうなと思う。

 歩いていると煙突が見えた。銭湯があるらしかった。銭湯がある路地に出てみると、向こうにスカイツリーも見えた。『乳と卵』にも『夏物語』にも(そして記憶に焼き付いている『少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ』にも)銭湯は登場する。今日は親知らずの痕の抜糸も終わり、入浴してもよしとお墨付きをもらった日でもあり、普段は出かけることの滅多にない銭湯に入ってみることにする。靴を預け、460円を支払って中に入ると、椅子というのか、腰をかけられる畳一枚分くらいの台のところに寝そべっている人がいる。足には刺青がある。それは絵画のような刺青ではなく、何かの印として刻印されたように見える。ここはこうやって寝そべりながら過ごすスペースなのかしらと思いながら服を抜いでいると、番台からスタッフの方がやってきて、「大丈夫ですか」と声をかけている。近くにいた、こちらも風呂上がりのお父さんが「いつも言ってるじゃないか、あんなに浸かってたらノボせちゃうよ」と身体を拭きながら語りかける。そうやって寝そべっているというよりも、ノボせてしまってぐったりしているらしかった。ただ、スタッフの方も含めて顔見知りであるらしく、ここに流れている日常に触れたような心地がする。 

 備え付けのボディソープで身体を洗って、湯につかる。「41.7℃」と電子の水温計で表示されている。『乳と卵』に、『夏物語』に登場する姉妹のやりとりが思い出される。

 

「新しいやん」と巻子は云い、「新しいねん」とわたしは答え、鏡が並んであるところに椅子と洗面器を持っていきそこを確保、まず湯に浸かろうと巻子が云うので、わたしは髪の毛をゴムでくくって、湯を股と脇にかけて流し、四十二度、と赤い電子文字で表示のある一番大きな湯船に浸かった。(略)

「全然あつない」と巻子は云い、「なんなん、東京の湯ってこれが普通?」「や、味じゃないから東京も何も」「でもぬるい。そやのにあの人、あんな汗かいてる」「ほんまや」という具合で浸かってみても、やはり熱的に物足りなくどれだけ浸かっていてもきりがない感じがして、じゃあミルク風呂は、というので石枠をまたいで真っ白な湯に足を入れればそこもぬるい。

 

 僕には41.7℃でも熱く、数分も浸かっていると限界となり、露天風呂であれば多少は涼しげである気がしたのでそちらに移動した。案の定こちらのほうがぬるかったけれど、お年寄りが次から次へと入ってきてみちみちになり、こちらも数分浸かって上がることにした。さきほど寝そべっていた男性は少し回復したらしく、椅子に腰掛けていたけれど、まだやはりしんどいのかじっとしたまま動かなかった。ドライヤーはコイン式になっていたので乾ききらぬまま服を着て、番台で缶ビールを買う。ここはいつからやっているんですかと尋ねてみると、「銭湯としては古いですよ、でも、二年前に改装して露天風呂をつけたんです」と言う。

 缶ビールを手にぷらぷら歩き、三ノ輪駅にたどり着く。今日はこれから、下北沢に行ってみるつもりだ。今日の夜にトークイベントがあり、当日券もあるという情報がSNSから流れてきて、そのトークに登場されるのは僕が来月トークをしてもらうことになっている作家の方だったのだ。その方とは面識がなく、当日いきなりお会いすると「ああ、この方はこんなふうに話す方だったのだなあ」としみじみ思ってしまって、そのことに気が行ってしまって話に集中できない気がしたので、その方が話す姿を見ておこうと思ったのだ。しかし、トークは20時からで、下北沢に向かうにはまだ早かった。その前にどこかで腹ごしらえをと思っていると、駅の近くに古びた中華料理店があった。小説の中でも、湯に浸かったあと、彼女たちは中華料理店で食事をする。せっかくだからと扉を開くと、小学校高学年くらいの女の子がオレンジジュースの栓を抜いているところだ。店の子なのだろう。店内にはまだ誰もお客さんはおらず、店内はどこでも空いていたけれど、その隣の席に促され、「寄り道セット」を注文する。干し豆腐と、餃子と、チューハイ。水墨画がプリントされた壁紙が貼りめぐらされている。女の子はオレンジジュースを飲みながら餃子と麻婆ライスを頬張っている。小さい頃、父に連れられて中華料理店に出かけた日のことを思い出す、田舎だから中華料理店と言っても餃子とラーメンとチャーハンぐらいしかなかったような気がする、外食すると父はいつもビールを飲んでいた、僕はオレンジジュースを飲んでいた。今では中華とオレンジジュースなんて考えられなくなってしまった。いつのまにビールになってしまったのだろうと思っているうちに女の子は食事を終えて、塾に出かけてゆく。