7月16日

 9時に起きる。燃えるゴミを出しそびれてしまった。出せなかったゴミ袋を袋どめクリップで閉じておき、昨晩食べなかった栃尾揚げを焼き、茹で玉子と一緒に食す。正午にアパートを出て、西日暮里から山手線に乗り継ぎ、代々木に出る。F.Yさんから「少し遅れているのでゆっくりいらしてください」と連絡があり、お昼を食べそびれそうになっていたので、代々木駅前にある「山水楼」に入ってみる。先週気になっていたお店で、お昼時ということもありサラリーマンで一杯だ。豊富なメニューの中から酸辣湯麺が目に留まり、注文する。スパイシーだ。あまり汗をかかないほうであるけれど、少しだけ汗が滲んでくる。中国からやってきたのだろうか、女性の店員さんたちが忙しく働きながらも、ときどき話している。最近はやたら目が乾くのだと話している。

 コンビニでペットボトル入りのアイスコーヒーを買って、13時20分、Yさんのアトリエへ。Yさんが少し作業されているのを眺めながら、ぽつぽつと話を聞かせてもらう。Yさんとは今年の1月に初めて話したというのに、こうして「取材」しているのが不思議。ファッションのことは皆目わからないけれど、だからこそ、と依頼してもらったことなので、気になったことをなるべく質問する。1時間半ほどで話を聞き終えて、アトリエを後にする。明治通りに出て、北へ歩く。向かいのビルで調理師の卵たちがせっせと何かを作っているのが見える。15時半に「らんぶる」にたどり着き、『夏物語』の続き、15章から読み始める。残りは150頁ほどで、今日のうちに読み終えてしまうだろう。どこで読み終えよう。リュックの中にはケータイの充電器も入っているのだから、いっそのこと大阪に行ってしまおうか。しかし大阪に足を運んでも行きたい酒場が思い浮かばず、その案は採用しなかった。

 じりじりと読んで、ときどき顔をあげる。座っているのは端っこの二人がけの席で、下のフロアが一望できる。若い劇作家の姿が目に留まり、その席に、昨晩知人が飲んでいたはずの制作の方があとからやってくるのが見えた。再び本に目をやり、読み進める。主人公がかつて暮らした港町を訪れる場面にたどり着き、ああ、やはり1時間前に思い立った勢いで大阪に行ってしまえばよかったと思うけれど、そんなふうに思ったときにはもう遅いのだ。小説の中では、逢沢が新幹線で大阪にやってくる。夏子がかつて育った風景を、一緒に見て歩く。その場面は、どうしたってしみじみした気持ちで読んでしまう。その人が過ごしてきた風景を目にしてみたいという気持ちは、僕の中に強くある。普通はそういった感情を恋人に対してだけ抱くのだろうけれど、僕はそうではなくて、知り合ったいろんな人に対して抱いてしまう。学生時代、友人が多いほうではなかったけれど、4年生のときに坪内さんの授業を通して仲良くなった何人かがいて、その人たちが生まれ育った町を、僕はほとんど訪れたことがある。今思えば、向こうからすれば少し気持ち悪かっただろうけれど、その風景の中に確かに存在したのだ、ということを眺めたいと思ってしまう。

 この小説の前半でいちばん印象的だったのは観覧車の場面だったけれど、後半でもまた観覧車の場面がやってくる。おお。時計を見ると17時をまわっている。ボイジャーをめぐる会話に強く背中を押された気持ちになりつつ、一度本を閉じる。せめて空が見える場所でビールを飲みながら読み終えたいと思い、「らんぶる」を出る。思い浮かんだのは京王ビアガーデンだ。そこには楽しい記憶も詰まっている。もう雨は上がっているので、傘をささずに西口にまわってみたのだけれども、ビアガーデンは雨天中止となっていた。新宿でビールが飲める場所はどこだろう。もちろんビールが飲める場所なんて山のようにあるのだけれど、そういうことではないのだ。迷いに迷って「ベルグ」に入り、生ビールを注文して、最後の20ページを読み終える。読み終えてしまった。ここに何度か登場する意味において「子ども」である僕は、ある側面では夏子にほとんど共感しながら読んでいた。読み終えた今、誰かと話したいような気持ちに駆られたけれどそんな相手も浮かばず、とりあえず友人に「読み終えました」とメールを送り、思い出横丁の「T」に入り、ホッピーセットを注文する。入り口近くの席から、横丁を歩く人たちの姿を眺めながら飲んでいると、誰かが背中を通り抜け、表で電話をかけている。すでに少し酔っ払っているようで、行ったり来たりしながら話している。マスターが「橋本君、あれ、Eだよ」と教えてくれる。それはいつだかフェスで目にしたことのある方だ。このお店にもよく訪れるらしく、「今日は開店前から飲んでた」のだという。電話で話す声は、たしかに歌声に近い響きがある。その姿はとても小柄で、この身体にあのパワーが秘められているのかと思いながらホッピーを飲み干す。

 セットを飲み終えたところで店を出る。もうすぐ結婚式を控えている――そして僕を招待してくれた――O.Yさんが「砺波」で飲んでいたというので、千駄木に引き返して合流し、「動坂食堂」に入り、近況を話し合う。ビールを3本飲んだところで閉店時間となり、店の前でOさんと別れる。このままアパートに帰る気持ちになれず、味が苦手なチューハイをコンビニで買った。ウォッカの味が苦手なのかもしれなかった。ビールだとグビグビ飲んでしまうけれど、これだと自然とペースが落ちるのでちょうどよかった。千代田線に乗り、二重橋前で降りて、夜の東京駅を眺めた。この時間帯だとほとんど人の姿はなかった。少し歩いて、お濠を眺める。お濠の景色はとても好きだ。水面に映るビルディングの姿を眺めつつ、松林を抜けて、皇居前広場にたどり着く。誰かと話したいような気がするけれど、こうしていたって誰とも話すことはできないのだった。そう思ってインスタグラムのアカウントを消してしまう。そこに何かを期待したところで、ほんまのことは話せないのだという気持ちになった。ツイッターも消してしまおうかと思ったけれど、そこで交わされている言葉は僕がいまの時代の気分を知るための一つの窓であるので、それは思いとどまり、まだ飲み干せないチューハイをチビチビやりながらアパートまで歩いた。