7月18日

 今日から一週間ほど那覇に行く。最近仕事がしんどいらしく、「置いていくん」と知人が頼りない声で呟く。仕事に出かけていくのを見送り、茹で玉子を茹でて朝ごはん。荷造りをして、昼、パスタを茹でて市販のミートソースをかけて食す。慌ただしく洗い物をしてアパートを出る。飛行機の時間が迫っているけれど、近所の図書館で期日前投票。今日になるまで、誰に投票するか迷っていた。選挙区に関しては、当落線上にいると報じられている三人のうち、ひとりだけ当選して欲しくないと思った人がいる。では、残りのふたりのうち、どちらに票を投じるか。ひとりは、街頭演説の雰囲気からすると、案外しゃっきりしている。問題はもうひとりのほうで、やや劣勢との分析が出ていたこともあり、あんたしっかりしいや、という気持ちを込めて、その名前を書く。比例区は、まさかその名前を書く日がくるとはと思いながら、政党名を書いた。前の選挙のとき、坪内さんが「人声天語」で書いていたことを思い出す。

 投票しているうちに時間が経って、予定よりも遅れてしまった。この一年間はいつも成田空港から沖縄に飛んでいたけれど、今日は羽田からなので少し不安になる。千駄木から千代田線で日比谷に出て、スーツケースを抱えて階段をのぼり、有楽町駅から山手線で浜松町、そこからモノレールで羽田空港だ。アパートから15分歩いて日暮里からスカイライナーに乗り、成田空港にたどり着く――このシンプルなルートに比べると乗り継ぎは面倒だけれども、特急を利用しているわけでもないのに50分でたどり着けることを思うと、羽田空港のほうが便利だ。それに、「格安だから」と思ってジェットスターのチケットを取り、成田から飛んでいたけれど、ジェットスターは季節によってはさほど安くもなく、航空券だけであれば片道6千円くらいで予約できるときもあるけれど、預け荷物のために片道2000円かかり、さらに座席指定代やスカイライナーの料金を考えると、さほど割安とも言えないのだった。

 スカイマークのカウンターでチェックインを済ませ、搭乗ゲートに向かって歩いていると、現地の天候次第では、那覇行きの便は羽田空港に引き返す可能性がございます、とアナウンスがなされている。不安になりながら搭乗したものの、ジェットスターに比べて席が広くて嬉しくなる。単純だ。那覇に台風が最接近するのは明日だというからきっと大丈夫だろうと、楽観的な気持ちで過ごしていたけれど、静岡上空でまず強い揺れがあり、さらにいつもより早い時間からベルト着用サインが点灯し、那覇空港に向けて降下が始まると再び強く揺れ始める。着陸寸前が一番大きく揺れて、周りに悟られないようにしながらも、肘掛をぎゅっと握っていた。

 空港に到着してみると、まだ雨は降っていないようだった。ゆいレール牧志に出て、いつもの宿へと歩く。国際通りにも、平和通りにも、この半月のあいだにもう新しい店がオープンしている。ふいに電話が鳴り、出てみると宿からだ。「橋本さん、予約もらってたのは今月でしたっけ」「そうですそうです、もうすぐ着きます」「ああよかった、もしかしたら今月じゃなかったのかなと思って」と笑っている。チェックインしながら話していると、こんな天気だからとキャンセルが重なったのだという。実家から届いていたインスタントコーヒーのお中元セットを取り出し、「もらいもので恐縮ですけど」と宿にプレゼント。アパートにいるときはコーヒー豆を買ってきて淹れるので、使い道がなく、そのかわりこの宿に泊まっているときはキッチンに置かれているインスタントコーヒーをいつも飲ませてもらっているので、寄贈することにしたのだ。重いのにわざわざ持ってきてもらって、でも、いつも買いに行っていたから助かりますと喜んでくれた。

 荷物を解くと、すぐに外に出る。まずは「足立屋」に行き、単品でビールを注文する。発泡酒ではなく、瓶ビールも300円で提供されるようになった。台風が近づいているせいか、がらんとしている。通りかかる人も少なくて、赤提灯が大きく揺れている。隣にいた女性から「本を書いてる方ですよね」と声をかけられる。きっといつもここで飲んでいる方なのだろう、月に一回くらいいらしてますよね、と言われる。そんなふうにおぼえてくれていることが嬉しいと同時に、その方のことを知らないことが申し訳なくなる。ここで飲んでいるときは、並びで飲んでいる人のことをなるべく見ないように過ごしている。特に女性はナンパめいたことをされて嫌な思いをされている場面も時折見かけるので、なるべく横を見ずに飲んでいるのだ。ツマミに足立メンマを注文してみる。250円にしてはしっかりしたボリュームだ。追加で頼んだ足立サワーを飲み干して、店をあとにする。

 閉場した市場のまわりをぐるりと歩く。不法投棄が続いたらしく、ロープで囲いがされてある。それにしても人通りが少ないのは台風のせいだけなのかと不安になる。カネコアヤノを聴きながら、いつものように330号線を歩き、「うりずん」に入る。白百合とクーブイリチーを注文して、ゆるゆると飲み始める。にんじんと鶏団子みたいなのをサービスで出してくださる。ピリ辛でウマイ。しかし、メニューにそれらしき料理はないのだけれど、一体何の料理なのだろう。カウンターにいたお客さんはオープン時刻に入ったお客さんだったのだろう、ちょうど食事を終えて帰るところで、ひと組、またひと組と帰ってゆき、カウンターは僕だけになる。予約を入れた団体のお客さんがこないらしく、店長さんが外国人アルバイトの方に「こないねえ」と話している。ぼんやり過ごしていると、昨日届いていた国民健康保険の通知を思い出す。もうすぐ住民税の封書も届くのだろう。道路やら何やら、目の前にある風景を維持するためにはお金がかかる。そう考えると、酒場で払うお金もそれに近いものかもしれないなと思う。もちろん食べ物や飲み物に対して支払っている額ではあるけれど、その場がそこにあってくれることに対して、そしてその場がこれからもあり続けてもらえるように、お金を支払っているような感覚になる。そう思うと、何かもう少し注文しなければと、暖流をグラスで追加注文。すると今度は「橋本さん、これもよかったら」と梅味噌を出してくれる。頭が上がらない。ふと入り口に目をやると、扉のところにはまだ『市場界隈』のポスターを貼ってくれている。風にさらされてボロボロになり始めているのに、補修して貼り続けてくれている。

 「いついらしたんですか?」珍しくカウンターの椅子に座りながら店長さんが声をかけてくれる。今日です、でも、台風だとあんまり人が歩いていないですねと答えると、「沖縄の人は台風となると出歩かないし、観光の方もあんまり出歩かないですよね」と店長さんは言う。少し前に、『ちくま』から急遽原稿依頼をもらったときに330号線を歩いて「うりずん」と「東大」ばかりに飲みにいく日々のことを書いたこともあり、「僕もときどき『東大』に行きますよ」と教えてくれる。今はお店を閉めたあとじゃないと行けないけど、昔は何時間もあそこで飲んで、シャッターを閉めて明日のおでんの仕込みを始めていてもまだ飲んでましたけど、向こうもこっちも年を重ねて、そんな時間までは飲めなくなりましたと店長は笑う。いろんな時間が積み重なっているのだなあ。暖流を飲み干したところで店を出て、隣の「謝花酒店」で缶ビールを買い、飲みながら「東大」に並ぶ。街はしんと静まり返っていた。