7月19日

 6時頃に目が覚める。個室に宿泊している外国人観光客が賑やかだ。布団の中でケータイを眺めながらウトウトし、8時に這い出す。シャワーを浴びて、市場界隈を散策する。小雨が降り始めている。まずは浮島通りにオープンしたセブンイレブンに立ち寄ってみる。新築の匂いがする。まずは入ってすぐの雑誌棚と生活用品棚のあいだの通路を抜ける。この通路だけ少し狭い、せっかくの出店だからと少し詰め込んだのだろう。商品の並びを見る。「セブンイレブンの商品がある!」ということよりも、ところどころに沖縄ならではの商品が混じっていることに目を惹かれる。食材の棚に沖縄そばがあり、パンの棚にはなかよしパンがそれなりのスペースで置かれている。セブンイレブンの商品も、売りを明確にして陳列されている印象を受ける。お弁当の棚の隣は、金のハンバーグが3段、金のビーフシチューが1段、金のビーフカレーが3段とかなりプッシュされている。カップ麺の棚は蒙古タンメン中本と山頭火とすみれと一風堂がドーンと陳列され、パンの棚にはなぜかメロンパンがかなりのボリュームで並べられている。店の前ではアイスコーヒーを買った若い二人組が嬉しそうに記念写真を撮っている。

 ぐるりと歩き、仮設市場に行ってみる。まだ朝9時だからか観光客は少ないけれど、思いのほか良い印象を抱く。そんなにぴかぴかした感じがせず、前の雰囲気もある程度引き継がれている感じがする。看板や什器を前の市場から引き継いだお店も多いけれど、真新しい看板につけかえたお店も少なくないのに、一体なぜだろう。しばらく歩いてみて、床の質感では、という結論に至る。床は、建築に詳しくないから何という素材かはわからないけれど、そんなにぴかぴかしておらず、それが良かったのではないかと思う。何軒かのお店にご挨拶して、宿に戻る。インスタントコーヒーを飲みながら日記を書き、新聞社の方に企画打診のメールを送る。

 12時半になって再び外に出る。まだ台風は近くにいるはずなのに雨も降っておらず、ぼちぼち観光客の姿も見かける。Uさんのお店に立ち寄ると、来月のトークイベントを予約してくださったと教えてくれる。来月14日、下北沢で柴崎さんをゲストにお迎えしてトークイベントを開催することになったのだけれども、そのきっかけとなったのはUさんが『わたしがいなかった街で』を薦めてくださったことにあるので、嬉しく思う。前にお会いしたのは6月27日、又吉さんとのトークイベントの打ち上げの席だ。公設市場が一時閉場を迎えるにあたり、6月はいくつもイベントが開催されていたけれど、それも又吉さんとのトークで一段落して、そこで気持ちが途切れてしまっているとUさんは言う。でも、まだ工事が始まってない段階でこれだけ人通りが少なくなっていて、工事が始まるとどうなるのかと思うと、ぼんやりもしていられないんですけど、とも。

 本を3冊購入して、公設市場へ。平日で台風が近くにいる日にしては、なかなか賑わっている。刺身コーナー、前は隅っこにあったのでいつでも座れたのだが、真ん中に配置されたせいか満席である。朝は挨拶しそびれたお店にもお邪魔する。平田漬物店の前を通りかかると、「小嶺さんの店、すごくこだわって作ってるから、まだ完成してないんですよ」と教えてくれる。そう、ぶらりと歩きながら、「コーヒースタンド小嶺」が見当たらないなと思っていたのだ。「小嶺」と「平田漬物店」は、旧市場では隣同士であり、僕がよく冷やしレモンを飲んでいたから、そう教えてくれたのだろう。配置は大きく入れ替わっているから、あの店はどこにと、地図が描かれたチラシを手に歩く。組合長の粟国さんにもお会いすることができた。「意外と馴染んでいるでしょう」と言われて、頷く。二階の食堂街も賑わっている。「二階が熱い」という噂を読んでいたけれど、今日は曇天であるせいかさほど暑さは感じず、ただ調理する匂いが立ち込めていて、扇風機がフル稼働している。

 13時、「大衆食堂ミルク」に入り、ちゃんぽんを注文。テレビでは昨日の放火について報じられている。ぼんやり眺めていると、ニュース速報の音がなり、宮迫博之の契約を解除とテロップが出る。ちゃんぽんが運ばれてきてからは、カウンターに置かれていた琉球新報を読んだ。参院選の沖縄選挙区の話題が何面かに渡って書かれている。昨日の嵐の中、自民党候補は「午前4時半に那覇市の泊魚市場で漁業関係者らを前に支持を訴えて三日攻防をスタートした」「那覇市内の交差点や団地前で遊説」とある。一方のオール沖縄が支援する候補は、「うるま市の安慶名十字路での街頭演説で三日攻防をスタートさせ」、「午後にはうるま市の江洲中原交差点と沖縄市のコザ十字路で大演説会を開催」したという。おや、と思う。今朝、両候補の遊説予定を見ると、オール沖縄の候補は今日もコザのあたりを遊説することになっていた。検索して出てきたタイムスの記事を読むと、その候補は「大票田の那覇市で勢いがある」と書かれており、そこはもう抑えてあるからということで、他の地域を重点的に回っているのだろう。一方の自民党候補は、今日も那覇を演説してまわる予定になっている。どちらの候補も街頭演説を見てみたいなと思うけれど、車がないのでコザは遠く感じられる。

 宿に戻ってのんびりして、15時、仮設市場のすぐ向かいにある「節子鮮魚店」へ。隣のテーブルには中国からの観光客グループがいたけれど、ちょうど食べ終えたところらしく帰ってゆき、貸切状態となる。「今日は台風対策で、飲み物を中に入れてあるんですけど、そこから好きなものを取って飲んでくださいね。おかわりも、自分で好きに取ってもらって構いませんので。お会計のときに本数を数えて計算しますから」とのことだったので、発泡スチロールの中で氷で冷やされているオリオンビールのを手に取り、刺身を注文して飲み始める。すぐに刺身が運ばれてくる。タコと白身とサーモンとまぐろ、玉子焼き、それに海ぶどうがのっけてある。焼き物メニューも豊富で、こちらは七輪を使ってセルフで焼くようだ。ひとりで焼くのは寂しくなってしまいそうだけれども、メニューに「もち」と書かれているのを見つけ、注文したくなる。もちが膨らむ様子を眺めながら飲むなんて、それだけで楽しそうだ。店は全面ガラス戸で、細い道を挟んですぐ、仮設市場が建っている。ぼんやり眺めながら飲んでいると、組合長の粟国さんが歩いているのが見えた。粟国さんは仮設市場のスロープに立ち、行き交う人の様子を5分ほど眺めていた。ずっとそこにいる粟国さんには、僕には見えない風景が見えているのだろう。缶ビールを2本飲み終えたところで、会計をお願いする。その流れで名刺と、勝手に作った『市場界隈』のフライヤーを手渡す。書影を見て、ああ、どこかで見たことあります、と言ってくださる。継続してこの界隈を取材したいと思っているので、近いうちにぜひ話を聞かせてくださいとお願いして、店をあとにする。宿に戻ろうと八軒通りを抜けていると、「大和屋パン」のお母さんと遭遇し、「あら、おかえりなさい」と声をかけられる。

 コザまで足を伸ばしてみようかとも思ったけれど、明日の最終日を見物することにして、今日は那覇で過ごすことに決める。シャワーを浴びて、界隈を散策しながら、どこを取材しようかと考える。仮設市場の近くを歩くと、果物屋のお父さんがまた外に佇んでいる。さっきは気づかなかったけれど、こんなに頻繁に外で佇んでいるのはなぜかと考えて、帳場のスペースが狭くなったからだと思い至る。ひとりで店番してる方なら「ちょっと手狭だ」と思うくらいで済むけれど、二人や三人で店番していると窮屈なのだろう。数年前に何度か立ち寄ったことのある「バラック」というお店に行ってみるつもりでいたけれど、店の前まで行って、引き返しているお客さんの姿が見える。今日は貸切なのだろうか。それならばと踵を返し、「信」に向かって歩き出すと、粟国さん親子にバッタリ出くわす。一緒に「信」に歩いていると、角に立っていた女性に和子さんが挨拶する。その女性は、あなたが表紙の本をこないだローソンで買ったのよと言い、和子さんは「あら、この人が書いた本よ」と答える。その女性は近くの薬局の方らしく、「その薬局が、このあたりの皆の健康を支えていたよ」と和子さんが教えてくれる。皆の駆け込み寺だった、と。

 「信」に入り、ビールをいただく。今日は珍しく野球ではなく洋画がテレビに映し出されている。アメリカの若者が陸軍に入隊し、葛藤を抱えながら過ごしている。「これね、良い映画よ。先に言ってしまうけどね、あとで沖縄が出てくるから」と信光さんが言う。銃を持つことを拒絶して衛生兵となった若者は、沖縄に送られて、戦場を目の当たりにする。そこで口にされた言葉で、その映画が『ハクソー・リッジ』だと気づく。「何だっけ、又吉さんとトークしたんでしょう」。餃子を運んできてくれた和子さんが言う。「それを私の知り合いが聞きに行って、あとで乾燥の連絡があったんだけど、最初はあんまり物静かな感じだから『この人たち、ほんとにトークできるのかね』と思ってたらしいんだけど、終わったあとで振り返るとすごく印象に残るトークだったって言ってたよ。だから、トークにもいろんなトークがあるんだねえ」。そんな感想が聞けて嬉しくなる。あの日はひとりでも多くのお客さんに来てもらわなければと焦りながらチラシを配っていたけれど、そんなふうに誰かの中に残ったのなら十分だ。

 ここで顔を合わせても、忙しそうにまたどこかに出かけてゆくことの多い粟国さんも、今日はゆっくり映画を眺めていたので、少しお話しすることができた。仮設市場は、鮮魚と食堂は変わらず売り上げがあって、二階も一部のお店はかえって売り上げが上がっているのだという。それはよかったと思いながらも、語られなかったところを引き取れば、生肉と生鮮は苦戦を強いられているということでもある。あれこれ話す流れで、今後も取材を続けるつもりですとお伝えする。

 ビールを3杯飲んだところで店を出て、「バラック」を覗いてみる。どうも通常通り営業しているようだ。扉の前に立ちはだかっている猫に少し避けてもらって、入店。シチリアのワインを頼んで、メニューを眺める。ツマミは何にしよう。「この、テリーヌって何でしたっけ」と素直に店員さんに尋ねて、パテみたいなやつですと教えてもらって、それとピクルスを注文する。運ばれてきたテリーヌには大きなパンがたくさん添えられている。この飲み屋には、2014年の6月に沖縄を訪れたときに初めて訪れて、そこで交わした会話は『沖縄再訪日記』に書き残してある。たしかその翌年の6月にもここを訪れて、他にお客さんがいなかったこともあり、「あかり from HERE」を流してもらったことがある。あの頃は、すぐ近くに仮設市場がやってくることは想像していなかったし、自分が『市場界隈』という本を書くことになるなんて思ってもいなかった。本当は「近いうちに取材させてください」と伝えたいのだけれども、僕が座った席は店員さんから微妙に距離があるので、目の前にあるテレビに映し出されているサッカー中継を熱心に観戦する人として過ごす。帰り際にようやく『市場界隈』のチラシを渡して、少しだけお話しすることができた。

時計をみると20時55分だ。ここまで2軒飲み歩いているのだから、もう十分といえば十分であるはずなのに、ここで宿に帰る気になれず、安里まで歩く。どうして帰る気になれないのか、自分でも不思議だ。安里駅前に出ると、「あさと繁信」と書かれた幟を振っている人たちがいる。選挙カーを使った選挙活動は20時までだが、気勢を上げなければそれ以降も可能だということで、330号線を行き交う車に向かって幟を振り続けているのだろう。21時10分、「東大」の前に出てみると、昨日とは対照的に長蛇の列ができている。ミニ椅子を出して並んでいる人もいれば、段差に座り込んでいる人もいる。その列に混じる気になれず、近くを散策して時間を潰して、カウンターに入れれば「東大」で、入れなければ「うりずん」に行くことにして、ぶらつく。裏路地を歩いていると、かつて「社交街」として賑わった時代を感じさせる建物はたくさん残っていて、その多くは少し改装されて新しい店になっているけれど、ところどころに名残りがある。ひと気のない路地を歩いていると、向こうから男性が歩いてくる。こちらを少し警戒しているようだが、僕が千鳥足で酔っ払いのように歩いていると警戒を解き、灯りの消えていた店の扉を開き、中に消えてゆく。

 21時半が近づいたところで「東大」に戻ろうとすると、店の裏口からお姉さんが出てきて、列の長さを確認しているところだ。僕に気づき、あら、はしもっちゃん、さっき「今日も来るかな?」って話してたのよ、今日は出遅れちゃった?と声をかけてくれる。20分前に来たらもう長い列が出来てたから、どうしようか迷ってたんですと伝えると、大丈夫大丈夫、カウンターにボトルを出しとくから、ちゃんとくるのよ、と言って裏口に戻ってゆく。5分ほど待つとシャッターが上がり、ぞろぞろとお客さんが店に入っていく。その一番後ろから中に入ると、カウンターが1席だけ空いていて、無事に座ることができてホッとする。さきほど食べたパンでお腹が満ちつつあるので、今日は控えめに、ゴーヤの黒糖漬けと、おでんの大根、昆布、葉野菜、それにてびちを注文。隣りは小学生の子を連れた家族連れだ。おでんを待っているあいだに眠くなり、「眠い」と訴える子に、「ちゃんと眠くなるなんて偉いね」と店主が笑う。僕の家は、小学生の頃は21時に消灯されていて、その時間に眠っていたはずなのに、今ではそんな時間に眠る気になれなくて、こうして酒場にいる。

 おでんを食べ終えたところで会計をお願いすると、はしもっちゃん、ここにサインをと、店員のお姉さんが『市場界隈』を差し出してくれる。サインしてもらおうと思って、家から持ってきたの、と。せっかくだから黒のマジックではなく、サイン用に用意してあるペンで書きたいので、「明日またきます」と伝える。「謝花酒店」で缶ビールを買って、ゴン太を遠巻きに眺める。「うりずん」の前を通りかかると、ばったり店長さんと出くわす。今日は「東大」で飲んでいて、今から缶ビールを飲みながら宿に帰るところですと伝えると、いいですねと店長さんは笑う。明日か明後日、また「うりずん」に飲みにきますと伝えて330号線のほうに歩き出すと、「あ、橋本さんちょっと待って!」と呼び止められる。一体何だろうと思っていると、「これ、指で舐めながら飲んでください」と小さな豚味噌のパックを差し出してくれる。どうしてこんなによくしてくれるのだろう。少しは何か返すことができるだろうかと考えながら、330号線を歩く。