8月11日

 里帰りしてからというもの、知人はずっと咳き込んでいる。部屋から風邪の臭いがする。ウィルスや細菌に臭いなんて存在しないとわかっているけれど、風邪を引いたときに部屋に漂う独特の臭いがある気がする。今日起きてみると少し具合が悪く、ほら、やっぱり、風邪の臭いがしてたんだよと知人に不満を漏らす。「風邪の臭いとか、何言いよんや」と知人は相手にしてくれなかった。稽古場に出かける知人を見送る。昼、財布を持って外に出る。最寄りのお蕎麦屋さんは、しばらく前から「少しのあいだ休みます」と貼り紙をして、ずっと店を閉めていた。まだ営業は再開していないけれど、一昨日あたりから座布団を干してあるのを見ていたので、今日あたりから暖簾を出しているかもしれない。それで様子を伺いに出かけたのだが、今日も暖簾は出ておらず、座布団が干してあるだけだ。仕方なしにセブンイレブンに入り、中華丼を買い求める。

 午後、来年にやりたいと思っている企画のことを考える。一つは、深夜のバーガーショップの風景をめぐるルポルタージュだ。あれは『HB』を創刊するきっかけになった夜のことだから、2007年の春だ。坪内さんの授業で一緒だった三人で集まり、下北沢で飲んだのち、なぜか上野まで移動することになった。そこで終電を逃し、「このあとどう過ごすか、一回落ち着いて考えよう」ということになり、某ハンバーガーショップに入った。コーヒーだけ買って2階に上がり、驚いた。フロアを埋め尽くしているお客さんの8割は高齢の男性で、ドリンクだけ注文して眠りながら、大きな荷物を抱えて朝を待っているのだった。当時僕が住んでいた高田馬場ハンバーガーショップとは風景が違っていることに驚き、それぞれの街ごとにどんな風景があるのか、記録したいと思うようになった。それからしばらく経った頃に、前野健太の「コーヒーブルース」に「夜のコクピット/駅前は難民所」というフレーズが登場するのを聞き、あの風景を記録しておかなければと、改めて思うようになった。でも、その時点ではまだ、どんなふうにルポルタージュが可能かという手立てをあまり思い浮かべることができなかった。

 それからほどなくして、ハンバーガーショップは24時間営業の店舗を削減し始めて、24時間営業を続けるにしても、深夜の時間帯は販売のみで、客席の利用は不可、という店舗を増やした。次第に「記録しておかなければ」という気持ちも少し遠くに行ってしまって、そのことを忘れてしまったわけではなく、いつもデスクトップに「深夜3時のバーガーショップ」と題したデータは置かれていたけれど、その企画について具体的に考えることはなかった。でも、「2020年の東京の片隅に存在していた風景を書き記すのが自分の仕事だ」と考えたときに、今こそあの企画をという気持ちが強くなっている。それで、まずは現在も24時間営業を続けている店舗をリサーチして、その中でも客席をクローズすることなく通し営業している店を洗い出す。その中から、「ここの店舗の深夜にはどんな時間が流れているだろうか」と気にかかる店舗を、Googleマップにピン留めしてゆく。この企画は、写真でやると差し障りもある気がするし、僕がひとりで深夜の店に滞在して、そこで目にした風景を文字にして、それに応じた絵を描いてもらうのがよい気がする。しかし、問題は、そんなルポルタージュを載せてくれそうな/載っていたら光って見える場所はどこなのかということだ。

 知人は今日も早めに帰ってくるらしく、それならばと上野動物園に誘う。ここ数年、上野動物園では真夏の数日間に開館時間を延長し、夜の風景を眺めることができるのだ。上野まで歩き、18時に弁天門の前で知人と落ち合う。やけにお腹が減っているので、動物園に入る前に屋台で焼きそばと缶ビールを買い、立ち食いする。焼きそばの屋台のお姉さんが、今日も暑かったですねえ、死にかけましたよと笑いながら、焼きそばをよそってくれる。広場では何やらイベントが開催されている。そういえば今日は日曜なのだったと思い出す。陸橋の向こう側まで行くのはくたびれるから、こちら側だけで楽しむことに決めて、オオワシカピバラ、馬に牛に豚を眺める。これまで何度か訪れているのに、不忍池の小島でオオワシが飼育されていることに気づいていなかった。オオワシは飛ぼうとする素振りさえ見せず、ただじっと小島の上に佇んでいる。

 陸橋のあたりを通り過ぎながら、「綺麗になった気がする」と知人が言う。前からこんなものだった気もするけれど、オリンピックに向けて綺麗に整えたのかもしれない。ペンギンとフラミンゴ、それにハシビロコウをじっくり観察する。ハシビロコウ、いつのまにかグッズがたくさん作られている。宿舎に下がっていたカバにサイ、キリンもじっくり眺める。サイのところに飼育員がいて、水遣り場に水をためているところだ。そこにカバが近づいてくると、顔に水を何度かかけてやって、口元をワシワシと撫でてあげている。隣の檻にいるサイは、それが羨ましいのか、落ち着きなく歩き回っている。キリンは食事中だ。2頭いるキリンは、それぞれ模様が全然違っている。知人はとっくに見飽きているのはわかっているけれど、それでもしばらく見つめていると、「もふって、あんとな足の生き物が好きよね」と知人が言う。

 すっかり満足したところで、19時、テラスに空席がないか探す。ちょうど池のほとりに空席を見つけ、知人を座らせておいて生ビールとツマミを買ってくる。乾杯。夜の動物園が見られるのも嬉しいけれど、こうして池のほとりで生ビールが飲めるのが贅沢だ。ところどころで蓮の花が蕾を膨らませている。蓮というのは不思議な植物だなと思う。よく見ると、葉っぱとは別に茎が伸びていて、蕾を膨らませている。そもそも、冬には毎年蓮刈りをしているのも謎だ。枯れた蓮の葉なんかを綺麗に掃除してあげることで、翌年にはまた綺麗に花が咲くのだろうけれど、人間の手を加えなかったらどうなってしまうのだろう。近くでは笛の演奏が行われている。そのメロディは「夏の終わり」で、勝手に終わらしてくれるなと思う。

 最後にもう一度フラミンゴを凝視して、20時、閉園時刻に退園する。根津まで歩き、バー「H」に入ると、サラリーマンのグループ客がいて、大声で会話を続けている。Hさんが前に働いていたバーにも行ったことがある客らしかった。Hさんが以前働いていたバーは賑やかだった。ただ、そこはほとんど立ち飲み客で埋まるような店だったけれど、それと「H」の雰囲気はまったく違っているのに、どうしてそんなに大声で話し続けるのだろう。こういうとき、無言のまま視線を向けてしまう。別にマスターのHさんや他のお客さんはさほど気に留めてないかもしれないけれど、視線を向けてしまう。この店に限らず、こういうことが多々ある。数日経って日記を書いている今、振り返ってみると、「わからせたい」という気持ちが強いのだろうと思う。向こうは周りの客なんていないかのように大声で話しているけれど、こちらは意識せずとも向こうの声が聞こえてきて、その存在感が気になってしまっている。だったら相手にも、こちらが視線を向けるということで、何かしらの負荷を与えたいと思っているのだろう。自分が何かを被ったからには、向こうにもそれを味合わせたいということなのだろう。そんなことしたって何もならないのにと冷静になれば思うのだけれども、どうしてもそんなふうになってしまう。みっともないことだ。ハイボールを3杯飲んで、帰途につく。