8月16日
昨晩はエイサーを見物したあと、ゆいレールで安里駅まで引き返し、「うりずん」で飲むつもりでいた。年中無休と書かれているけれど、さすがに昨日は営業していなかった。「東大」も19日まで休むと貼り紙があり(ということは今回の滞在中は飲みに行けないということだ)、屋台で沖縄そばを食べて宿に帰ってきた。体調が悪化しているようで、薬を飲んでマスクをして眠りにつく。夜中、咳が出そうになって何度も目が覚める。僕がいつも泊まっている宿は漫画喫茶のような構造になっていて、仕切りはあるけれど上は繋がっているので、あまりゲホゲホやっていたら迷惑だろうなと、咳をこらえる。
朝になっても具合は悪かった。とりあえずシャワーを浴びて、ベッドに横になって過ごす。12時過ぎ、お腹が減ったので外に出る。「市場の古本屋ウララ」の前を通りかかり、ご挨拶。声が枯れてますね、とUさんが言う。そうなんです、少し前から調子が悪かったんですけど、トークイベントを終えた翌朝に声が出なくなって、今日の午後に打ち合わせがあるのでそれまでに治るといいんですけど。じゃあ、温存しないとと言われて、なるほどもっともだと短く切り上げる。
今日は「大衆食堂ミルク」でお昼を食べるつもりだったのに、シャッターが下りている。市場も今日は閉まっている。体調が良ければもう少し選択肢もあるけれど、遠くまで歩く気力もなく、途方に暮れる。ああそうだ、前に向井さんが銭湯帰りに立ち寄ったとMCで語っていた店があると思い出し、霧雨が降る中、沖映通りを歩いて「大福」へ。カウンターがメインのごく小さな食堂で、ここは営業していた。沖縄そばを注文すると、「お仕事ですか」とお店のお母さんに尋ねられる。いや、旅行ですと答えると、「沖縄は暑いでしょう、今年は特に暑いのよ」とお母さんが言う。店内に置かれたテレビではちょうど天気予報をやっていて、明日の東京は35℃、沖縄は30℃と表示されている。汁まで啜り、汗を吹きながら薬を飲んだ。
「ジュンク堂書店」(那覇店)まで足を伸ばして、棚を眺める。『市場界隈』、また新刊台に少し並べてくださっている。2階の沖縄本コーナーをひとしきり見たあと、鞄の中に本が入っていないことを思い出し、何か面白そうな文庫本はないかと見て回り、ジョージ・オーウェル『あなたと原爆』を購入する。宿に引き返し、横になって過ごす。15時、RKSP社に出かけ、打ち合わせ。やりたいと思っている連載企画を伝える。基本的には進める方向でまとまったけれど、文化面の連載になるので、なにか文化と結びつけていただけると、とのことだった。文化とは一体何だろう。企画自体が文化史に繋がっているつもりでいたけれど、「文化」の意味を知るために図書館に出かけ、RKSPの過去2ヶ月分の文化面に目を通す。文化とはと思いながら図書館を出て、「無印良品」に立ち寄り、時計を買う。「駅の時計・ミニ」という、手のひらサイズの置き時計だ。宿の部屋には時計がなく、旅行に持ち運べるサイズの時計が欲しいと思っていた。アパートのダイニングキッチンにも時計がないので、普段はそこに置いておこう。
時刻は18時過ぎ、もうすぐ夜だ。今日は金曜日で、しかもせっかく那覇まで来ているけれど、体調のことを考えてお酒は飲まないことにする。ファミリーマートで野菜スティックとなげわスナックを買って宿に戻る。ブルーレイレコーダーの中身を遠隔視聴できるので、録画したままのドキュメンタリーを観ることにしよう。昨晩のNHKスペシャル『全貌 二・二六事件』と、先週放送された『忘れられた“ひろしま” 8万8千人が演じた“あの日”』をそれぞれ観る。後者は1953年に制作された映画『ひろしま』を巡るドキュメント。朝鮮戦争が勃発し、核兵器の使用が取りざたされる中で『原爆の子 ひろしまの少年少女のうったえ』という文集が編まれ、そこに寄稿した学生が「原爆の悲惨さを伝える映画を」と願い出、原爆投下直後の悲惨さを再現した映画が制作される。この映画は、8万人を超すエキストラが参加し、その中には実際に被爆した人も含まれていたという。
こうして映画は完成したが、試写を見た配給会社は上映に難色を示す。当時、日本は奄美・沖縄・小笠原をのぞく形で主権を回復しており、以前のようにアメリカから検閲を受ける心配はなくなったものの、冷戦が進むなか、配給会社は「反米色が強い」と難色を示したのだ。また、エキストラとして出演した子供達は、周りから「アカの手先」とレッテルを貼られてしまう。映画は自主配給され、細々と上映されたが、次第に忘れ去られていく。僕は広島出身だというのに、このドキュメンタリーを観るまで恥ずかしながらそんな映画が存在することも知らなかった。ちょうど今日の深夜に映画『ひろしま』が放送されるようなので、録画予約をして眠りにつく。