8月23日

 7時半に起きる。つけっぱなしになっていたテレビはテレビ東京にチャンネルが合っていて、韓流ドラマが始まる。チャンネルを変えると、森ビルが虎ノ門から麻布台にかけての一帯を再開発すると報じられている。そこは小さな家屋が軒を連ねるエリアで、30年がかりでプロジェクトを進めてきたのだという。そんな風景が都心に残されているなんて貴重なことなのに、最悪だ。森ビルによってすっかり東京の風景は造り替えられてしまっている。さらに暗い気持ちになるのは、地元住民だという人がテレビ局の取材に対して「楽しみです」と答えていること。

 洗い物をして、コーヒーを淹れる。茹で玉子とロールキャベツの小さいやつ1個で朝食にする。残りのロールキャベツはジップロックに入れて保存しておく。新聞は日韓軍事情報協定の破棄を報じている。さらに暗澹たる気持ちになる。韓国政府関係者の「双方に国内政治の事情、世論があって身動きがとれない状態だ」というコメントが掲載されているけれど、韓国の世論はともかく、日本国内に無視できないほど「韓国に強硬な態度を取れ!」という世論があるとは思えない(そういう声があるのは確かだろうけれど、それを無視したとしても政権に影響はないだろう)。政治家の仕事は交渉し落とし所を探るところにあると思うのだが、“毅然とした態度”を取る人間ばかりになってしまったのか。松岡洋右のことを学校で習わなかったのだろうか。

 昨日に引き続き、ドキュメンタリー『戦争花嫁たちのアメリカ』と、それを観ながら思い出した柴崎友香さんの小説のことを書き記す。今日は知人も自宅で仕事をしていて、雨の中を郵便局まで出かけてゆく。昼頃には雨も上がり、ひとりで「砺波」に出かけ、ラーメンと半チャーハンをいただく。お父さんは頭に手拭いを巻いていた。帰りにミスタードーナツに寄り、チョコレートファッションを買ってアパートに戻る。午後も感想を書いて過ごす。17時過ぎ、太鼓の音が聞こえてくる。知人に伝えると、「そういえば郵便局に行ったとき、提灯が出てたわ」と言う。すぐに身支度をして外に出て、太鼓の音がするほうに歩いていくと、光源寺には櫓が組まれていて、提灯が並んでいた。今日は盆踊り大会が開催されるらしかった。

 まずは缶ビールを買って、ベンチに腰掛ける。盆踊りの前に高校生たちによる和太鼓が披露されている。お揃いのTシャツを着て、弾けるように太鼓を叩く高校生たちに、どこかいじけた気持ちになる。こんな青春は自分の人生には訪れることはなかった。「一年前の花火みたいな青春やったからのう」とつぶやくと、知人はビールを飲みながら「ああそう」とだけ言う。ぼんやり眺めていると、高齢の男性からアンケート用紙を手渡され、すぐに知人は回答を記入している。わざわざ答えるのかと不思議そうにしていると、「私は普段、こうやってアンケートを求める側やから」と知人は言う。アンケートには希望する屋台という欄があり、知人は「唐揚げ チキンステーキ」と書いている。毎年酉の市で食べているやつだ。

 盆踊りが始まるまで、あと1時間あるらしかった。それならばと一度会場を離れて、谷中ぎんざまで歩き、「越後屋本店」でアサヒスーパードライを飲んだ。ここでいつも見かける白い犬がいるのだが、「あの子は『獣!』って感じの目をしてる」と知人が言う。わかりあえない感じがする、と。僕からするとすべての犬に対してそういう気持ちでいるのだが、犬を飼って育ってきた知人には違う何かが見えているのだろうか。一杯だけ飲んで引き返し、再び光源寺に戻ると、ちょうど盆踊りが始まったところだ。缶ビールを飲み干すまでのあいだ、しばらく盆踊りを眺める。アパートに戻り、晩酌しながらNHKスペシャル昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録 拝謁記』を観る。そこに記された昭和天皇の言葉は感情に根ざしたものが多いように感じられ、そこで「反省の意を示したい」と語っていたのだとすれば、原爆投下をやむえないこととのちに語ったのは一体何だったのかと思わざるをえない。その一方で、どういうメッセージを出せばどういう道を日本が歩むことになるのかを見通していたのだろう吉田茂の存在感があらためて浮き彫りになる。