8月24日

 朝8時に起きて、茹で玉子を食す。『戦争花嫁たちのアメリカ』と、それを観ながら思い出した柴崎友香さんの小説のこと、感想として書き記す。昼過ぎになってようやく書き終える。誰に頼まれたわけでもなく、2万字に届く勢いの――つまりウェブではあまり読んでもらえないであろう――文章を、3日間かけて書いた。そこに書いたことの半分は、先日の柴崎さんとのトークで話しきれなかったことを、忘れないようにと書いたものだ。またどこかで柴崎さんと話す機会があれば嬉しいなと思う。

 書き終えるとすぐにアパートを出た。上野に買い物に出かけるという知人と一緒に千代田線に乗り、知人は湯島で、僕は日比谷で降りた。13時35分に「日比谷コテージ」に到着してみると、まだ開場していなかった。13時340分に開場し、整理番号順に呼ばれる。僕は56番、定員が70名だからわりとギリギリだったのだなと思う。席に荷物を置いて、一度外に出て、コンビニで塩むすびを買って食べる。誰にも遭遇しないようにと、時間ギリギリになって会場に戻り、入り口に置かれていたルシア・ベルリン『掃除夫のための手引書』を手にとってレジで会計を済ませ、トークイベント会場に入る。

 14時過ぎ、「花田と新井の答えのない読書討論会 vol.3」というトークイベントが始まる。テーマとなるのは川上未映子『夏物語』で、著者である川上未映子さんも登壇されるイベントだ。冒頭はホストであるふたりが『夏物語』の感想を語るところから始まるのだが、「読んでいると、何を読んでいるのかわかんなくなる」、「この本はポップを書きづらい」といった話から切り出されて、暗い気持ちになる。もちろんそれは多様なテーマを含んでいるという話ではあるのだが、それを語るときに「ポップを書きづらい」という話から切り出されるということに、なんだか目の前が暗くなってしまう。

 トークの終盤では、本が売れなくなっている問題についても語られていた。書店員さんから見て、エンターテイメントと純文学では期待の領域も違ってくるのかという著者の問いかけに、「文芸で、無名で、テーマもよくわからないってなると、売れる可能性ってほんとに低くなっている」と答えていたこともまた、なんだかがっくりきてしまった。小説という領域でさえ、どのような小説であるかとポップの短い言葉に集約できないと売れないのだとすると、それ以外のジャンルだといよいよ手にとってもらえないだろう。そこをうまく接続してくれるのが書店員だと思い込んでいたのだけれども、こんな東京の真ん中にある書店でそうした言葉が語られることに、自分の本なんて手にとってもらえないのではと思う。

 こんなふうにネガティブな感想から書き始めるのもどうかと思うけれど、チーム・ネガティブの人間であるので、どうしても引っかかったことのほうが先に思い出されてしまう。 

 トークイベントの後半で、川上未映子さんは、『夏物語』の主人公である夏子がやっていることは、実際に体験できることだと語っていた。精子バンクから精子を手に入れて、それで出産している人もたくさんいる、そのことを赤裸々に書いているドキュメントはそんなに数がないから明るみに出ないだけで、欧米ではすごく増えている、そのようにして生まれてきた子たちが二十歳ぐらいになっていて、親を探すプラットフォームも作られていて、うまくまわっている、そのように生まれてきた人たちが当たり前の状況になっている――そういう状況をSF的な回路で描くのではなく、ドキュメントに近い部分もちゃんといれておきたかったのだ、と。その話を聞いて、ホストである側のいずれかが「ガイドブック的な」と相槌を入れたことも、どうしても引っかかってしまう。それを「ガイドブック」と表現してしまうと、何かが崩れ落ちてしまうように感じる。あるいは、川上未映子さんが「私が今回リアリズムにこだわったのは、2019年の今、30代後半の女性が置かれている状況の記録にもしておきたかった」という趣旨のことを言ったときに、「今の状況が、データブック的に入ってますもんね」と相槌を打っていたことにも、同じように引っかかってしまう。データブックでは拾いきれないことを記述するために、文学は存在するはずだ。

 ネガティブな感想から先に書いてしまったけれど、印象深い話も多く、たくさんメモを取った。トークの序盤で、小説を書いているとき、ドラマティックにするために何かを起こしたりするのかとホストに問われたとき、「基本的なところは決めて書く」と川上未映子さんは答えていた。いわゆる純文学とエンターテイメントがあったときに、純文学はそこにあんまり欲望を感じないのかもしれないね、物語への欲望というよりも、物語からこぼれるようなシーンへの熱意が私にもあって、そういうものの積み重ねだと思う、と。

 トークの冒頭では、「純文学であるはずなのにすごく読みやすい」という話もあり、「未映子さんって、お姿も美しいし、シリアスな作家さんでも十分よくて、純文学性だけでも100点の作家さんなのに、なんで笑わしにくるんだろうねって話していたんです」という話もホスト側から出た(その言葉にも当然ながら引っかかるけれど)。それらの話を踏まえて、川上未映子さんは、『夏物語』に出てくるスナックの女の子たちもすごくひどい目に遭うのだけども、「こんなんで負けるかいなーっていう、その気持ちが一番、なんかあるのね」と語っていた。「資本主義的な豊かさとか、運がいい人とか、自己啓発とか、そういうものに絶対に決めさせない生命力、実際の人生でも私はそこで大きくなったから、それを信じている気持ちがすごくある」のだと。それでいうと、これまでは自分の経験したものを小説に使うことに抵抗があったけど、今回はそれを使うことにしたのだという話も印象深かった。

 トークで印象的だった話はたくさんある。善百合子に関する話と、「人は常に正しいことをするわけではなくて、悪と思っていることもすることができる」という話も、マルケスの小説やドラえもんを例に挙げながら語っていたポリティカル・コレクトネスとフィクションの関係に関する話も印象的だった(後者に関しては一つ企画が思い浮かんで、その案のこともメモに残した)あるいは、『掃除夫のための手引書』と、「小説ってやっぱり文体なんだと思った」という話も印象的だった。だが、この日なにより印象深かったのは、トークの中盤あたりのことだ。

 それはたしか、『夏物語』に登場する夏子に関して話していたときのことだった。夏子は小説を書いているが、なかなかそれを形にできずにいる。その流れで、最初から成功できた人は「自分の表現をどこかに存在させることができる」と思えるかもしれないけれど、私はそれがまったくなくて、いつも「これが最後かもしれない」という強迫観念がなくならず、だから夏子の気持ちもよくわかるのだと、未映子さんは語っていた。そこからしばらく、未映子さんは言葉に詰まった。なんて言うのかな、なんて言ったらいいんだろうなと言葉を探したあとで、「全部、全部途中ですね」と未映子さんは言った。良いときもあれば悪いときもあるけれど、それは全部途中だし、それはやっぱり自分が作ったものではなくて、無数の偶然が重なり合っている。「今、無数の偶然が重なり合って、24日にここにいれたっていうことは当たり前でもなくて、いつもその重大さに胸が苦しいです」――本当に振り絞るようにして語る未映子さんの姿が、どこまでも印象的だった。

 トークイベントが終わると、サイン会に移ることになったので、そろりと会場をあとにする。ファミリーマート黒ラベルのロング缶を2本買って、皇居のほうに歩く。日比谷公園の角に出て、ああ、ちょうど一週間前にここでナンバーガールのライブが開催されたのだなと思う。そして僕は、そのライブを観ることができなかった。そのことをうまく受け入れることができなくて、いまだに情報をシャットダウンしている。ナンバーガールのライブ音源を聴きながらお堀沿いを歩き、皇居前広場で缶ビールを飲んで、アパートに帰って酒を飲んだ。飲みながら観たのは、今季のベストだと思っている『セミオトコ』だ。ある登場人物がヘッドフォンで聴きながら歌っている曲が、忌野清志郎の「スローバラード」だとわかり、ドラマを観終えたあとにYouTubeで動画を視聴する。