8月30日

 5時15分、アラームの音で目を覚ます。無事に起きることができてホッとする。シャワーを浴びて、6時10分にロビーに降りると、外はもう明るくなっている。6時15分にTさんと待ち合わせて、取材に出る。取材中のことは省く(記事が掲載されたあと、記事に書かなかったところを細かく書くかもしれない)。初めての石垣島をとにかく満喫した。取材でなければ、ここまで満喫できなかったと思う。それは、取材だからということで、そこに暮らしている人たちに話しかけることができたということが大きかった。そして、短い時間で話を聞かせてもらっただけでも、そこに歴史が滲んでいて、あれこれ本を読んでみなければという気持ちになった。

 19時半に取材を終えて、20時、飲み屋で乾杯。連れて行っていただいたのは「やふぁやふぁ」というお店。案内してもらったのはカウンター席で、大将が調理する姿を見ながらお酒が飲めた。その所作がするすると美しく、まだ入店したばかりだというのに、また来たいなと思う。写真家のNさんは僕よりずっと年上だけれども、僕が飲み干すたびに泡盛の水割りを作ってくださって、恐縮する。

 Nさんは10数年前に石垣島に移住してきた方で、お会いするまでは少し緊張していた。というのも、沖縄に移住して暮らしている方や、沖縄が好きで何度も通っている人たちに対して、戦々恐々としてしまう。でも、Nさんはとてもまろやかな方で、僕の話をたくさん聞いてくださって、楽しく飲んだ。そして、今日の取材をしながら、ずっと気になっていたことを質問する。先日観たドキュメンタリー『戦争花嫁たちのアメリカ』で、戦前からアメリカに渡っていた日系移民の方たちは、戦後になって移住してきた戦争花嫁に対して、最初のうちは冷たく接していたのだと番組で語られていた。

 ここ石垣島も、戦後になって多くの移民がやってきた島だ。それから半世紀以上が経って、新たに移住してくる人が増えている。そこで、戦後第一世代の移民の方達とのあいだに壁を感じることはないのだろうか――と。僕の質問に、Nさんは「ないちゃー」という言葉の響きの違いを教えてくれた。沖縄本島であれば、冗談のように「ないちゃー」という言葉を使うこともあるけれど、ここではあまり表で言えないような感じがあるのだ、と。それを考えると、Nさんのように、移住した先に暮らしている人たちの心情に気を遣える人だからこそ、つつがなく暮らしていけるのだろうなと思う。Nさんはずっと泡盛を注いでくださっていた。