8月29日

 今日は珍しく知人が先に起きて、僕がまだ寝ぼけているうちに出かけてゆく。洗濯機をまわして、湯に浸かる。汗をかくトレーニングをしなければと、最近は定期的に湯に浸かるようにしている。旅に出る前に垢すりをしておきたいというのもある。湯に浸かりながら、茹で玉子を2個食す。風呂から上がると録画した番組をブルーレイに焼き、ハードディスクレコーダーの容量を開けておく。もう一度洗濯機をまわして、干し、13時過ぎに慌ただしくアパートを出る。

 14時10分に羽田空港に到着する。今回は取材の旅で、雑誌の編集部に航空券を手配してもらっているのだが、特にeチケットは送られてきていなかった。どうすれば搭乗できるのかと不安に思っていたけれど、マイレージカードで手続きをするらしかった。財布に入れっぱなしにしておいてよかったと胸を撫で下ろす。今回は初めて国内線でトランジットがあるのだが、出てきたのは那覇までの搭乗券だけだ。それを手に手荷物を預けるカウンターに行き、那覇までの航空券を差し出すと、「羽田から那覇への航空券はお持ちですか?」と禅問答のようなことを言われる。

 なんとか手続きを終えて、20分前に搭乗口にたどり着く。『c;w』編集長のTさんと落ち合って、売店で昆布のおにぎりとアイスコーヒーを買って、飛行機に乗り込んだ。Tさんはゴールド会員なので、僕も一緒に優先搭乗させてもらって、緊張する。優先搭乗なので、まだ飛行機の中はガランとしていて、慣れないせいか行き過ぎてしまって、「ここです、ここ」と後ろからTさんが呼び止めてくださる。那覇空港に到着すると、トランジットのために空港で待機する。

 今回の旅の目的地は石垣島だ。これまで30回くらいは沖縄本島を訪れているけれど、石垣島は初めてである。那覇空港から別の空港に乗り継ぐのも初めてのことで、不思議な心地がする。搭乗を待つあいだ、これまで何度も石垣島を訪れているTさんに話を聞かせてもらう。「石垣は合衆国だからね」という言葉が印象に残る。石垣島は戦前にもたくさんの移民がやってきて、戦後もあちこちから移民がやってきて開拓されたらしかった。戦後しばらくは生活も貧しく、古老のような方に話を聞くと、「昔は履く靴もなく、流れ着いたものを履いていた」なんて話を聞いたこともあるという。

 20分ほど遅れて、石垣空港行きの飛行機に搭乗する。飛行機はかなり空いていた。Tさんが掛け合ってくれて、「彼は初めての石垣島だから、窓側の席に移動させてあげて」とキャビンアテンダントにお願いしてくれて、窓側の席に移る。離陸後、シートベルト着用サインが消えると、飲み物が配られる。コーヒーなどではなく、シークヮーサージュースだ。窓の外はちょうど夕暮れ時だ。夕焼けを目にするたびに、武田百合子佐渡滞在中に目にした夕日の色を琵琶に例えていたことを思い出す。しばらくすると、窓の外に島が見えてくる。あれが宮古島、向こうが多良間島。Tさんが教えてくれる。海に浮かぶ島々の中に、水納島という島があった。沖縄には「水納島」という島が二つあることは知っていて、僕はもう一つの水納島には何度も渡ったことがあるけれど、そうか、もう一つはここにあったのか。こちらの水納島には、ひと家族だけが住んでるのだとTさんが言う。ひと家族だけでは不便なことも多いだろうに、どうしてそこで暮らし続けているのだろうと、島の上から眺め続ける。雲がもこもこと立ち現れていて、十二支の置物が並べられているみたいだ。

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宮古島

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水納島

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 離陸から30分ほどで、石垣島が見えてくる。島の最北端から、海岸線に沿うようにして飛行機は飛んでいる。窓から見える石垣島は野原だ。もう外は暗くなり始めているけれど、東海岸沿いには集落が少ないのか、あまり灯りは見えなかった。昔はのどかな島だったけど、観光客で賑わうようになって、あまり街と変わらなくなった――誰かがそう語るのを耳にしたこともあったので、もう少し飛んでいるうちに拓けた風景になるのかと思っていると、野原のような風景の中に飛行機は着陸する。飛行機を降りると、森の中みたいな匂いがする。空港内には大きな看板が出ていて、具志堅用高も写真もある。そんな看板は見たことがないから、石垣島のオリジナルなのだろう。具志堅用高は島の英雄で、記念館もあるそうだ。

 「天気予報だと明日は雨って言ってるけど、何でかねー?」。うちなーぐちのイントーネーションで、Tさんがタクシーの運転手に尋ねる。「だからよー、なんでかわかんないわけさ」と運転手さんが答える。この「だからよー」という言葉の遣われ方は沖縄独特だなと思う。街灯のない道をタクシーは走ってゆく。外は暗くなってきて、街路樹のヤシの木はシルエットだけが見える。「今日はこれ、星が綺麗に見えるんじゃないですか」と運転手さんが言う。「今日の朝もすごかったですよ。朝の5時頃ね。ちょうど新月だから、よーく見えるはずよ」。タクシーの中からでも、星がはっきり見えている。建物もなければ街灯もないせいだろう。「こういうところはね、星を見るには最高ですよ。バブさえ、バブさえ気をつければね。夜になると、よく道を横断してますよ」

 20分ほど走ると、久しぶりに信号があり、タクシーが止まる。次第に建物が増えてきて、眩しい光が目えてくる。そこは運動公園になっていて、ライトの照らされた野球場があり、10面近くテニスコートが並んでいて、大勢の人がテニスをしている。ジョギングしている人の姿も見える。相変わらず街灯は少ないけれど、道を歩いている人の姿や、自転車に乗ったままアパートの前に佇んで話している学生の姿も見える。ホテルは海の目の前にあった。チェックインの手続きを済ませて、10分後にロビーで待ち合わせとなる。明日は早朝から取材になるので、簡単に荷解きを済ませておく。ロビーに戻ると、撮影をしてくださる写真家のNさんがホテルまで来てくださっていた。Nさんの妻が運転するクルマに乗せてもらって、酒場まで連れて行ってもらう。

 まずはビールで乾杯して、まずは明日の打ち合わせを済ませる。ビールを飲み干すと、泡盛をボトルで注文することになる。石垣の外で泡盛を注文すると、2500円とか3000円するから驚くとNさんが言う。石垣島だと相場は1500円だから、すっかりそれに慣れてしまった、と。ボトルを飲み干したところで、最後に白百合を注文する。タクシーの中で好きな泡盛の銘柄の話になり、白百合が好きだと答えると、とても珍しがられていた。今まであまり意識したことがなかったけれど、白百合は石垣島で作られているらしく、話を聞いていた運転手さんも少し嬉しそうだった。そうか、石垣島のお酒だったのかと感慨深い気持ちになりながら、白百合を飲み干す。