9月15日

 7時過ぎに目を覚ます。すぐにシャワーを浴びて身支度をして、実家の車を走らせ出発する。志和インターから山陽自動車道に入り、東に向けてひた走る。三連休とあって車がたくさん走っている。飛ばしたところで、到着時間はそんなに変わらないだろう。気長に走ろうと思っていると、後方からジグザグに走る車が近づいてきて、時に路側帯まで使いながら追い抜いて去ってゆく。そうやってスーパーボウルのように跳ねながら走行する車を、1時間のあいだに3台も見かけた。何をどうすればあんな運転になるのだろう。「自分が事故に遭うことなんてありえない」と思っているのだろうけれど、そんなに過信できるのはすごいなと思う。

 倉敷ジャンクションから瀬戸中央自動車道に入る。思えば自分の運転で瀬戸大橋を渡るのは初めてだ。児島インターのあたりで、ラ・レインボータワーが見えた。瀬戸大橋を渡るには高速道路を通るしかなく、岡山からドライブにきたのであればともかく、広島や兵庫からドライブにやってきた客が「何か見えるから、ちょっと寄ってみようか」と思うことはないだろうなと思う。それよりも早く瀬戸大橋を渡りたいと思うだろう。考えてみれば当たり前のことで、どうしてそこに巨額の資金を投じてドライブインをオープンさせようと思ったのか、ほんとうに不思議だ。

 双眼鏡のような短いトンネルがあり、その向こうに瀬戸大橋が見えてくる。開通から30年以上が経過し、錆も目に付くけれど、それでも壮観だ。陸地から眺めるのとはまったく違った風景がそこにあり、こんな橋だったのだなあとほとんど感動する。海には小さな漁船がいくつも見える。穏やかな風景だが、完全なる工業地帯になっている島もあり、そのコントラストも印象的である。途中の与島パーキングエリアに立ち寄る。入り口で旗を振っている人たちがおり、周りで佇む人たちが瀬戸大橋を見上げ、スマートフォンを構えている。何だろう、皆既日食でもあるのかと思っていると、瀬戸大橋線の車両が通りかかる。朝ごはんを食べていなかったので、売店をぐるりと眺めて、下津井はたこが名物であるので、地元のものを使っているかは不明だがたこ焼きを買って食べる。

 10時40分に善通寺にたどり着く。車を駐車場に止めて、四国学院大学に行き、藤田貴大作・演出による『mizugiwa/madogiwa』という作品を観る。『mizugiwa』は去年の夏に新潟で、『madogiwa』は今年の7月に京都で、それぞれワークショップに参加した人たちと一緒にクリエイションした作品である。それを、ここ四国学院大学で演劇を学ぶ学生たちとリクリエイションしたものだ。こういった企画の場合、参加者にインタビューしながらクリエイションが進められることもあり、作品の中には善通寺界隈の固有名詞も登場するが、もとは新潟や京都で作られた作品でもあるので、その固有名詞も残っている。僕は『mizugiwa』に関しては現地で観ているせいもあるかもしれないけれど、さまざまな土地の名前が登場することが違和感となるというよりも、むしろ作品を多層的にしていて、「この町に滞在しながら、この町のことを演劇にしました」というスケールを突き抜けているように感じる。

 観ていてハッとさせられたのは、自転車をひっくり返して修理する場面が登場したところ。そのシーンを最初に観たのは、たしか『ヒダリメノヒダ』という作品だった気がする。その作品には、エルトン・ジョンの「Goodbye Yellow Brick Road」が印象的に使われている(そして、それを劇中で歌うのは、『mizugiwa/madogiwa』にマームの俳優として唯一参加している川崎ゆり子だ)。今日、高速道路を走りながらラジオを聴いていると、エルトン・ジョンの「Rocket Man」が流れたこともあり、パーキングエリアに立ち寄ったあとは『Goodbye Yellow Brick Road』を聴きながら走っていたのだ。

 記憶が混線する。今の風景に記憶が重なる。学校の窓について語られる場面で、スクリーンには古ぼけた学校の裏庭が映し出される。そこにはブランコがある。この裏庭を、ぼくは知っている。それは京都の立誠小学校の裏庭であり、今ではもう立ち入ることができなくなってしまった。その映像がどこのものであるかを観客が知っている必要なんてもちろんないのだけれど、どうしてもそこで観た作品のことを思い出してしまう。学校の窓と聞いても、思い浮かぶのは自分の学生時代のことではなく、いつだか目にしたはずの作品の風景ばかりだ。

 終演後、アフタートークを聞いて劇場をあとにする。ロビーに出ると藤田さんの姿があり、中国、よろしくお願いしますと言葉を交わす。気づけばもう一ヶ月後だ。駐車場まで引き返して車に乗り、讃岐うどん屋を目指す。先週の日曜、結婚式で十数年ぶりに再会した人から、善通寺に美味しいお店があると教えてもらっていたので、今日はそこに行こうと決めていた。「香の香」という店の近くにたどり着くと、駐車場に入るために並んでいる車が数台目に留まる。ああ、行列ができる人気店なのか。これは少し待つかもなと思いながら、ほどなくして車を駐車場に止めて、行列の最後尾まで行ってみて驚く。店をぐるりと囲むように列が伸びていたのである。しかし、他に調べていた店もなく、並ぶことにする。1時間ほど待ってようやく入店し、釜揚げうどん(大)とバラ寿司をいただく。うどんはたしかにうまかった。

 食べ終えるとすぐに引き返す。再び瀬戸大橋を渡っていると、正面に鷲羽山ハイランドとせとうち児島ホテル、それにラ・レインボーが見えてくる。こんなふうに正面に見えるとはまったく知らなかった。ドライブインの取材をしているあいだ、何度この土地を訪れたことだろう。あんなに何度も足を運べたのは、『S!』誌の対談連載があったおかげだ。僕が取材で東京を離れていて収録に同席できないときは、音源だけ送ってもらって構成したことも何度もある。その定収入があったおかげで、あんなにあちこち移動し続けることができたのだと、今になって実感する。対談連載が終わったのが2018年の春で、ちょうど『月刊ドライブイン』の最後の号を取材していた時期だ。今でもあちこち出かけたいのに、交通費という壁が大きく立ちはだかる。今日の公演も、先週末まであきらめかけていた。

 途中に福山サービスエリアに立ち寄り、レモンとバニラのミックスソフトを食べる。旅行客で溢れ返っている。ツーリングチームが休憩している。高速道路を走っていると、キャンプ道具を積んだ大型バイクを何台も見かけた。そんなふうに旅に出ている人や、バックパッカーとして海外を旅している人のことを、昔の僕はどこかでバカにしていたんだと思う。たぶん、「若いうちに」と旅に出るのが嫌だったんだと思う。大学生活を謳歌するように駅前でたむろする若者たちも、自分が彼らと同世代だった頃から嫌いだった。でも、今日、キャンプ道具を積んで走る人の姿を見かけるたびに、心の底から「いいね」という気持ちが湧いてきた。普段は職場で仕事をこなし、休みの日を見つけては旅に出る。なんて素晴らしいのだろう。それに比べて、自分の生活はなんと地に足のついていないことか。高速道路を走っていると、「車やバイクを購入して、それを維持できる人がこんなにいるのか!」と、そんな次元で驚いてしまう。

 どういうわけだかお金のことばかり考えている。

 16時半に実家まで帰ってくる。18時過ぎ、夕食。今日はすき焼きである。ビールを2缶飲んで、部屋に上がり、構成仕事をしながら白牡丹を飲んだ。東京のアパートで飲むときはもっぱらチューハイやハイボールだが、実家にいると、一階と往復するのが億劫なのと、酒を飲むことを咎められても億劫なので、常温で飲めるものを飲むことが多い。今回は白牡丹の紙パックを買ってきて、それを飲んでいる。23時に集中力が途切れてしまって、実家の書棚になった志賀直哉の「城の崎にて」を読んだ。