3月8日

 5時過ぎにに目を覚ます。昨日飲んでいたときに約束したのはおぼえているけれど、どこで待ち合わせだったのだろう――夢の中でもそんなことばかり考えていたら、ダイレクトメッセージで待ち合わせ場所を送ってくださっていた。シャワーを浴びて、少しだけ原稿を書き、10時から散歩に出る。昨日はトークイベントが迫っていてじっくり散策できなかった、水道筋、灘中央市場、畑原市場を歩く。「寿し豊」を通りかかると、店頭に持ち帰り用のお寿司が並んでいる。テイクアウトして宿で食べるのも悪くないけれど、宿の雰囲気はお寿司という感じでもない気がする。暖簾が出ていたので、中で食べれますかと尋ねてみると、ちょっと待ってもらいますけど、それでもいいですか?と言っていただき、暖簾をくぐる。

 中はまだ準備の途中だったようで、カウンターの上にラジカセが置かれており、ラジオが流れていた。お店のお母さんはすぐにラジオを止めて、ごめんなさいね、と申し訳なさそうにいう。そのままでもよかったのだけれど、むしろこんな早くに入ってしまって悪いことをしたのではないか。にぎりセットと、それにお酒をつける。しばらくして、奥から大将が出てらして、お寿司を握ってくれる。一貫握るごとに、すーっと、大きく息を吸う。たこと、あとは梅の細巻きが美味しかった。さわやかだった。帰り際、お母さんが「お近くですか?」と尋ねてくれる。いえ、東京からですと伝えて店をあとにしたけれど、「あの人、東京からきて、なんでこんな早い時間からうちにきはったんやろ?」と疑問を残してしまったかもしれないと思ったのは、何時間か経ってからのこと。

 界隈の花屋を4軒めぐり、ようやくミモザを見つけて買い求める。セブンイレブンでホットコーヒーの大きいほうを買って、宿に引き返す。少しだけ仕事をして、灘駅を目指す。駅前で信号待ちをしていると、横断歩道の脇に押しボタンが見えた。押しボタン式の交差点かなと思って近づいてみると、「青信号延長用押しボタン」とある。「横断歩道をゆっくり渡りたい方は下のボタンを押して次の青信号で渡りましょう」。僕が注意深く観察してこなかっただけかもしれないけれど、こんなボタンを見かけたのは今日が初めてだ。青になった横断歩道を駆け足で渡り、12時ちょうどに灘駅に上がってみると、もうH.KさんとEさんがデッキに立っている。まずは「栄食堂」に入る。店内にはテレビがあり、その下には、どこを映しているのだろう、防犯カメラの映像が流れている。

 おかずの棚から揚げシューマイ、玉子焼きとウィンナーの皿を取り、肉吸いと瓶ビールを頼んだ。おかずの棚から取ってきた皿は、店員さんが温めてくれる。Hさんはハムエッグの皿を取り、席につく。いろんな店員さんから、かわるがわるに「温めます?」と声をかけられ、そのたびHさんは断っている。目玉焼きは半熟に仕上がっており、温めてしまうとかたくなってしまうから、そのままで食べている。目玉焼きをごはんの上にのっけてかきこむHさんに、「それ、天国でしかやっちゃ駄目なやつですよ」とEさんが言う。天国に行ったら食べられへんから、今のうちにやっとかなあかんで。そんな言葉が浮かんだけれど、なんだか説教くさいなと思って口にはせず、肉吸いを啜る。

 「栄食堂」を出て引き返す。途中に阪神電車岩屋駅があり、少し歩くと灘駅だ。このあたりには阪神電車とJRと阪急が層を重ねるように走っている――というのは知識として知っているけれど、こうして歩くと、肌感覚でそれを感じる。灘駅を越えて、北側に出る。駅前の広場で、お父さんが投げたボールに、こどもがクリーンヒットを放つ。ヒットを打った子の弟が、打ったら走んないとと兄に急かすが、存在しない塁に向かって走り出すのは照れ臭いのか、兄はバットを手に立ち尽くしている。駅前の広場で野球をしている風景を、初めて目にした気がする。

 数分歩けば、王子動物園にたどり着く。今日は雨の予報だったけれど、もう雨は上がっている。今、王子動物園はコロナウィルスの影響で屋内の施設は閉まっているらしく、一部の動物のみ公開されているらしかった。だからきっと、動物園は閑散としているだろう。今しか目にすることのできない、そんな光景をと、Hさんが「王子動物園に行きましょう」と誘ってくれたのだった。でも、午後から天気が回復した上に、限定公開のため無料で開放されていることもあり、動物園は家族連れで賑わっていた。チベットヒグマが、ぼんやり座り込んだまま、じっと過ごしている。こういう動物の姿を目のあたりにすると、つい擬人化して考えてしまいそうになる。「チベットの広々とした場所にいたのに、こんなふうに連れてこられて、檻に閉じ込められている」。あるいは、「もしも自分が、このクマのように、檻に閉じ込められて一生を終えるとしたら」。放っておくと、そんなふうに勝手に擬人化して考えてしまいかねないので、無心で眺める。ボルネオオランウータンの姿が美しく、それを「ボルネオオランウータン」だと見るのでなく、山の中で突然出会えば、神々しく見えるだろう。

 動物園を歩いているあいだ、縁の真ん中あたりにずっと観覧車が見えていた。それに乗ってみたいとずっと思っていたら、「橋本さんなんか、観覧車が一番好きなんやから」とHさんが言う。観覧車にはもう10年以上乗っていない気がするけれど、ここ1年で読んだ小説に、観覧車に乗る場面が印象深く描かれており、観覧車に乗りたいとずっと思っていた。ただ、ひとりで観覧車のある場所までわざわざ出かけて行って乗るというのは、やっぱり違う気がする――そう思っているうちに時間が流れていたので、乗ることができて嬉しくなる。観覧車にはゴンドラごとに動物の絵が描かれている。どれに乗りたいと思うかをお互いに言い合ってみると、僕はゾウ、Hさんはキリン、Eさんはパンダと、びっくりするほど意見が分かれた。ちょうどめぐってきたゴンドラがゾウだったこともあり、ゾウのゴンドラに乗り込んだ。上から動物園を眺めると、フラミンゴのあたりは梅の花が咲いているように見えた。

 2時間かけて動物園をめぐり、JR線に揺られて須磨を目指す。風景がでこぼこしている。大きな建物がぽこぽこ建っていることもあるけれど、鉄道網がこうして何重かに張り巡らされていたり、高速道路が張り巡らされていたり――ここは昔から人がたくさん暮らしてきた場所なのだと実感する。人が少しずつ集まってきた場所であれば、もう少し計画に沿って街が作られていただろう。でも、ここにはもともとたくさん人が暮らしていて、戦争や震災など、何か起こるたびに(官製の計画とは違った形で)復興が繰り返されて、でこぼこして見える風景になったのだろう。なにかのインタビューで、高田渡が若い聞き手にインタビューを受け、あなたはこの中央線のまっすぐさに何も思わないのかと憤っていたことを思い出す。それとは対照的な風景が車窓に広がっている。そうした風景を行政が慣らそうとしている流れの中で、畑原市場もなくなってしまうのだろう。そんなことを考えていると、Hさんが「あの、赤い看板見えます?」と話しかけてくれる。そこには「三ツ星ベルト」と書かれた赤い看板があった。それは、この地域のランドマークであり、もうすぐなくなってしまう風景であるらしかった。ビルの隙間から、その姿を見つめる。

 須磨に到着すると、駅のセブンイレブン黒ラベルを買い求め、海に出る。山のほうを指しながら、Hさんが説明してくれる話に、途中までそれらしく相槌を打っていたが、「カーレーター」という言葉を聞いた瞬間に文字で触れた世界と今こうして目にしている世界とがばちんとつながり、ああ、ここがここでしたか!となる。海を眺めながら缶ビールを1本飲んで、西に向かって歩く。しばらく歩き、再び砂浜が見えてきたところで、西から陽が射してくる。逆光の中にうかぶふたりの後ろ姿を眺めながら、城石みたいな岩の上を越えてゆく。須磨浦公園駅を通り過ぎて、高台のような場所から海を眺める。すっかり日が傾いており、海面は淡く輝いている。瀬戸内海をじっくり眺めるのはずいぶん久しぶりだが、なんと穏やかな海だろう。波が千々に押し寄せるというのでなく、風にそよぐようにして海面に波紋が広がってゆく。海を眺めながら、ぽつりぽつりとHさんと話す。原稿を書くときのテープ起こしのありかたについて尋ねられ、率直に話す。そのあと、沖縄に住みたくならないんですかと尋ねられ、答えははっきりしているのに、歯切れの悪い答えを返してしまう。言葉に詰まったのは、自分の書いていることと自分の生活とが矛盾しているからだ。僕は、自分の生活というものに、あまり意識を向けられずにいる。取材するのは、いつもわざわざ出かけていった先ばかりだ。

 Eさんとは公園で別れ、Hさんとふたりで引き返す。最短ルートであれば麻耶駅から徒歩になるけど、「せっかくだから坂バスに」とHさんに提案していただき、灘駅前でわたしたちの到着を待ってくれていた坂バスに乗り込んだ。これも文章で触れていた景色で、ここがここでしたか!という気持ち。『ごろごろ、神戸。』の書評で、僕は「これは神戸の魅力を発信する本ではなく、町に対するまなざしについて書かれた本だ」と書いた。その気持ちは今でも変わりない。あの本は、神戸を知る人や神戸に関心ある人だけが読むべきものではなく、“まち”について考えるすべての人が手に取るべきものだと思っている。でも、それとは別に、この本は神戸という町の中で書かれたものだったのだなと、文字通り実感する。

 坂バスに揺られる。よく揺れる。それは、ひとつには、信号が多いからだ。それはつまり、そこにたくさん歩行者がいて、生活の場を走っているということだ。そして、細い路地を抜け、急な坂を上がっているからだろう。いちばん後ろの席に座っているせいか、バスが唸りながら走っていく音がよく聴こえる。かなりの急坂だなと思いながら揺られているうちに、麻耶ケーブル下のバス停にたどり着く。ここが折り返し地点で、今度は坂道を降ってゆく。車窓の風景はほとんど真っ暗だったけれど、司会の先がきらきらっと輝く。夜に坂バスに乗っていると、数秒ではあるけれど、夜景が見えるのだった。満足していると、バスはずんずん坂を下ってゆき、アーケードの中に入り込んでゆく。ここがここでしたかと、心の中で興奮する。ひとりでぶらついていても、この風景をまのあたりにすることはできなかっただろう。

 19時過ぎに西灘文化会館にたどり着く。昨日の謝礼をいただけるというので、受け取りにきたのだ。せっかくだから晩ご飯でもという話になり、4人で近くの鉄板韓国料理店に流れる。話しているうちに、今住んでいる場所を尋ねられ、千駄木ですと答える。その流れで、「昔、『谷根千』って雑誌があったんだけど」と前置きされ、そのやりとりから、昨日は飲み過ぎたのだなと再認識する。昨日はトークの時からひたすら飲んだくれていたから、ただの酔っ払いなってしまっていたのだろう。

 ひとしきりお腹を満たしたところで、商店街の中にあるバーに連れて行ってもらう。Nさんが「うすあげ」と注文し、おかきみたいなフワフワしたお菓子を想像していたら、油揚げの焼いたのが運ばれてくる。「これに大根おろしをのせたやつは、エレベーターて言うんです。“あげ”と“おろし”やから」とNさんが教えてくれた。へええ、そんな呼び方があるのか。少し前に那覇で取材したとき、ある個人商店がいち早くエレベーターを導入したところ、近所の子たちがこぞって乗りにきたという話を思い出す。まだエレベーターが目新しかった時代に、その名前をもじって誰かがつけたのだろう。そしてそれは、「薄揚げに、大根おろしのせて」と何人かが注文していたところから、どこか暇を持て余しながら酒を飲んでいた誰かが頓智を聞かせて「エレベーター」という名前を思いついたのだろう。そして、それを思いつくだけでなく、「これ、エレベーターやな」と実際に口にする――そんな酒場の風景を思い浮かべていると、妙に愛おしくなっている。そうやって想像を勝手に膨らませていることを見透かされたのか、話を聞いていたHさんが、「それ、ほんまです?」と尋ねる。聞けば、神戸ならどこでも通じるかどうかはわからないけれど、少なくともNさんの家庭やごく近い生活圏ではそう呼んでいたということだった。

 飲んでいるうちに、先月末、この近くにある焼き鳥屋「C」での出来事の話になる。先月末に西灘文化会館でイベントを開催されたあと、何人かで「C」を訪れたところ、その夜はDJナイトが開催されていたのだという。爆音で流れる音楽にかき消され、ほとんど会話は通じなかった。そんななかでも、その場にいたひとりが、タバコの煙を吐き出しながら、なにか言葉を発し続けていたのだという。その姿を、Hさんはブログで完璧に書き記していた。その場に居合わせたNさんも、「あれはもう、完璧な表現やった」と振り返る。

 鉄板韓国料理店でマッコリを飲んでいたときにも、この話題になった。

 それにはきっかけがある。

 この日、灘駅で待ち合わせたあと、最初に向かったのは「栄食堂」だったと書いた。そこで食事を終えて、お会計を払っていたときに、店員さんが「学校の先生(と生徒さん)かなにか?」と尋ねてきた。Hさんと僕というおじさん二人組と、まだ19歳であるEさんという並びは、店員さんには不思議に映ったのだろう。その出来事を、マッコリを飲みながら、Hさんは見事に語っていた。僕は正直、店員さんから「学校の先生かなにか?」と聞かれたことはおぼえているけれど、店員さんがそうやって質問してくるまでにどんな時間が流れていたのか、気づいていなかった。自分が食べた料理が何円分になるのか、計算するので頭が一杯になっていたのだ。それをしっかりとおぼえていて、再現する姿に、はえーー、と思いながら神戸ハイボールを飲んだ。

 海を眺めながら、公園で話したことを思い出す。原稿を書くとき、僕は基本的にテープ起こしを頼りにしている。取材するときはいつもテープをまわして、それを克明に起こし、それを手掛かりに原稿を書く。もちろん現場でメモすることや、記憶に残っていることだってあるけれど、大きな割合を占めるのはテープ起こしだ。そうすると、どうしても自分の記憶よりもテープに頼りがちになり、風景を自分でわしっと掴み取る筋力は衰えてしまう。そのことを痛感する。そして自分が何円の皿を持ってきたのか、きちんとおぼえておこうと誓う。

 ハイボールを2杯飲んだところで店を出た。ふたりは僕を宿まで送り届けてくださる。宿までたどり着いたところで、Hさんが、「これ、タブロイド」と封筒を差し出してくれる。今朝からずっと、ミモザをどうしようかと迷い続けていた。今日はミモザの日だ。より正確に書けば、今日は国際女性デーである。戦後イタリアでは、貧しい人でも手に入れられるようにと、あちこちに自生しているミモザを女性に贈るようになった。それを知ったのは、ちょうど1年前のこと。マームとジプシーに同行してフィレンツェに滞在制作していたとき、いろんな店にミモザが並んでいるのを目にした。それをイタリアの皆に尋ねたところ、3月8日がミモザの日だと教えてもらったのだ。それで去年は、ミモザの花束を買い求め、女性楽屋に差し入れたのだった。

 それで今年もミモザを探し、朝のうちに買い求めたのだ。買ったミモザは、ゲストハウスのキッチンに起き、マグカップに水を注いで保存してあった。ミモザを買ったときから、Hさんに手渡そうかと思っていた。Hさんは女性ではないけれど、それを家に持ち帰って家族に手渡せば、結果的にはHさんが女性に贈ることになるだろう。いや、そんな理由づけはさておき、今日こうしていろんな神戸の風景を見せてくれたお礼に、手渡したいと思っていた。もしかしたら「邪魔くさい」と言われてしまうかもしれないなとも思ったけれど、ゲストハウスからミモザの花を取ってきて、Hさんに手渡す。誰かからもらったものを、やり場に困ったから押し付けようとしているのではなく、今日の朝に探して買っていたのだと伝えると、Hさんは喜んで受け取ってくれた。


f:id:hashimototomofumi:20200309172707j:plain

 ゲストハウスの前でふたりと別れる。ほんとうは少し時間をおいて缶チューハイでも買いに出るつもりでいたけれど、なんだか今日はすっかり満ち足りた気持ちになり、そのまま布団に潜り込んだ。