3月10日

 6時過ぎに目を覚ます。喉が乾いているけれど、外に出るのが億劫で、寝転んだままケータイばかりいじってしまう。部屋を出るのは億劫だ。これはどこにいても変わらない。たまに「フットワークが軽い」と言われるけれど、部屋から外に出る億劫さという点で言えば、近所のコンビニに出かけるのも、こうして京都まで足を運ぶのも、さほど変わりのないことだ。シャワーを浴びて、9時になってようやくセブンイレブンに出かける。好みのサンドウィッチがなく、悩んだ末にレタスサンドを選び、ホットコーヒーの大きいほうを淹れて宿に戻る。ひと手間が面倒で、蓋をせずに持ち帰ったが、蓋なしだと口のところが歪み、こぼれやすくなることに気づく。

 しばらく原稿を書いて、11時にチェックアウト。京都駅前の宿に荷物を預かってもらって、地下鉄で烏丸御池へ。今日取材するお店に伺い、「オススメ」とある料理と、それに瓶ビールを頼んだ。会計のとき、今日取材させてもらう橋本倫史と申します、酔いをさましてまたお邪魔しますと告げ、店を出る。近くのスターバックスコーヒーに入り、ドリッピコーヒーを飲みながら原稿を書く。あまり捗らなかった。13時半、「大垣書店」(京都四条店)で編集者のAさんと待ち合わせ。エスカレーターのところに福島を題材とした映画のポスターやらが貼られているのを目にしたAさんが「クソ映画」と口にする。

 近くの「MOS CAFE」に入り、取材の打ち合わせ。14時50分、「そろそろいこか」ということで、取材先のお店を再訪する。たっぷり90分もお邪魔してしまった。本来は通し営業をされているお店だが、取材が始まってほどなくして、「準備中」の札を出してくださっていることに気づく。あまり長く話を聞くのも申し訳ないけれど、おひとりだけでなく、何人かにとなると、どうしても時間が過ぎてしまう。取材後、さきほどとは別の「大垣書店」(京都本店)に入り、店内にある居酒屋のようなスペースで乾杯。打ち合わせのときもそうだったが、やはり坪内さんの話になる。「あれから考えててんけど、坪内さんって絶対振り返らんかったよな」とAさんが言う。言われてみれば、坪内さんが振り返る姿というのは一度も見たことがないかもしれない。またねと別れると、いつもすたすたと歩いていた。「最近になってようやく、坪内さんが夢に出てくるようになった」ともAさんは言った。

 しばらく話して行きたいところだけど、絶対に今日のうちに『本の雑誌』を手に入れたかった。今日が取次搬入日だから、ほとんどの書店には明日以降しか並ばないだろう。でも、坪内さんの追悼特集号とあれば、一刻も早く手に入れたかった。本の雑誌社があるのは神保町だから、「東京堂書店」にはいち早く並ぶのではないか――そうアタリをつけていた18時08分発ののぞみ248号に乗り、20時23分に東京駅にたどり着けば、スーツケースを抱えて地下鉄を乗り継いでも閉店時刻に間に合うだろう。そこで2冊買って、追悼文の中で名前を出した新宿の「F」と「N」に届けに行こう。今日は火曜日だから、「N」には原稿で触れたKさんもいるはずだ。

 もらっていた回数券を指定席券に替え、缶ビールと赤ワインのミニボトル、それに柿の葉寿司を買い求める。エスカレーターでホームに上がってみると、出発までもう少し余裕があるはずだったのに、すでにN700系の車両が停まっている。慌ててホームを走り、13号車の扉まで移動して、新幹線に飛び乗る。びっくりするほど空いていて、13号車には8人しか乗車していなかった。指定された席に座り、パソコンを広げて原稿を書きながら、柿の葉寿司を平らげる。すると、「まもなく、米原です」とアナウンスが流れる。米原に停まるのぞみなんてあったのかと思っていると、僕が乗っていたのは18時08分発ののぞみ248号ではなく、18時05分発のこだま678号だった。こだまと言えば車両から違っていると思い込んでいたので、まったく気づかなかった。

 慌てて乗り換えの接続を調べる。名古屋駅でのぞみに乗り換えれば、20時40分過ぎには東京駅に到着できるらしかった。出費はかさんでしまうけれど、東京駅でタクシーに乗れば、ギリギリ閉店時刻に間に合うだろう――そこまで考えたところで、はたして本当に入荷しているのだろうかと不安になってくる。東京堂書店に電話で問い合わせてみると、案の定というのか、「まだ3月号しか在庫がございません」とのことだった。今日のうちに読むことはできなかった。そんなことばかり考えていたせいか、東京駅の丸の内側に出るべきところを八重洲口側に出てしまって、東京駅を散々彷徨い歩く。