3月13日

 5時過ぎに起きる。ケータイを眺めていると、法務大臣の答弁の動画が流れてくる。他の日なら許されるわけではないけれど、よりによって3月11日にこんな答弁をする人が政治家だということに動揺する。プロフィールを調べて、いわき出身だと知り、さらに驚く。政治家の言葉には常にある種の嘘くささが漂うものだと思うけれど、そういうレベルではなく、言葉が言葉として成立していない。言葉で有権者に語りかける仕事であるはずなのに、言葉がこんなに空疎なのはどういうことだろう。空疎という次元を通り抜けて、言葉が崩壊している。

 コーヒーを淹れて、冷えた茹で玉子を平らげ、テープ起こしを進める。10時半、スーツケースを転がしてアパートを出る。荷物を抱えているせいかGoogleマップが表示した時間では乗り換えられず、5分ほど遅れてしまう。スーツケースを担いで階段を駆け上がり、1a出口に出てみると、きらきら光るニットを身に纏った友人のA.Iさんが立っている。そこにいるのはAさんだけで、F.Yさんの姿は見えなかった。間違えて飯田橋駅のa1出口で待っていたらしく、急いでこちらに向かっているようだった。今日は江戸川公園でAさんとYさんの対談を収録する。せっかくだからコーヒーでも買って待ちましょうかという話になる。Yさんってコーヒー飲むっけ、とAさんに尋ねられ、いや、飲まないと思うから紅茶にしておきましょうと答える。

 僕がYさんと話すようになったのは、去年の1月下旬、Aさんの写真撮影に同行したことがきっかけだった。Aさんが共著を出すにあたり、沖縄で写真を撮ることになって、その現場にスタイリングでかかわっていたのがYさんだった。撮影の翌日、3人で沖縄をあちこち車で巡っているうちにぽつぽつ言葉を交わし、それがきっかけとなり、昨年6月から月に1回のペースでYさんのお仕事に関する取材を続けてきた。そうして時間を重ねているうちに、いつのまにかコーヒーよりも紅茶派だなんてことまで知っていたのだなと思う。年をまたいで続けてきた取材も、今日が最終回だ。江戸川公園のベンチに座り、お茶を飲みながらふたりに話を伺う。最後に撮影をとなったとき、Yさんはベンチに座ったままなので、AさんとYさん、ふたりのカットじゃなくていいんですかと確認すると、Yさんはきっぱりと「はい」と言う。

 取材を終えて、電車を待つあいだ、江戸川橋駅のホームでYさんと少し話す。Yさんが僕のことを認識するより少し前から、僕はYさんのことを認識していた。Yさんが衣装として携わる作品の現場を取材していて、ひっそりとその場に居合わせながら、Yさんが衣装のプランを修していく様を見ていた。Yさんも、自分が関わる作品のドキュメントを書いてくれている人がいるとは知っていたけれど、はじめて「この人が橋本さんか」と認識したのは、去年の沖縄での撮影のときだという。こんなふうに長い時間をかけて沖縄で取材したり、撮影があるとなれば運転手役を買って出てくれたり、一体どういう人なんだろう――そう思っていたところに、車の運転を終えた瞬間に一瞬姿がなくなったと思っていたら、すぐに缶ビールを手に戻ってきて、「あ、変な人だ」と思ったとYさんは笑っていた。

 京成上野駅からスカイライナーに乗り、成田空港を目指す。僕が乗っていた車両には、他に3人しか乗客がいなかった。でも、いざジェットスターの便に乗り込んでみると、ほとんど満席に近い状態である。子供連れの外国人観光客も、僕の隣に乗ったガタイのいい外国人の男性も、消毒用のジェルを取り出して手を拭いている。飛行機が飛び立ってしばらくして、ポーンと音が鳴りベルト着用サインが消えたところでテーブルを出し、コンビニで買っておいたかしわにぎり2個と唐揚げとウィンナーのセットを箸でもそもそ食べる。食べ終えて、レジ袋にまとめていると、誰かが飲み終えたコーヒーの紙カップを手にしたキャビンアテンダントが歩いてくる。僕のゴミも処分してもらおうと差し出すと、キャビンアテンダントは立ち止まり、青い手袋をはめて僕が差し出した袋を受け取った。