3月30日

 夢を見た。朝になって目を覚ますと、口の中に異物感がある。ぺっと吐き出してみると、陶器の破片が口から出てくる。沖縄のやちむんの破片だ。口をゆすぐと、次から次へと灯器の破片が出てくる。枕元に置いてあったはずの陶器がなくなっていて、どういうわけだか、それを食べてしまっていたらしかった――という夢である。この夢を定期的に見ている。

 7時過ぎに起きると、テレビでは土日の東京の様子をリポートしている。そして、自宅で退屈をまぎらす人たちの動画や、家の中で楽しく過ごすためのグッズを紹介している。この国のテレビは、この明るさを手放せずにいる。現実を直視しなくて済むように、内容としても、物理的な照明としても、底抜けに明るい。

 10時近くになって志村けんの訃報が飛び込んでくる。ハリセンボンの春菜が涙を流し、言葉を失っている(こう書いていて気づいたけれど、観ないと誓った『スッキリ!!』にチャンネルを合わせてしまっていた)。『スッキリ!!』が終わると、『バゲット』が始まる。冒頭に志村けんの訃報を速報として伝えると、当初予定されていたのであろう明るい企画に移ってゆく。人が死んだのだから喪に服せと言いたいわけではなく、どうしてこんなに明るくしようとするのだろう。たとえば10年前のバラエティ番組の映像が流れると、スタジオが暗く見えて驚くことがある。それはつまり、画面がどんどん明るくなっているということだ。

 10時半にアパートを出て、「青いカバ」へ。昨日までは外出自粛要請が出ていて、今日は自粛が求められていない日だ。それは一体どういうことなのだろう。行政を批判するためにこう書いているのではなく、ほんとうにその線引きの意味が理解できずにいる。曜日とは無縁に生きている僕からすると、どうしてそこに線が引かれるのか、わからない。11時過ぎに到着して、21時の閉店時間まで滞在する。

 途中、「ロックダウンが発表されるのでは」という情報が舞い込んでくる。それからしばらく経って、20時から小池都知事が緊急会見と正式に報じられる。いよいよ、都市封鎖なんて事態が到来してしまう。不思議と「そんな東京を目のあたりにするのか」と、どこか高揚した気持ちになっている。20時になると記者会見を配信するYouTubeのアカウントにアクセスして、会見が始まるのを待つ。30分遅れて始まった記者会見に、心底がっかりする。ロックダウンを決断したとばかり思い込んでいて、「やればできるじゃないか」という気持ちになっていたけれど、結局のところまたしても「自粛」を要請するだけの内容に、心底がっかりした。

 21時に店を出て、差し入れでもらった缶ビールを手に、染井霊園まで歩く。桜の名所として名前は知っていたけれど、上京20年目にして初めて訪れる場所だ。霊園だから当たり前なのだけれども、自粛を要請されなくたって、特に花見ができるようなスペースは存在しなかった。すっかり散ってしまっているかと思っていたけれど、思いのほか花は残っていた。夜桜を見物する人の姿はどこにも見当たらなかった。『消しゴム山』に繰り返し登場する、「観客はいなかった」という言葉がよみがえってくる。霊園で桜が咲き誇っている、そこに観客はいなかった。