4月18日

 7時過ぎに起きて、コーヒーを淹れる。たまごかけごはんを食べて、パソコンでカメラのレンズを調べる。あっという間に1時間以上が経過している。もうすっかり給付金をもらったつもりでいる。カメラの機材で使い切るくらいの気持ちになってしまっていたけれど、はたと立ち止まる。非課税の給付金が入るのであれば、せめて自分がよく足を運んできた店でポーンと気前よく飲み食いしたり、買い物したりするべきではないか――と。どうしてこんなふうに思い悩むことになったのだろう。そもそもまだ何のお金も手にしていないというのに。

 『王様のブランチ』、先週はラーメン屋巡りのルポが流れており、心のどこかで「このご時世に」と思ってしまっていたが、今日はテイクアウトのお弁当を紹介している。あいかわらずスタジオの出演者は少なく、リモート出演が多数を占める。一体どういう会議が行われたのか、タレントに混じって「視聴者ゲスト」もリモート出演中だ。昼、知人にサバ缶とトマト缶を使ったパスタを作ってもらい、ビールを飲みながら平らげる。今日は原稿は書かずに、企画「R」に向けた読書。最初は神保町から九段下というルートだけのつもりだったが、そこにふとした思いつきで「不忍池を出発点にしよう」と決めたところから、あれこれ資料を読み進めるうちに、これは完璧なルート設定だったのではと思えてくる。

 14時過ぎ、「晴れてきた!」と、半分くらい眠っていた知人が言う。今日は一日中激しい雨が降ると聞いていたのだが、雨の音はあまり聴こえてこなかった。夕方頃になって、中野のバー「BRICK」が閉店するのだと情報が流れてくる。僕はふだん、誰かに案内してもらったお店か、生活の動線の中にあるお店しか滅多に行かないから、名前は知っていたけれど、一度も訪れたことはなかった。閉店を惜しむ声がタイムラインに浮かんでは通り過ぎてゆく。一度も行けなかったけど、きっと良い店だったのだろう。僕の中にも惜しむ気持ちがないわけではないけれど、「だから、そういうことだよ」と声がする。これはコロナとは無関係に、そういう世界にいるのだ。

 「ささま書店」が閉店すると発表されたときにも、「だから、そういうことだよ」という声を聴いた。「ささま書店」は、コロナ以前から閉店を決めていたという。「良い店だったのに」と惜しまれながら閉店していく店は山のようにある。でもそれは、やむを得ぬ事情の場合もあるだろうけれど、わたしたちが生活の中で無意識のうちにおこなっている日々の選択の果てに閉店がある。その事実を受け止めなければならないし、外出自粛はそれを加速させる。50万なり100万なりの補助金は、ないよりはあったほうがよいだろう。でも、それだっておそらく焼け石に水で、すごもりの日々というのはきっと、わたしたちの行動を変えてしまう。ぼくだって、今月に入ってから財布の中身の減りが遅く、それはきっと酒場に出かけていないからだ。それに気づいたとき、「そうか、飲み歩かなければ他のことにお金がまわせるんだな」と、そう思ってしまった。自分の意識の変化に、せめて自覚的でなければと思う。

 5冊くらいを拾い読みするうちに日が暮れる。いや、これは良い着眼点だったのう、さすがやな、と知人に言う。知人が「ああそう」としか返さないとわかった上で言ったのだが、思った通り「ああそう」と返ってくる。夜は餃子を焼き、ししゃもを焼き、きんぴらごぼうを作って晩酌。いくつかドラマを観たのち、『戦場のメリークリスマス』を観る。ロレンスが日本で見た雪の思い出を語ったあと、ヨノイが「あの日も雪だった」と語り出す。ああ、二二六事件の日か。僕がそうつぶやくと、少しの間があって、ヨノイが「知らないのか? 1936年の2月26日」と続ける。さすが政治学科やのう、と知人が面白がる。

 映画を観るといっても、酒を飲みながら、そうやって一時停止してアレコレ話したり、お代わりを継ぎにいくたび一時停止したりする。だから2時間の映画でも観終えるまでに3時間ぐらいかかるし、それだけの時間があればすっかり酔っ払うので、日記を書いている翌日には細部の記憶が消えている。ただ、途中で「ああ、これは西洋にとっての神と、日本のカミの違いってことやな」とつぶやいたことはおぼえている。「ロレンスは『神の前では罪は隠せない』という信仰があるけれど、日本にはそういう絶対的な神がいないから、その違いがここに出てんだな」と。それはビートたけし演じるハラがお経をあげている場面だった。自殺した兵士には恩給がおりないから、戦士として扱う、これはそのための儀式だと、ヨノイがロレンスに説明する。

 ロレンスは、同じような理屈で処刑されそうになっているところだった。「つまり罪は必ず罰されねばならず、それで私が死刑に? 誰でもいいのか?」そう詰め寄るロレンスに、ヨノイは「イエス」とだけ答え、祭壇に向き直る。そうだよなあ、日本はこうやって空疎に秩序を守ろうとしたんだよなと、今という時代のことを頭によぎらせながらつぶやく。すると、ロレンスは笑いだし、「(私は)死んで君の秩序を守るのだ」と語る。おんなじこと言いよるで、と知人が言う。知人は「キリスト教を信じる気持ちがマジでわからん」とも言った。しかし、そう語る知人は、地蔵を見かけると手を合わせるし、生理のあいだは神社の境内を歩こうとしないのだった。