4月26日

 8時過ぎに目を覚ます。昨晩は酒を飲んだぶん、昨日の朝に比べると身体が重く感じる。どうしても「ほどほどに」といかず、寝る間際まで飲んでしまうから、目を覚ますと枕元に飲みかけのハイボールが残っている有様だ。昨晩使った食器を洗い、コーヒーを淹れ、炊飯器にスイッチを入れる。朝はたまごかけごはんを、昼はレトルトカレーを食べた。最近はセブンイレブンのほとんど具のないカレーばかり食べていたけれど、しばらく前に近くの八百屋で買ってあったゴールデンカレーを温めてみると、そこそこのボリュームで肉が入っていて驚く。セブンイレブンレトルトカレーは100円、ゴールデンカレーは200円ちょっとする。

 岡村隆史のラジオでの発言が炎上しているらしかった。今我慢していれば、コロナの影響でお金がなくなった(これまでは風俗で働いていなかったような容貌の)女性が短期間だけ働くはずだから、そのときを心の支えに今は歯を食いしばって我慢しよう――ラジオの音源を聴いてみると、そんな発言だった。これは、風俗に行けなくなってダッチワイフを買ってしまいそうになっているという投稿に対する返答だ。そして、さらに少し前には、トイレで遭遇したスタッフに「いつになったら風俗行けるようになるんですかねえ」と声をかけられたというエピソードも披露されていた。

 たしかに岡村隆史の発言は、貧困に追いやられている女性への配慮や、そうした女性が風俗業に追い込まれてしまう構造に対する問題意識は皆無である。ただ、風俗に行くことだけを楽しみに生きている人がいたとして、この状況で暴発してしまいそうな人がいたとすれば、その人に寄り添うような言葉を発したいと思ったのかもしれない。もちろん、それによって発言が正当性を帯びるわけではなく、もっと誰のことも損わずに済む言いようが絶対にあるはずだから、批判はもっともだと思う一方で、この状況で何かを溜め込み続けている誰かがきっといるのだろう。ぼくは風俗店を利用したことがなく、風俗店に通う人の気持ちはわからないけれど、それをかすかな楽しみとして生きてきた誰かのことを、ラジオを聴きながら少し想像する。

 今日は通販で注文したマスクが届く日だ。15時過ぎてもチャイムが鳴らず、本当に今日届くのだろうかと伝票番号を検索すると、「配達済み」と表示されている。郵便受けに投函されたようだ。すぐに取り出してみると、なんだか思っていたよりずっと薄いマスクが入っている。これが1枚1250円かと思うも、少しにおいが気になるので、まずは洗濯しておく。使い捨てマスクを1枚消費して、散歩に出る。「往来堂書店」は大いに賑わっており、少し入店を躊躇する。

 マスクをせず、談笑しながら棚を眺めているカップルがいる。こういうとき、面倒な気持ちになる。「この状況なのに非常識だ」と、もちろん思いはするけれど、この状況でなくとも「本屋でそんなにしゃべることあるか?」と思っていただろう。そこで不快に感じるということは、あくまで快/不快という個人的な感覚で、ぼくはあくまで個人的な感覚で憤ったりなんだりしていたいのに、そこに常識だ衛生だという、それらしいまっとうさが付随してくるのが煩わしく感じる。あくまで勝手な理屈として、個人的に、憤っていたいのに。

 棚には『逝きし世の面影』が並んでいた。企画「R」に向けて、いつか読んでおかなければならない気がずっとしている本だ。実家に送り返した段ボールのどこかに入っているはずだが、親に探し出してもらうわけにもいかないだろう。ぱらぱらとめくってみると、「いつか」ではなく「今」読む必要があると判断して、買い求める。帰りに「ベーカリーミウラ」に寄ってみると、棚がからっぽになっている。ぼくの頭を目にした店主のTさんが「どうしたんすか、心を入れ替えることにしたんですか」と言う。Tさんもバリカンを買ったばかりだということで、坊主仲間を増やしていきましょうよと笑っていた。

 17時過ぎ、ドーナツを食べる。あるウェブサイトで、QJWebの記事が紹介されている。その見出しに違和感をおぼえる。その見出しだけだと、まるで今このタイミングで沖縄を訪れているかのように読めてしまう。ドーナツを食べたあとで、しばらく読書に戻っていたのだが、やはり気になってもう一度検索する。すると、やはり「え、今くる?」とコメントがついている。その記事は、Yahooニュースにも配信されていたのだった。すぐに制作のふたりにLINEを送り、やりとりして、記事のタイトルを変更してもらう。その見出しのせいで、何かが損なわれてしまうのではないかと、ずっと不安な気持ちでいる。

 今日は晩酌を控えることにして、代わりに炭酸水にポッカレモン100を垂らして飲んだ。今日は知人も禁酒している。昨日の残りのコールスローと、餃子、それにウィンナーともやしの炒め物をツマミながら、再放送された『独占告白 渡辺恒雄~戦後政治はこうして作られた 昭和編』を観た。とても面白かった。この人物の特異性は、やはり東大細胞にいたところが大きく影響しているのではないかと感じる。普通にジャーナリストを志した人間であれば、そこまで権力に入り込めないだろう。入り込んだとして、そこで目にした情報をジャーナリズム精神に基づいて書いてしまうだろう。あるいは、戦後政治の有象無象に触れた人たちは、ある種の大河ドラマのようにしてそのダイナミズムを描こうとしてしまう。でも、渡辺恒雄は権力に食い込みながらも、観察者として分析し、そのメカニズムを見つめようとしている。平成編のオンエアも楽しみだ。