5月1日

 7時半に目を覚ます。なんだか疲れが溜まっている気がするので、ジョギングは控えておく。ずいぶん天気が良いようで、部屋の中はいつもより明るく感じる。今日から5月か。そう思うと、昨日までとは全然違うところを生きているような心地になってくる。「今、できることを取材しておかなければ」という気持ちがむくむくと湧き上がってくる。「緊急事態宣言が延長されそうだ」と報じられていることも関係しているのかもしれない。もしも緊急事態宣言が取り下げられても、ワクチンが行き渡らない限り、元通りに生活できるわけではないだろう。だとすれば先は長く、今のうちから適切な形で取材する方法を考えなければと思うに至る。そもそも宣言は政府が判断するものであり、それがどのような政府であれ、取材の可否を政府に左右されるつもりはない。

 今後の生活を考えれば、適切な距離を保ったまま会話ができるかどうかが問題になるだろう。2メートルも離れれば、ぼくの声は確実に届かないはずだ。だからといって大声を出そうとすれば、飛沫を飛ばすことになり、感染リスクを拡大してしまう。なにか良いツールはないかと調べていくと、マイクのついたヘッドセットと、首からぶら下げられるポータブルスピーカーがセットになったものを見つける。これならボソボソ声でしゃべっていても、距離を保ったまま会話ができそうだ。しかし、こちら側の声は伝えられても、相手に大声を出してもらう必要が出てくる。

 なにかこう、置き型トランシーバーのようなものはないか。ボタンを押しながら会話するトランシーバーでは、「相手が持ってきたトランシーバーに顔を近づける」というのはリスクに繋がるだろう。置き型トランシーバーみたいなものがあれば、距離を保ったまま会話ができるのに――あれこれ考えた結果として、けっ、と思いながら横目に見てきたZOOMに行き着く。自分のパソコンと、iPhoneとにそれぞれインストールして、2台を繋いでみる。iPhoneを知人の枕元に置き、パソコンを持ってキッチンに出て、会話してみる。これで十分繋げそうだ。「東京の古本屋」の企画も思い浮かんで、まずは編集者のTさんに勢いのままメールを送信する。

 テーブルには昨日食べたプロ野球チップスのカードが置かれたままだ。昨日はロペスと近藤健介、後者はタイトルホルダーだからか加工入りのカードだ。午前中のうちにTさんから「ぜひ」と返信があり、今度は取材依頼の文面を考える。あっという間に午前中は過ぎてゆく。買い物に出るのが億劫で、今日もレトルトカレーで済ませてしまう。午後は企画「R」の原稿をチビチビ書いた。明日こそ食パンが食べたいと、「ベーカリーミウラ」に電話をかけ、食パンを予約しておく。

 15時半になって散歩に出て、まずは「ベーカリーミウラ」を目指す。ほとんど棚は空になっていたけれど、オリーブのパンが2個あったので、食パンと一緒に買い求める。「往来堂書店」をのぞき、スーパーで食材を買っておく。知人から「バターを見つけたら買っておいて欲しい。マーガリンじゃなかったら銘柄は何でもいい」と言われていたが、なるほどマーガリンしか棚には残っていなかった。帰り道、アパートの近くにある八百屋にも立ち寄ってみると、そこにはバターがあったので買っておく。会計をしてもらっていると、「3、4、5、6休みます」と書かれており、慌てて追加で買い物をしておく。

 アパートに戻ってテレビをつけると、専門家会議のなんだかの記者会見が中継されていた。画面の上段にはニューステロップが流れ続けており、持続化給付金の申請開始と表示されていた。あ、もう始まっていたのか。急いで調べてみると、必要な書類の一つに「2019年の確定申告書」とあり、そこには「税務署の受領印が必要」とある。確定申告をするとき、数字をまとめるところまでは自分でやっていたのだが、書類に記入するのがどうにも自信がなく、その手続きだけ知人に任せていた。そして「このまま郵送すればいい」と言われるがままに、郵送で手続きを済ませていたので、控えに受領印は押されていなかった。どうするんやこれ、お金もらわれんやんと八つ当たりのLINEを送る。調べてみると、納税証明書を入手すれば代用できると知り、オンラインで納税証明書の申請手続きをする。それだけでどっとくたびれてしまった。

 時刻は18時過ぎ、もう日が暮れているけれど、原稿をもう少し進めておきたいところ。今日は晩酌の支度をすべて知人に委ねて、12000字まで書き進める。明日か、明後日にはひとまず書き終えられそうだ。20時、鮭の塩麹漬けを焼いたもの、明太子入りポテトサラダ、それにコールスローの残りで晩酌。先週再放送されていたBS1スペシャル『独裁者ヒトラー 演説の魔力』を観た。

 ナチス関係のドキュメンタリーを観るたびに、当時を語る老人たちの生き生きとした表情に圧倒される。ナチスを立ち上げてしばらくは「ユダヤ」という言葉が演説に頻出していたのに、政権奪取に向けて支持基盤を拡大するにあたり、いちど「ユダヤ」と演説で言わなくなったというのが印象深かった。しかし、政権につくと敵が必要となったのだろう、「ユダヤ」と「共産主義者」という言葉が頻出するようになったという。

 今回のドキュメンタリーを観ていて気づかされたのは、晩年の演説――ドイツが爆撃され敗戦が濃厚となった頃の演説――では、かつてあれほど身振りを交えて力強く演説していたヒトラーが、机に手を置いたまま原稿丸読みの演説を行なっていたこと。そもそもヒトラーの演説の回数は減り、ゲッベルスが演説をする機会が増えていたという。番組の終盤で、5月1日にデーニッツヒトラーの後継者に指名されたと字幕が表示される。

 番組を観ながら、思わず写真に収めた場面がある。それは、ヒトラーが演説で「国の再建には国民ひとりひとりの努力が必要」と国民に呼びかける場面だ。即座に、昨日の『news every.』で「努力」が呼びかけられたことを想起する。今日の番組冒頭では、東京都の感染者数がグンと増えたことを受け、「街中の様子が、少しやわらかく、ゆるんでいるようにも見えました」と語っていた。こうして書き連ねているのは、ナチスになぞらえたくて書いているわけではなく、その言葉選びがニュースキャスターとしてはあまりにも感覚的であり(街の様子がやわらかいとは何だろう?)、そしてそれがポジティブなこととして称賛されつつある空気に違和感をおぼえているからだ。