5月6日
10時過ぎまで寝てしまった。今日はずっと天気が悪いようだ。昼、知人にサバ缶とトマト缶のパスタを作ってもらう。午後、風呂に湯を張り、夏目漱石『こころ』を熟読する。久しぶりに湯に使ったことだし、あかすりグローブで垢を落とす。知人を呼んで、背中を擦ってもらう。2時間近く風呂に入っていた。風呂上りにもうビールを飲んでしまいたくなったけれど、しばらく我慢して、写真の整理をする。パソコンの中に入っていた写真の整理は終えたので、いよいよ外付けハードディスクの整理に取りかかる。古いものでも2004年くらいのものだけれども、ずいぶん懐かしく感じる。その写真を撮っている誰かは、今のぼくとはわりと感覚が違っている。今のようにならずに、まったく違った性質のぼくが2020年に存在していた可能性もあるのだなと、ぼんやり眺める。
アメミルによれば、17時過ぎに雨雲は途切れるはずだったのに、17時を過ぎるとむしろ音を立てて雨が降り始める。それでも小康状態になったタイミングを狙って、皿を手にして「たこ忠」へと向かう。今日は『有吉の壁2時間SP』があるので、刺身をツマミながら観るのを楽しみにしていた。だが、雨で早仕舞いしたのか「たこ忠」には準備中の札が掲げられていた。落ち込みながら引き返し、知人の作った塩豚と青梗菜の炒め物をツマミながら、『有吉の壁』を観た。半分以上は総集編だ。こういう状況だから仕方がないんだと自分に言い聞かせながら観る。
放送が終わると、昨日からの流れで、Netflixで『タクシードライバー』を観る。最後に観たのは10年以上前か。主人公の行動を肯定はできないけれど、どこか彼なりの正義を貫こうとした――そういう物語だったように記憶していたが、誰かとことばを交わそうとすることを諦めた男が、ひとりで階段を踏み外した挙句、頼まれてもなければそれを実行するだけの恨みもないのに人を殺し、女の子を「解放」するだけの話だった。最後に読み上げられる、少女の両親からの手紙のことを、前はあまり気にかけていなかったのだろうか。その少女が、抜け出したかったはずの家庭に押し戻されたことに、後味の悪さだけが残る。
プロ野球チップスは藤川球児と荻野貴司が出た。藤川、まだ現役だったのか。連休なんて関係ない生活をしているのに、「今日は連休最終日だから、ひとり一袋ずつ食べよう」と言い訳をつけて、2袋目も開ける。そんなことをした罰があたったのか、その袋に入っていたのは2枚ともダブりのカードだった。
以下、整理していて目に留まった写真たち。最初の3枚は2003年のもので、あとは2004年から2005年にかけて。
コンポがあったというのが遠い昔という感じがする。時計とレンジは今も部屋にある。
同じ高校出身で、別の大学に進んだものの同じく上京した友人がいた。
その友人とはよく遊んでいて、その友人の地元である江田島を訪れたときの一枚。
相手が多忙を極める仕事に就いたこともあり、10年以上連絡を取っていないけど、元気だろうか。
北海道を訪れて、屋台でじゃがバターを買ったのだろう。今ならきっと買わない気がする。
原付を買った記念に。
上京して最初に住んだアパートへと続く道。高田馬場のさかえ通りの、その先。
まだMYCITYだ。
万定フルーツパーラーはどういう経緯で知ったんだっけか。
ほぼ同じ時間帯に撮った写真から推察すると、東大前の浄心寺であるようだ。
「万定」に行ったついでに、桜が綺麗だと立ち寄ったのだろうか。
今住んでいるアパートから徒歩数分の場所に訪れたことがあったなんて、まったく記憶になかった。
根津神社、これも訪れた記憶が消えていた。
これも今や近所、根津のあいぞめ大通り。酒屋は今やリニューアルして外観が変わっている。
隅田川。
靖国神社。
そう、こんなふうにブルーシートを広げる場所があったのに。
「お金をかけずに、腹を膨らませよう」と思って生きていたのだろう。
都度作るのも面倒だからと、こうしてホットケーキをまとめ焼きしていた記憶がある。
しかし、どうしてこんな写真を撮ったのか。左の白い皿以外はもう残っていない。
これも、なんでこんな写真を撮ったんだろう。
エンタの神様が懐かしい。テレビが録画できるパソコンだ。
実家の押し入れを整理していたときに撮ったのだろう。
高校時代に鈴木あみが好きで、ヤンキーの同級生が「取ってきてやったぞ!」とプレゼントしてくれた。
元気にしてるだろうか。
草刈りをする父親。
今は亡き三信ビル。
坪内さんから「今のうちに行っておくといいですよ」と勧められたのだろう。
一風堂のセット。今はもう、ごはんは入らないかも。
政治思想史を研究していたことが、遠い昔のことのように感じられる。
福澤諭吉は慶應義塾大学出版会が出している著作集を揃えていたが、もう売ってしまった。
画面の中に昔書いていたブログが映っている。
祖母の家にて。ここが一番懐かしく感じる場所かもしれない。
左手には祖母が、右手には母がいるはずで、画面の中ではのど自慢。
広島駅ビルのASSEに入っていた「麗ちゃん」。
ここのお好み焼きが(おばちゃんたちが焼く風景も含めて)好きだったけど、なくなってしまった。
母がまだ教員を続けていたころ。
この感じのカレーが懐かしいのだけれども、退職後に料理に凝るようになって、
最近は実家に帰ってもこういうカレーは出てこなくなった。
坪内さんの授業で一緒だった何人かを誘って、飯倉の野田岩に出かけたとき。
わざわざ白ワインを頼んでいるところが、我ながら鼻につく。
まあでも、こういう勘違いを経たからこそ今がある。
『東京タワー』を読み終えて、笹塚に行ったときだと思う。
マリンスタジアム。たしかこの日は楽天戦で、岩隈が登板していた。
三信ビル。この頃は原付であちこち出かけている。
市ヶ谷。この頃は縦の構図が好きだったのだろう。今はほとんど横で撮る。
青春18きっぷで北を目指したときか。このアクリル板(?)が珍しくて撮ったのだろう。
この頃はまだ、18きっぷを使うとしても里帰りするときくらいで、あまり北を目指したことはなかった。
原付で実家まで帰ったとき、箱根で。
三条大橋のたもとのスタバには、このとき初めて立ち寄った。ここのスタバは好きだ。
閉店間際の「丸善」。
京都・五条にあった「大弥食堂」。
自分でこんな渋い店にたどり着くはずはないから、Sさんに案内してもらったのだろうか。
ジャンジャン横丁。三桂クラブは今もあるけど、隣の食堂はなくなってしまった。
昔はこんなふうにガイドブックを頼りにしていた。今では遠い昔に思える。
実家の最寄駅。この頃はまだエレベーターがなかった。
最初に一人暮らしをした、仁川のアパートを再訪したとき。
屋上からの景色。
仁川から西宮まで、このフェンス脇の道路を何度となく自転車で走った。写真を見るだけで懐かしくなる。
Steady&co.をやたらと聴いた夏だった。
雨の新宿駅東口。NOVA!
坪内さんが植草甚一日記を読む講座をやっていたときだったか。
それで「このマンションにかつて植草甚一が」と撮ったのだろう。
このマンションも今では取り壊されたはず。
早稲田の近くにあった「此処路」という蕎麦屋。
「あそこのかき揚げ、すごいボリュームなんだよ」と坪内さんに聞かされて出かけたはず。
なんでそんなことにまで詳しかったのだろう?
十五夜に、おそらく新宿都庁に出かけて月を見物した。
わざわざ新宿都庁に出かけるあたり、そしてこの構図といい、向井さんに強く影響されている。
なんか「平成」という感じがする。
高田馬場で最初に住んだアパートの近く。
よく似た柄の猫が2匹いて、こっちはあまり見かけないほうの猫。
今では見慣れてしまったけれど、スタバのコーヒーがこうしてコンビニに、というのが珍しかったのだろう。